ケンのブログ

日々の雑感や日記

女性警官とおじいさん

2021年11月11日 | 日記
警察署に行く。

正面玄関の前に身長と同じくらいの長さの警棒を杖のようにして持っている警官が見張っている。

僕、私服警官に職務質問されたという人生経験の持ち主なので、警官を見るとちょっと緊張してしまう。

奇抜なアクションはしないように、警官を刺激しないようにとつい意識してしまう。

署内へ入るときもその警官に「こんにちは」と挨拶。

なるべく不審がられないようにと気を使っているつもり、、、。

玄関をはいった踊り場にいた警官にも挨拶して要件を告げる。

それなら二階に行ってくださいと警官のおじさん。

二階に行くと、運転免許証の書き換えにきていたおじいさんとその相手をする女性警官に遭遇。

「おじさんのメガネは老眼鏡ですか、近視のメガネですか」と婦人警官。

「普通のメガネや」と無気力におじいさんが言う。

「だから、それは近視のメガネですか、老眼鏡ですか」と女性警官。

しばらく間をおいて

「普通のメガネや」とおじいさん。

「遠くを見るメガネですか、それとも本とか読むときにかけるメガネですか」と婦人警官。

「普通のメガネやて」といら立たしげにおじいさん。

女性警官の言い方も結構とんがっているけれど、、、。

そんな問答をしばらく続けていてもずっと話は同じところを回っている。

とうとう女性警官が視力表のほうをむいて、「実際にやってみましょう」と言った。

「上から三番目の文字はなんですか」と女性警官。

「わからん」とおじいさん。

「おじさん、遠くが見えないので近眼です」と女性警官は言った。「運転するときは危ないのでちゃんとメガネかけてくださいね」

おじいさんはなぜか無言。まあ話はなんとか通じているとは思うけれど、、。


でも、僕、そこまで話を聞いていて気づいた。

近眼のメガネなら中央部の薄いレンズでレンズから向こうを見ると向こう側は小さく見える。

老眼のレンズなら、中央部の膨らんだレンズで、レンズ越しに向こうを見ると大きく見える。つまりは虫眼鏡と同じレンズ。

問答を続けるよりも女性警官、おじいさんのメガネを見てあげたほうが良かったかもしれない。

でも、そんなおじいさんのメガネを見ようとすると、そんなときは「人のメガネ勝手に見るな」と怒り出すかもしれない。

用心にこしたことはないか。
・・・・・・・・・・・・・
空には半月。

夜は寒くなってきた。初冬だなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願って行きたい。
 

くせになりそう!

2021年11月10日 | 日記
岐阜の地方紙に載った短歌 俳句より。

“”初回での見立てと指圧に一目惚れ 癖になりそうこの接骨院“”(一般市民の部)

まあね、気持ちのいいことは何事もくせになってしまう。

変なことが癖になるより健全でいいと思うけれど、、、。


“”当たるかな アイスのぼうをまたなめる“”(小学生の部)

いいなあ。デジタルアプリ全盛の時代でも、アイスのぼうを楽しみになめている子もいるのか。

僕が子供の頃は チョコバットという、乾パンの生地にチョコレートをまぶしたようなバットの形のお菓子が駄菓子屋で売っていた。

セロファンでそのお菓子は包んであった。

セロファンをめくって アウトだとはずれ、ヒットを4つ集めればチョコバット一つと交換、ホームランだと1つだけでチョコバットひとつと交換、だったな。


ホームランもいいけれど、ヒットを4つ集めてチョコバット1つと交換するときの充実感はなんとも言えなかった。

くせになるところまではいかなくてよかった。

くせになったらお小遣いがなくなってしまう、、、。

仮面ライダーのカードがもらえるライダースナックというのも流行っていた。カード欲しさにライダースナックをかって、お菓子をどぶにほかす子もいたりして、校長先生がそういうことはしないようにと訓示をしていた。

いまも、アイドルと握手したさにCDを買って、握手するとCDはほかしてしまうひともいるらしい。

大阪のある歌声サロンの先生がそれを嘆いていた。

中島みゆきさんの歌ではないけれど、時代はまわるなと思う。



“”まちきれず ぶとうひとつ つまみ食い“”(小学生の部)

そうね、つまみ食いの味ってこたえられない。

僕は、味付け海苔をよくつまみ食いしたな。

クラスにも、好きな女の子はと問われて 「磯美人」(味付け海苔のブランド)と答えてみんなに受けてた子いたなあ。浜乙女というブランドもあったっけ。

あと、お伊勢さんのおみやげにいただいた、赤福餅
誰もいないときにこっそりふたを開けて、こしあんを箱の隅から指ですくって舐めるの、おいしかった。

赤福餅を、勝手に食べると数が減ってばれるけれど、あんこだけなら比較的ばれにくい。

まあ、バレてたとは思うけれど、、、。


“”さんまかな においでわかるぼくとねこ“”(小学生の部)

