ケンのブログ

日々の雑感や日記

年齢が顔に追いついた

2021年06月26日 | 日記
隣の街の郵便局の前あたりを歩いていた。

急にこんな声が聞こえた。
「なかなか時代が俺の考え方に追いついてこないからなあ」と。

見ると、発言の主は、二人連れの高校生の男の子だった。

まあ、高校生くらいの男の子なら、冗談半分にいうハッタリの一つだ。

ただ、僕の時代の高校生に比べると、こういうハッタリの冗談を言っても、何故かちょっと鼻についてしまうのが不思議だ。

ネットなどで昔よりも気軽にハッタリ的なことを言う人が多くなった時代を反映しているのかもしれない。

まあ、それはともかく、その高校生の「なかなか時代が俺の考え方に追いついてこなからなあ」という高校生の冗談交じりの言葉を聞いて、僕は、友達Mくんのことを思い出した。

2年くらい前に、京都でMくんにあったとき、Mくんは元気そうで、若そうに見えた。

それで、僕はMくんに「M、なかなか若々しい顔してるねえ」と言った。

するとMくんは僕に答えた。

「いやあ、ようやく年齢が顔に追いついてきたよ。オレ、若い頃から老け顔だったからなあ」と。

それを聞いて僕は思わず笑ってしまった。

確かに、Mくんはちょっと奥目の顔つきで、学生の頃、年齢の割に大人びているというか、まあ、有り体に言えば老け顔だった。

友達からそれをネタにからかわれることもあった。

Mくんは、友達からからかわれても、特に歯向かうということはなく、笑って受け流すタイプの子だった。

それで、結構、みんなから人気があった。

男で、人気がある人というのは大きく2つのタイプに分類されると思う。

①かっこよくて、優秀で、ぐいぐい周りを引っ張っていくようなタイプ。

②少々、友達から、からかわれても、受け流すことが出来て、少々の泥ならかぶることのできるタイプ。

まあ、①と②が混在したタイプの人もいるだろうけれど、、、

Mくんは②のタイプだった。

それで、結構みんなから人気があって、剣道部のキャプテンもしていた。

Mくんの下宿に遊びに行っている最中に、Mくんの下宿の電話が鳴った。

Mくんが電話に出て「いやあ、負けたよ、いきなり、出てこられたからなあ。面食らったよ」と言った。

「なんの話やったの?」と僕がMくんに聞くと「いやあ、昨日の剣道の試合のこと、欠席した部員が聞いてきたから、答えてたんだよ」と言った。

まあ、あっさりと、負けたよ、というものMくんらしかった。

Mくんが下宿に電話機を買うことになって、電話機の希望の色を記入する欄が申込書にあった。

そこにMくんは「クリーム」と書いた。

「クリームって何?」と僕が言うと。

「希望する電話機の色だよ。クリームがいいと思って」とMくんは言った。

それで、僕が、電話機のカタログを見るとクリームという色はカタログになかった。

ただ、アイボリーという色がカタログに記載されていて、それがクリーム色に見えた。

それで僕はMくんに「クリームやなくて、アイボリーちゃうか」と言ったらMくんはカタログのアイボリーのところに2秒位目を凝らして、申込書の希望の色を「クリーム」から「アイボリー」に書き換えた。

「いやあ、ようやく、年齢が顔に追いついてきたよ、オレ、若い頃から老け顔だったらなあ」というMくんの言葉を聞くと、若い頃のMくんのいろんな楽しい言葉が頭に蘇ってくる。

