インパチェンスの花。
暑い日が続いていたときは、すっかり元気をなくしていたのですが、ここ数日の雨が嬉しそう。
今日は、久しぶりに「詩」いきま~す。
花の図鑑を返しに図書館に行ったら、こんな新刊本を見つけました。
「いわずにおれない」 まど・みちお著 集英社Be文庫
まど・みちおさんの作詞された童謡
いちねんせいになったら
ぞうさん
やぎさんゆうびん等など
1909年11月16日 山口県生まれ。
36歳で川崎市に移り住みます。
日本で初めて国際アンデルセン賞作家賞にも輝きました。
この本は、97歳のまどさんがそれぞれの詩についてその時の思いをインタビュー形式で載せられています。
その一部から
そもそも詩というものは、10人読んだら10人が違う感想をもつものでね。
感じ方はひとつじゃなくていい、その人が感じたいように感じてもらうのが一番いいと私は思っておるんです。
だから、この詩はこういうふうに読んでほしいっちゅうことは、それをつくった私にも言えないんですよ。
ただ、その詩がどういうふうに読まれたがっているかということはあります。
たとえば「ぞうさん」でしたら、
ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね
と言われた子ゾウは、からかいや悪口と受け取るのが当然ではないかと思うんです。
この世の中にあんな鼻の長い生きものはほかにいませんから。
顔の四角い人ばかりの中に一人だけ丸い人がおったら、本来はなんでもない「丸い」っちゅう言葉が違う意味をもってしまう。
われわれ情けない人間だったら、きっと「おまえはヘンだ」と言われたように感じるでしょう。
ところが、子ゾウはほめられたつもりで、うれしくてたまらないというふうに
そうよ かあさんも ながいのよ
と答える。
それは、自分は長い鼻をもったゾウであることを、かねがね誇りに思っていたからなんです。
小さい子にとって、お母さんは世界じゅう、いや地球上で一番。
大好きなお母さんに似ている自分も素晴らしいんだと、ごく自然に感じている。
つまり、あの詩は、「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」と思われたがっっとるんですよ。
これを読んだとき、母親に殺されてしまった彩香ちゃんのことを思いました。
どんなに傍目にはだめな母親に見えても、彩香ちゃんにとっては世界に一人だけの大好きなお母さんだったんだと思います。
テレビに何回も映し出される写真やビデオの中の彼女はいつも笑顔。
でもその笑顔の裏にはこんなに好きなお母さんにもっと愛してもらいたいっていつも思っていたんでしょうね。
天国で本当に優しい人たちに囲まれて幸せにしていてほしいです。
今日の私の小さな幸せ
まどさんのほのぼのした詩と話にふれたこと。