そうね、猫はすぐに来るよね。足音なしでね。

猫を追うより皿を引け ということわざあるけれど、あれは本当に賢い処世術だなと思う。

泥棒が来る と言って怒っているよりもしっかり戸締まりするとかね。



“”髪結ぶ 今日より夏の女なり“”(一般市民の部)

なんか、読んでいるとこちらが恥ずかしくなってくる。

大阪でこんな歌 披露したら みんなからツッコミ倒されて生きていけなくなってしまう。

女性はいろいろお直しが楽しめていいなと思う。

いろいろくふうするのはしんどいかもしれないけれど、、、。

男にとって結婚式の前の一週間はあっという間だけれど、女にとって結婚式の前の一週間は7年に匹敵するほど長いと言った人がいた、だれだっけ、ちょっと忘れてしまった。


それは ともかく いちにち いちにち無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。






あれこれと

2021年11月10日 | 日記
夜、遅くになって、ちょっと駅まで散歩に行くかと思って、でかけた。

駅まで散歩するって大阪にいた頃は当たり前だったのに本当に久しぶり。

こちらに向かって女性が歩いてきた。

僕、黒いブルゾンを着て、頭は丸刈り、大きなマスクをしている。

歩道はかなり狭い。

国道沿いの道で、あたりに人影や光はあまりない。

いやあ、これは、ちょっとまずいなと思った。

国道もあまり自動車が走ってなかったので、とっさに道路の反対方向に走って渡った。

駅に行って、自動販売機の飲み物を見ていたら、電車が来た。

まだ、電車はさすがに走っている。

ただ、これだと、男はともかく、女性だったら、午後10時以降に駅につく電車で帰宅することはちょっと勇気がいるかも、と思う。

大阪にいる頃はあまり感じなかったことだけれど、これだけ人が少ないと、ちょっと考えてしまうなと思う。

女性の場合は、駅からの距離もともかく、駅からの道の雰囲気ということも重要なファクターになってくるんだなと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新聞にワゴン車の屋根にに乗って、遠投の高さの指示を選手に与える日本ハム新庄監督の写真が出ている。

日本人は特に、車の屋根に乗るなんてお行儀が悪いという感覚は無意識のうちにも刷り込まれているので、一瞬、何 これ と奇抜な印象を受ける。

ただ、記事を詳しく読むと、試合では高い球は使わないから、遠投の高さを制限する新庄監督の狙いがあると出ている。

そういうことを理解した上で写真を見ると、たしかに新庄監督はワゴン車の上から高さはここまでという感じでバットを水平に真っ直ぐに差し出している。具体的でわかりやすい。

素人ではとても、ワゴン車の上からあそこまで見事に水平にバットを差し出せるものではない。

美しいと言ってもいいくらいバットは水平に出ている。

でも、ワゴン車の上に立つ姿はなんともアホっぽく見えてしまうけれど、、、。


ただ、あの水平に差し出されたバットの位置を見ていると、たしかにイチロー選手も、そして、新庄選手も、現役時代は、きっとあのバットの高さを超えない範囲の低い弾道のレーザービームを投げていたんだなと懐かしく思い出す。

本当に、新庄監督をみていると、すごい人なのか、アホの人なのかわからなくなってくる。

それは野村克也さんから“”代表的アホ“”と言われるのだから、仮にアホだったとしてもただのアホではないのだろうけれど。(そもそも、ただのアホでは監督になれないか、、、)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新聞に慢性痛という言葉が大きな活字で出ている。

よく読むと要するに原因の特定しにくい痛みが慢性化したものを言うらしい。

こういう概念が生まれるとたしかに会話の中で、原因の特定しにくい慢性的な痛みのある場合には、慢性痛ですと言えばとりあえず通じるようになるし、慢性痛かも、ということで受診もしやすくなるし、、、


言葉が人の理解をうみ、また行動様式を変えるのだなとこういう機会に改めて納得する。

ただ、どんな言葉が生まれても具体的にどんなふうに痛いのかは本人にしかわからないという事実に変わりはない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小田急電鉄が乗車距離に関わらず2022年から小児運賃を一律50円にすると新聞に出ている。

ねらいは、子育ての負担を軽減し、鉄道利用者と沿線の居住者を増やすことと出ている。

亡くなった義理の叔父の婿Aさんが私鉄の社員だった。

おじは「私はAを婿に持つことで、鉄道会社の経営は沿線開発が大きな要素を占めることを学びました」と言っていた。

そのことを思い出す。

ただ、おじも、そして婿のAさんも、もうこの世にいない。

諸行無常だなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。



急かされるのが当たり前?