人間の冗談や面白さのセンスって、若いときも、年取ってからも、そんなに変わらないなと思う。

きっと、そういうセンスって、その人の人柄のコアな部分と密接に関係しているからだと思う。

それはともかく、いちにちいちにち、無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。





懐かしい手紙

2021年06月25日 | 日記
僕の母は7人兄弟だ。

本当は8人兄弟だったけれど、一人は幼い頃、百日咳で亡くなってしまった。

百日咳というのが医学的にどういうものかしらないけれど、祖母はいつも子供を一人百日咳でなくしたと言っていた。

そのなくなった子のことを祖母は終生気にかけていた。

そして、知り合いの息子さんとか、娘さんとかがなくなったという話を聞くと、口癖のように「死ぬ順番が親子でぎゃくになるほど悲しいことはない」と言っていた。

ときには、親子で死ぬ順番が逆になる話を聞いて祖母は自分の経験を思い出して涙ぐむこともあった。


まあそれはともかく、その幼くしてなくなった一人を除けば母は7人兄弟で育った。

なので、僕にはその結果として、叔父、叔母が多い。

そして、僕は父が船乗りで家をあけることが多いということで、母の実家で母方の祖父 祖母と一緒に暮らしていた。

まだ、結婚前の、母の弟、妹とも一緒に暮らしていた。

また、東京から帰省してくる母の姉の旦那さん、つまり僕にとっては義理の叔父、などと接する機会も多かった。

母の、一番上の姉の旦那さん、 つまり僕の義理の叔父はなぜかぼくのことをよくかわいがってくれた。

ちょっと、いろんな整理をしていたら、僕が結婚したときにその義理の叔父に送った手紙のへんじが出てきた。

僕は、結婚の披露宴をしなくて、お宮で結婚式をあげただけだったので、そのような失礼を詫びるとともに、結婚の報告の手紙を叔父に送った。

僕が、手紙の整理をしていて出てきたのは、その僕の手紙に対する叔父の返事だ。

叔父の著作権、およびプライバシーのことでそれをブログにかいていいかちょっと悩んだけれど、とても感動したので、もう10年ほど前になくなった叔父もきっと許してくれるだろうと思って僕のブログに書くことにした。

僕が整理していて見つけたのはこんな手紙だ。

「拝啓
おめでたく懐かしいお便りをお寄せいただき 先ずはお慶びを申し上げます。

久しくご無沙汰しているうちに 大阪での新家庭が徐々に形をなしていく様子が、詳しいケンさんからのお便りの中で、よくわかりました。

結婚の形式は時節により 個人の信条により さまざまなもので 大変気を使って 事情をお知らせいただきましたが いかにもケンさんらしく、また伴侶となられた〇〇さんの人柄もしのばれて これからの末長い二人三脚の旅を 健康で楽しくあれと応援申し上げます。

関西方面に旅するときは ひと声かけてご案内役をお願いするかもしれませんよ。冗談と本音が半分ですからあまり気にしないでくださいね。

ともかく平成不況のさなかです。明治維新の前後や、1945年敗戦前後のような 次へ変革が蠢(うごめ)いている時代です 

若いあなた達が何かを築き上げる力を出して 未来を明るくされることを切に望んでおります お祝いの品をお届けしたいと思いましたけれど 好みのこともあり そうしたものの一部に充てていただけたらと思い 僅かな金員を同封しました お納めください 

ご多幸を念じつつ 右ご一報申し上げます 敬具

1998年 5月20日」

※亡き叔父のプライバシーに配慮して、固有名詞などは省略しました。

叔父は大正14年生まれで、それゆえ、昭和の時代は昭和の年数と叔父の年齢は一致していた。

昭和57年には叔父は57歳という具合に。

「僕の年齢は、昭和の年数と同じなんですよ」というのが叔父の口癖の一つだった。

なので、叔父は旧制教育を受けた世代の人だ。

こうして 叔父の手紙を読み返してみて、今、こんな丁寧で愛情のこもった手紙を書く人がいるだろうかとしみじみと思う。

うごめくを蠢くと漢字表記にしているところが叔父らしい。

春に虫2つで、本当に、うごめくという様子が漢字の形の中に現れているようでいかにも叔父らしいなと思う。

僕よりも37歳も年上なのに 僕に敬語で手紙をかいてくださっている点も本当に叔父らしい、涙が出そうになる。

あと1945年の終戦と書かずに1945年の敗戦としっかりと敗戦と書いているとことも何気ないことだけれど、叔父の人柄が偲ばれる。

ありていに言えばあの戦争で日本は負けたのだから、敗戦とはっきり表現されている叔父の言葉遣いをしのぶと、本当にいま叔父が生きていたら、ますます、あいまいな言葉が反乱している今の時代をどのように感じるだろうと思ってしまう。

