ケンのブログ

日々の雑感や日記

突然の大ヘビ騒動

2021年11月18日 | 日記
今日の岐阜の地方紙に記者が滋賀の父母のところに帰ったらヘビ(アオダイショウ)が出たという話が出ている。

かいつまんで要約すると、、、。


テレビの奥からガサゴソと音が

うん?何だ うちにはペットはいないはずだが、、、。

「うわぁぁぁぁ へびやぁぁぁぁぁ」と僕

「はよ 殺虫剤 殺虫剤吹き! はよ 殺虫剤!」と母。

「なにぃ! ヘビか。ええ?ベッドの下やって? そんならはよ追い出さなあかんがな。何をのんびりしてんねん。はよ追い出せ はよ」と父。「うわぁ また出てきたぁぁぁぁ」と母。「やかましいわ はよ挟むもんかせぇぇぇぇ」「バンバンバン」と父

「挟むもんで床たたいとったら意味ないやん。おとうちゃん」と母。
「うるさい。なんでもええからはよ出さなあかん」と父。

そうこうしているうちにヘビは外へ。
「でもヘビって守り神や言うし。あんなことして追い出して大丈夫なん?」と母。
最初に、 殺虫剤吹けと言ったことはすっかり忘れているらしい、、、。

アオダイショウは毒はないのに、、、、。
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過去にもブログで書いたと思うけれど、僕の家も昔は祖父があんこの製造工場を経営していたので、小豆の倉庫があった。

小豆の倉庫にネズミがいる、そのネズミを狙ってヘビが来るという食物連鎖で、アオダイショウがいた。

下駄箱の下にヘビがとぐろを巻いたときスポーツ万能の僕のおじがヘビを恐る恐る棒でつついたら、ヘビがガッと頭をもたげて、「うわぁっ!」とおじが後ずさりして、後ろで見ていた僕が尻もちをついた。


スポーツ万能のおじでもヘビにはなすすべがなかった。毒はないとわかっているのに、、、。

僕が尻もちをついたとき、おじはヘビに動揺した顔で「ああ、ケン坊 すまんかった」と僕に言った。

まあ、あの時はしばらくしたら、ヘビは自分で下駄箱の下から玄関の外に出ていったけれど、、、。

祖父のあとに工場を経営してくださった知り合いのおじさんの代になってもヘビは出た。

あんこを絞るジャッキの芯棒にヘビがとぐろを巻いてしまった。

このおじさんもトラック野郎の菅原文太もその顔を見たらビビるのではないかというほどのコワモテで体格がよくスポーツ刈りのおじさんだったけれど、ヘビはからきし苦手だった。

及び腰でヘビを棒でつついてもヘビはびくとも動かない。

このときはとうとうあきらめて、山の方に住んでいる、ヘビを扱うのが得意な人に電話して来てもらって追い出した。

しかし、及び腰でつついいているとヘビはびくとも動かないけれど、ヘビになれたおじさんが軽く棒でヘビを誘うだけでヘビは面白いようにスルスルと逃げていくと言うよりも移動していく。

まあ何事もなれが大切ということかとは思うけれど、ヘビに慣れろと言われてもちょっと、、、。

※ちなみに 僕の経験ではヘビに殺虫剤はあまり効果がありません。ヘビが隣の家のお勝手でとぐろを巻いたとき隣のおばさんはバルサンという煙のでる殺虫剤をやったけれど、煙が充満してもヘビは動かなかった。

あのときもとなりのおばさんからお宅のヘビがとぐろを巻いてバルサン炊いても動かないと苦情が来た。

お宅のヘビと言われてもうちもペットで飼っているわけではないのに と思いつつ、ヘビが得意な人が出ていって追い出したな、、、。


それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。


古葉竹識さんなくなる 

2021年11月18日 | 日記
広島カープの古葉竹識元監督が亡くなられたと新聞に出ている。

寂しいなと思う。

新聞に1975年に広島が初優勝して胴上げされる古葉竹識監督の写真が出ている。

僕、あのとき中学一年だった。

夕方、家のステレオのチューナーでラジオを受信して、音楽用の大きなスピーカーで広島初優勝の中継を聴いていた。(当時の音楽用のスピーカーは大きいものが多かった)

本当にラジオだったけれど臨場感があった。

ラジオのアナウンサーが具体的に何を喋っていたかはもう覚えていないけれど、実況を聴きながら泣いていたことは記憶している。

やはり、僕の子供時代はジャイアンツの9連覇と重なったから、そこからセ・リーグのお荷物と言われていた広島が抜け出してきて優勝したというのは僕にとっては、感動的な出来事ではあった。

派手なパフォーマンスをする方ではないと言うか地味な人に僕の目には写ったけれど、ベンチから真剣な眼差しで野球の戦況を見守る姿がとても印象に残っている。

この初優勝から80年代にかけてカープが強い時代だったと思う。

プロ野球で選手の個別の応援の音楽って、アニメのヒット曲など既存の曲から引用してくる場合も多いと思う。

しかし、広島は当時、少なくとも山本浩二選手と衣笠祥雄選手に関してはオリジナルの応援テーマがあった。

トランペットで高らかに鳴り渡るそのメロデイはとても印象深くて耳に残っている。

今でも山本バージョン 衣笠バージョンともに口笛でフルコーラス吹けてしまう。

衣笠バージョンのほうが山本バージョンよりもメロディラインがコミカルになっていて、それが衣笠選手の打席でのちょっとコミカルな動きにマッチしているようで、僕は山本バージョンよりも衣笠バージョンのほうが好きだった。

なつかしいな。

江夏豊さんがノーアウトフルベースのピンチをしのいで日本一になったときも古葉監督だったし、この監督の下でいろんな名シーンが繰り広げられたなと思う。

新聞に王貞治さんのコメントが載っている。

その最後はこんな言葉で結ばれている。

「(古葉竹識さんは)野球一筋の素晴らしい人生だったのではないでしょうか。同世代を生きたものとして誇りに思います」と。

新庄監督のコメントも色々と面白いけれど、王さんのように然るべきときには、襟を正して、同士のことをほめたたえる、それが私達日本人の本来の姿ではないかと思う。

三回くらい読むとジーンと来る。それが王さんのコメントのいいところだと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。