2021年11月08日 | 日記
正午くらいに路肩の電光表示に只今の気温26度と出ていた。


本当に昼と夜と気温の格差が大きいなと思う。


コンビニに年賀状印刷のパンフレットがあったけれど、申込書が挟んでない。

「申込書が挟んでないですが、見当たるところに在庫はありますか」と女性の店員の方に尋ねたら、すぐにレジの後ろの切手とかそういうたぐいの入れてあるケースの引き出しを片っ端からあけて、見つけてくださった。

一般に、こういうときは、女性の方が頼りになるなと思う。 

僕の経験則によれば男性の場合だと、あたりをぐるっと見回して、「ちょっとないみたいです」となる場合がややもすると多いような気がする。

申込書を見つけてくださった店員さんは、申込書を急いで台紙から剥がしたので、3枚複写の紙が一枚、一枚バラバラになってしまった。

こういうときに急いで、紙を台紙から剥がしてしまうのは、もう客に急かされることが常習化してしまって、急いでしなければと、条件反射的にそうなってしまうのだと思う。

しかし、複写の紙がバラバラになってしまっては、意味がないと言うかかなり書きにくい。

「急いで紙を剥がしたから、複写の紙がバラバラになったと思います。これでは書くときに複写がずれてしまう。ゆっくりやれば、多分、大丈夫と思うので、もう一度ゆっくり台紙から剥がしてください」と僕は言った。

すると店員さんは今度はゆっくりやってくださった。

今度は逆に慎重になりすぎて、途中で店員さんが不器用な手付きになってしまったので

「もし、もう一回バラバラになったら、自分でそろえて書くので大丈夫です」と僕は言った。

それで効果があったのかどうかはわからないけれど、今度は、3枚の紙がくっついた形で台紙から剥がれた。

僕も店員さんもホッとした。

「じゃあ、申込書、パンフに挟んでおきますね」と店員さんは言った。

「はい」と僕は言った。

やれやれよかった。

それはともかく いちにち いちにち無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。


馬鹿な女

2021年11月07日 | 日記
今日から暦の上で立冬。

新聞のコラムには七十二候では山茶花(サザンカ)が咲き始める頃の山茶始開と書いてある。

サザンカ

「たき火」という唱歌に

“”サザンカ サザンカ 咲いた道 たき火だ たき火だ 落ち葉たき“”

という一節がある。

ほうとうに、今の季節にピッタリの歌なのだなと思う。

年配の人同士でこの歌を歌って、やっぱり唱歌はいいねというのは大いにありだとおもう。

いい歌だから子供にも聴かせたいなるとどうだろう。

今は たき火は火事になるからダメとか言われることも多いし、、、。

でも、聴かせたい歌だとは思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕、演歌あまり好きでないけれど、その中に好きな歌はいくつかある。

夏よりも冬に演歌を思い出すことが多い。

演歌によく出てくる文句の一つに「馬鹿な女」ってあると思う。

“”馬鹿な女と呼ばれても 忘れなれない恋もある“”とか、、、。※宮史郎さんの片恋酒

馬鹿な男 という文句が出てくる歌も探せばあるとは思うけれど、僕の経験則では 馬鹿な女 のほうが歌に出てくる頻度は高い気がする。

そんな文句の出てくる歌詞の中で僕がこれ大好きだなと思うのはこのフレーズ。

“”馬鹿ね 馬鹿な女ね 意地を張ってた私“” ※吉幾三 「雪国」より。

すごいフレーズだなと見るたびに思う。

別に女に限らず、意地を張りすぎでバカを見ることって、人生にはままあることだし、、、。

どちらかというと、意地を張り過ぎてバカを見るのは女の方に当てはまるかもしれないし、、、。
※女でないからようわからんけど、、、。

馬鹿ね 馬鹿な女ね と馬鹿を二度繰り返すところが、女が自分に言い聞かせているようで、また、なんとも言えずいいなと思う。


それと僕がこのフレーズ、スゴイと思うのはもう一つ理由がある。

「馬鹿ね 馬鹿な女ね 意地を張ってた私」 って、シリアスに捉えればどこまでもシリアスだけれど、これってちょっとおふざけも入ってるんじゃないの?という気持ちで歌詞を見ると、なんとなくおふざけもほんの少し入っているような気もしてくる。

そこがスゴイと思う。

シリアスにとらえればそれはシリアスだけれど、ちょっとおふざけもあるかもと感じさせるところが、吉幾三さんのなんとも言えない幅の広さであり奥行きなのだと思う。

こういう幅や奥行きだけは努力だけではなんともならない部分、生まれ持ったキャラというものがあるから、それはうらやましいなと思う。

・・・・・・・・・・・・
夕方、三日月よりもまだ細い月をたぶん南西の低い空に見つけた。

本当に、まさにこれからふくらんでいくスタートラインに立ったような月。

また、あとでゆっくり見ようと思って、あとになったらもう沈んでいた。

まあ、西の空の低いところにあれば沈む前なのだろうけれど、月の軌道をよく理解していないので、こういうポカをやってしまう。

でも、まあ、沈む前にちゃんと見つけたのでそれでよしとしよう。

それは ともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。