明治維新の前後や 1945年敗戦前後のような次の変革と1998年の叔父の手紙に表現されているけれど、もう、いま2021年という時代は、このような叔父の表現に即せば、明治維新の前後や、1945年の敗戦前後に匹敵するような、混迷の時代と言えるようにも思えてくる。

若い君たちが時代を明るくしてくれるようにと叔父の手紙に書かれているけれど、その当時は僕も若かったけれど、今は、もう若くない。

そして、未来を明るくできたかというとそうでもないように思えてくる。

残念ながら、妻とも、別れることになってしまったし、、、。

でも、懐かしいなと思う。

叔父からはいろんなことを教えてもらった。

そのなかでよく記憶に残っていることが
「ケンちゃん、男が一人暮らししようと思ったら、毎日同じものを食べることをいとってはだめですよ」という言葉。

本当に、この言葉は折に触れて僕の救いになってきた。

今も、毎日、同じようなものばかり食べている。

ただ、その同じものに気を使うようにしているけれど。

発酵食品を多くするとか、魚類を多くするとか そういうたぐいのことだけれど。

あと、叔父の口癖のひとつが
「僕は、メガネをかけたまま食事をするのが苦手なんですよ。曇っちゃうから。食事のときはメガネをはずします」というもの。

今、マスクで、眼鏡が曇ってしまうと、叔父のこの言葉を思い出す。

あるとき僕の母が叔父に「お兄さん、若い頃は何を考えてましたか?」と食事の席で訪ねたことがある。※叔父は僕の母からは義理の兄にあたる。

すると叔父は答えた
「若い頃は、死ということを考えてましたね。戦争の拡大の時代が、青年期に当たってますから、、、」と。

その言葉を聞いて、その場に居合わせた僕の父と母、そして僕は、おおきくうなずき深く考え込んでしまったことを思い出す。

いまも、コロナである意味、みんな、死ということを考えている時代かもしれないし、あまりに熾烈な経済競争で、身の安全ということも考えている時代だと思う。

そういう意味では、叔父の言葉と今の時代はかぶる点も多いように思う。

叔父の世代の人が精一杯、生きたように、僕も、僕なりに精一杯と思うのだけれど。

あまり精一杯と思いすぎるのもよくないのかもしれない。

どこかで、なるようになる、とおもって、気持ちにゆとりをもたせておくのも大切、とういうことも同時に思う。

それはともかく いちにちいちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。

蒸し暑い日々

2021年06月23日 | 日記
僕はテレビもほとんど見ないし、ネットの気象情報も見ないので、天気の情報に疎い。

けれど、なんとなく蒸し暑い日が多いなと思う。

かといって、エアコンで除湿したりすると、逆に寒かったりちょと微妙だなと思う。

ガーゼのマスクが湿り勝ちで呼吸がしんどくなることがある。そういうときは、マスクをはずすか、ポリプロピレン製の通気のいいものなどにかえるようにしている。

本当にマスクの生活も長くなったと思う。

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1990年代、まだ、ネット販売というものが一般化していなくてCD量販店の売り場面積が今よりはるかに広かった頃、クラシックでナクソスレーベルのCDが、それほど有名な演奏家の演奏ではないけれどよい演奏というような触れ込みで、必ず売り場の片隅においてあった。

そんなナクソスレーベルのCDを当時、何枚か、本当に、そのキャッチフレーズと、価格の低さ(演奏家がそれほど有名でないので価格が低いというキャッチフレーズも出ていたと記憶している)のために、何枚か購入した。

