ケンのブログ

日々の雑感や日記

WhyよりもHowを考える

2020年02月06日 | 日記
大阪の僕が住んでいる地域は今日あられが降って、降っているときは寒くてやむと晴れ間が出てその間は暖かかった。

ちょっと変わったお天気だった。晴れていれば立春すぎという感慨もあっただろうにあられがその気持ちをさえぎった。

ちょっとBBCのサイトを見ていたらアメリカではガン(病気のガンではなくエアガンとかいうときのガン、つまり銃のこと)で死ぬ人の三分の二は自殺者であるという。

(そういえば作家のヘミングウェイもガンによる自殺で命を落としたんだなと思った。)

銃乱射事件があるとマスコミは大きくそれを取り上げガンの反対運動が起きるけれど銃乱射事件でなくなる人はガンでなくなる人の1%であるにすぎない。

そういうことを我々は考えてみるべきだという記事が載っていた。

自殺が起きると私達はwhy 「なぜ」と思う。なぜ自殺をと。しかしhow 「どのように」を考えることが大切ではないか。

どのように自殺をと考えるときにガンで自殺を図った人は85%が死ぬ。ガン以外で自殺を図った人は95%が未遂に終わる。

そしてそのように生き残った人の中でもう一度自殺を図ろうとする人は10%であるにすぎないと記事は指摘していた。

言われてみればそのとおりだなと思う。

昔読んだドストエフスキーの小説の中に「なぜという問いに答えよとあなたは言うのですか。このなぜという問いを私達人類は何千年と発し続けてきたのです。そしてそのなぜに対する答えは未だに与えられずにいるのです」というようなセリフがあった。

本当に数学など論理構成の確実な学問をのぞいたらなぜの答えはないかもしくはその場の便宜的なものであるに過ぎない場合が多い。なぜを問う前にどのようにということを考えそういう意味での原因を取り除くという考え方は大切であると思う。

たまに起きる大事件に目を奪われるよりも日々何が起きているかに着目することが大切ということもこの記事から考えることができる。アメリカでは日々15人以上の人がガンによる自殺で命を落としているという。

確かに日々の事柄に目を向けることが大切だなと思う。