近所の山寺へ。
駐車場に自動車を止めて山を登る。
駐車場はすぐだけれどそこからが結構長い。
門をくぐる。
お不動産の登りが立っている。
何不動だったか名前が長いので忘れてしまった。
お寺なのに手水がある。しかし、蓮の花の形をした蛇口から水が流れている。そして柄杓(ひしゃく)もない。
微妙に仏教だか神道だか区別がつかないのは日本の寺社によくあるパターン。でもやっぱりお寺だなと思う。
弘法さんも祭ってある。そう言えば今日は21日。弘法さんの縁日。ウンがつくといいのだけれど、、、。
階段をずっと登っていくと、本堂らしき建物がある。建物の前でお線香がたかれている。
みんな煙が自分のほうに来るように手であおいでいる。
まあ、煙のご利益もあるといいのだけれど。僕もちょっと離れたところからあおいでしまった。
仏像がいっぱい並んでいる場所の囲いの石に、大相撲の元名力士の引退後の親方名が刻んである。
この親方、白鵬が俵(たわら)で足をゴシゴシしていたとき、「俵は結界ですから、あそこで足をゴシゴシするなんて考えられないことなんです」と言っていた。
こういう場所に奉納する人だから結界で足をゴシゴシすることがひときわ気になるのかもしれない。
あのとき、北の富士さん、「まあ、私達の時代はいろいろ言われましたねえ」と言葉を濁していた。
(あまり今の文脈に関係ないか、、、。)
そう言えば北の富士さん、「巡業ではお参りに行っていたんですか」とアナウンサーに聞かれたとき、「いやあ、僕はちょっと逆の方向に行ってました」と答えたことがあったっけ。
話が、またそれてしまった。
でも、確か、このお寺の系列の関東地方の寺で力士が、毎年豆まきをしていたような記憶がある。
ひょっとしたら相撲とこの寺と関係が深いのかもしれない。
本堂の脇に、お不動さんの真言が書いてある。とうことはやはりここの御本尊はお不動さんか。正式に調べたわけではないけれど、状況から判断して多分そうだと思う。
お不動さんの真言は短いバージョンなら覚えているけれど、長いバージョンだったので忘れてしまった。
でも、書いてあるのを見ながら何回か心で唱えた。
お賽銭を投げてお参りというかお祈り。
柏手を打ちたくなるのをこらえて手だけ合わせる。
いつか京都のお寺で勢いで柏手(かしわで)を打ったら子供がマネして柏手を打って、お母さんが子供に「ここはお寺だから柏手打っちゃダメなの」と注意していた。
僕への当てこすりで子供に注意しているのか?、少々形が違っていても心がこもっていればいいじゃないか、と思ったけれど、そこはこらえて黙っていた。
よい子はマネをしてお寺で柏手を打たないように注意しましょう。
でも、日本のお参りは柏手を打ったほうがお参りしたような気分になるなと思う。(個人の感想です)
本堂へ参って階段に向かうと、釣り鐘のある建物の端の方でお坊さんが小さい鐘を打っている。
カン カン カン カン カンとだんだんテンポが早くなってきて最後は乱れ打ちのようになって終わる。うまい、さすがプロと思う。
釣鐘堂の付近の広場から、それほど遠くないところにお城と川も見える。かなりいい眺め。
本堂の付近や、山門の付近にピンクや山吹色など薄い系の色の着物を着た女性を何人か見つけた。
みんな和傘をさしている。そしてなぜかみんな男の人と一緒だ。男の人は袴を履いている。
そして、仲間の人の写真撮影にも応じている。
まるで、夏目漱石の小説の挿絵か竹下夢二の絵の世界から飛び出してきたカップルのようだ。
なんだろう、モデルさんか、それとも何かの記念行事か。ちなみに今日は七五三詣りの人も多かったけれどそれとはちょっと違う雰囲気でもある。
山を下へ降りてきて、山門から町へ出る通りにも着物を着た女性と袴を履いた男性のカップルが町に向かって歩いていた。
この女性もかなりきれい。ええとこの人かも知れない。
町の方向に僕の車を止めた駐車場もあるのであとをついて降りていく。
怪しまれないようにあまり近づきすぎないように。コロナのためのディスタンスというよりも怪しまれないためのディスタンスという様相になっている。
それでわかったのだけれどカップルは東南アジアの言語を話している。何を話しているのかわからないけれど、言葉の響きから何となく東南アジアの言語だとわかる。
そうか、東南アジアからの人がなにかの記念に貸衣装を借りてこの装いで歩いているのだな。
まあ、きれいな格好ならしてみたいという願望には国境はないということだと思う。
でも、やはり着物はアジア人のほうが似合うなと思う。
それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。