今、改めて、その頃、購入したナクソスレーベルのCDを聴くと、確かにいい演奏だなと思うものが多い。

やっぱり、ヨーロッパって、少なくとも日本ではそれほど有名でなくても、すごい指揮者やオーケストラっていっぱいあるんだなと思う。

そのころ買ったナクソスレーベルのCDの中で最近、ハイドンの交響曲第82番 96番 100番の3曲を収録したものを結構頻繁に聴いている。

日本語の解説表記がどこにも書いてないので、原文でそのまま書くと

指揮 Barry Wordsworth 
演奏 Capella Istropolitana となっている。

本当に、あまり聞いたことない名前だ。

原文で書いているのは、カッコつけて原文でかいているのではなく語学力不足で、日本語にどう訳したらいいのかわからないから。

Capella だから、ドレスデン シュターツカペレのカペレと同じ語源かなとは思うけれどわからないし調べる根気もない。

演奏は、本当に僕にとってはいいなと思う。

重苦しくなく、軽快に、そして鋭く適度に彫りの深いリズムを刻んでいる点が、僕には魅力的に聴こえる。

やっぱりハイドンは聴いていて楽しさを感じさせてくれる演奏がいいなと思う。

それはともかく いちにちいちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。




懐かしい人

2021年06月21日 | 日記
昨日、ウォールポケットのなかに入っている手紙を整理していた。

いるものだけ残して、いらないものはほかそうと思って、、、。

そういう作業って早く終わる人は早く終わると思うけれど、僕の場合、割りと時間がかかってしまう。

ちょっと、昔の手紙を読んで思い出にふけったりしていると意外と時間がかかってしまう。

人から受け取った手紙が大半だけれど、なかには、自分が人に書いた手紙の下書きが残っていたりする。

その自分が書いた手紙の下書きにこんなのがあった。

「昨年はK子さんが、入学願書に読みにくい数字で電話番号が書いてあったとき、そこから思い当たる番号に何軒か電話をかけて、目的の家に繋がってしまったときには、ビックリしたけど、感動しました」と僕がK子さんにあてた年賀状の下書きに書いてある。

もう、30年も前の話だ。

当時、まだ、僕が勤めていた予備校の入学願書は手書きのものだった。(まあ、今でもネット受け付け以外はそうかもしれないけれど、、、)

その入学願書に9か7か判読しにくい文字 また3か8か判読しにくい文字などが混在した形で電話番号が書いてあるものがあった。

しかも、記載内容に不備があるので、その家に電話しなければならないことになった。

みんな、ためらった、本当に読みにくい数字が書いてあるので、へたに電話をしたら、間違い電話になってしまう。

するとK子さんが言った、「この数字はたぶん7か9 この数字はどう見ても3か8のどちらか、だから7と9 3と8の組み合わせで電話をかければ、きっとつながりますよ」と。

確かに、7と9 3と8の組み合わせなら、理論上は2×2で最大でも4回電話をかければ、目的の番号に繋がることになる。

K子さんは大胆にもそれにチャレンジした。


最初にかけた家はダメ K子さんは「あ、間違えました、すみません」と言って電話を切った。

次の家もダメ また彼女は「あ、間違えました、すみません」と言って電話を切った。

次にかけた家はヒットした。それでK子さんは、用件を言い始めた。「実は、受けとりました入学願書に不備がありまして、、、」と彼女は切り出して、相手から、情報を聞き取りながら、その場で、願書の不備をすべて訂正してしまった。

いやあ、本当にあのときはK子さんお見事、と僕は思った。

いわば、確信犯的に間違い電話をかけるリスクをおかすという根性もすごいと思った。

もちろん、間違い電話をかけられた家は、いい迷惑だったろうけれど。

でも、あれはいい根性だなと僕はなぜかそのとき思った。

それは30年前の話なので、今の、システム化された世の中では、そんな根性出そうと思ってもなかなか出ないかもしれないけれど、、、。


当時 僕が勤めていた予備校の入学願書の番号は、パソコンではなく、ゴム印で打っていた。

真ん中の歯車に数字が書かれたゴムが巻かれていて、例えば、その年の123番目に受け取った願書には0123という数字を、3ヶ所にゴム印で印字する。

アナログな方法だ。

僕が、ちょっと、他のことに気を取られていて、0123 0123 0123 と三ヶ所ゴム印を押さないといけないのに 0123 0123 と番号を二ヶ所だけ印字した。

すると、そういうアナログな方法だと次の入学願書に印字すると0123がまだ一回分残っているので、
次の願書に三ヶ所には0123 0124 0124 と二種類の番号が混在してしまうことになる。

それを見つけた事務の女性が「ナカシマさん、願書、2ヶ所しかゴム印押してないじゃないですか、これだと次の願書から番号が狂ってしまいます」と言った。

それで僕は「ごめんなさい」と言って、2ヶ所しか番号を押していない、願書をもう一度出して0123と三つ目の押印をした。

やれやれ、と思って、ほっとしていた。

しばらくして、僕に「願書2ヶ所しか番号押してないじゃないですか」と言ってきた女性の職員が席をはずしたときにK子さんが僕のそばに来て
「ナカシマさん、そういうときはこうすればいいんですよ」と言って。

彼女は0125 0125と願書に二回ゴム印を押した。

その次に彼女は、廃紙(いらなくなった紙)を出してきて、そこに0125 0126 0126 0126と4回押印した。

「ね、こうすると0125が2回しか押してなくても、0126を3回押したところで区切りがつくでしょ」と彼女は言った。
そして彼女はゴム印の数字が巻き付けてある、歯車のところに手を突っ込んで、それを回してちょっと強引に番号を戻して、もう一度数字を0125にした。

「こうすると、次に願書に印鑑押すときに、また0126から始まって、それを3回押すと次の0127に番号がが切り替わるから大丈夫ですよ。ヤバイときは、この手を使ってください」と言った。

いやあ、あのときも、すごいと思った。

確かに、その原理 原則を知っていれば、不注意で番号を押す回数を間違えても、歯車そのものを操作して番号を直すことで、いくらでも修復が可能だ。

あのときはいいこと教えてもらったなと思った。

たぶん、彼女は、予備校に勤めていた頃のアルバイトの女の子で、僕にとってはもっとも印象深い子の一人だと思う。

結局、間違えることを、過度に恐れるのではなく、間違ったときに、どう対処したり、修正するかということを考えている彼女の姿勢に魅力を感じたのだと思う。

まあ、確信犯的に間違い電話をかけるというのはちょっと大胆すぎるかもしれないけれど、、、。

彼女は、女子大に通っていて、学園祭の時 「ナカシマさんもよかったら来てください」、と僕に言ってくれた。

僕が「いやあ、女子大の学園祭に行くのは、ちょっと恥ずかしいし、緊張するから」と言ったら、「そんな考えがダメなんですよ」と彼女は言った。(それでも結局、僕は学園祭には行かなかった。やっぱりちょっと恥ずかしくて行けなかった)

いやあ、なつかしいな。

もちろん、彼女が、今、どうしているかは全くわからない。

当時は大学生だったけれど、今、年齢を計算すると、今年で彼女も52才になる。

信じられない。 僕も歳をとるはずだと思う。

それは、ともかく、いちにちいちにち無事ですごせることを第一に願っていきたい。








正しい言葉づかいって?

2021年06月19日 | 日記
今日の読売新聞の一面に、政府が18日の臨時閣議で、「経済財政運営と改革の基本方針」や「成長戦略実行計画」など、今後の政策の方向性を示す「政府4計画」を決定した。という記事が出ている。

新聞に書いてあるその4計画のポイントの中に「グリーン化」という言葉が出ている。


「グリーン化」ってなに?と思ってみると、具体的には再生可能エネルギーの主力電源化の徹底と電気自動車の利便性をガソリン車並みに高めるということが書いてある。

電気自動車のことに関しては、僕、なにも勉強したことないのでわからない。

けれど、再生可能エネルギーに関しては 征さん という方の書かれたあまり売れていない本のなかに次のように書かれた箇所がある。

「太陽光、つまり、ソーラーパネルによる発電設備の場合は緑地化するどころか、その敷地内にある樹木はすべて根こそぎ切り払い、影も形もない状態にしてしまいます。

それだけでなく、その後もずっと草も木も生えてこないように強力な除草剤を散布し続けるか、地面に厚さ5ミリほどのシート状のものを、しきつめその上に砂利をおき、パネル設置となります。

パネルにとって樹木の影は(発電量が落ちて)困りますし、木の葉が飛んできたり鳥が糞を落としたりすると、その一枚のパネルの発電量はぐんと落ちてしまうそうです。

そんなことで今、日本中ブルドーザーが走り回る勢いで緑の野山が裸にされソーラーパネル畑が出現していますが、なんと※そのときの会議で、『太陽光発電は緑化設備とみなす』ということになりました。

その後の記事をみましても『環境施設とみなす』などとなっています。なんでこんな屁理屈がまかり通ってしまうのか本当にあきれかえってしまいます」と。


※そのときの会議とは2011年の行政刷新会議と本に書いてあります。


本当に今日の新聞に「グリーン化」という言葉が出ていて、その中身が、再生可能エネルギーの主力電源化と書いてあると、きっと征さんが書いておられることが本当なんだろうなと思ってしまう。

だってグリーンを日本語に訳すと緑だもの、、、。

それに、僕は岐阜県という田舎の県の出身だから、たまに帰省して、今まで、田んぼや畑だったところに太陽光パネルが設置してあるのを観察すると、確かに、その敷地には草も木も生えていないので、その点でも征さんのおっしゃることがきっと本当なんだろうと思ってしまう。


ただ、征さんという方は、実に、淡々とした方で、人間が電気を使うという道を選ぶ限りは、現状では、環境破壊は避けられないという主旨のこともおっしゃっているので、僕も、決して、太陽光発電反対ということを言いたいわけではない。
 
僕自身も、暑くなるとすぐエアコンをつけるし、電気はいろいろと使うので、決してえらそうなことを言えた立場ではないし、、、、。

ただ、太陽光発電など、実際には緑化に逆行するものを「グリーン化」といういかにもそれが緑化につながるようなイメージを与えるような標語?で表現するのは、個人的によくないことだと思う。(あくまで個人の意見です)

ある大学の先生が、自分が、哲学の古典を研究しているうちに気に留まった言葉をまとめた本がある。

これも、いわゆる名言集というような売れ筋の本ではないので、今では絶版になってしまっているけれど、その本の中にこのような言葉が出ている。

「正しい言葉づかいをしないということは、そのこと自体いけないことであるばかりでなく、われわれの魂の中にある種の害悪を植えつけるものだ」(プラトン パイドンより)と。

「正しい言葉づかいをしないということはわれわれの魂の中にある種の害悪を植えつける」

この抽象的な言葉が何を意味するのか、僕には到底わからない。

しかし、政府が、緑化ではないものを「グリーン化」というような、まやかしのようなスローガンで表現していると、たちまち、それが、民間にも伝播して、世の中に、まやかしのような言葉が氾濫するようになる可能性が高い。ということは言えると思う。

現に、今の世の中、まやかしのような表現が増えたなと思ったり感じたりしているのはきっと僕だけではないように思う。

そうすると、結局、何を信じたらいいのか、どんな言葉を信じたらいいのかわからない世の中になってしまうように思う。

結局、そういうことが、「われわれの魂の中にある種の害悪を植えつける」という言葉の意味のひとつなのではないだろうかと僕は思う。

それはともかく いちにちいちにち無事に過ぎますように、それを第一に願っていきたい。