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田中雄二の「映画の王様」

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『蜘蛛巣城』

2020-03-09 13:44:05 | 映画いろいろ

『蜘蛛巣城』(57)(1983.1.1.)

 蜘蛛巣城主に仕える、鷲津武時(三船敏郎)と三木義明(千秋実)は、勝ち戦を報告するため城に向かったが、迷い込んだ森の中で出会った謎の老婆(浪花千栄子)から奇妙な予言を聞く。それは武時が蜘蛛巣城の城主になるというものだった…。黒澤明がシェークスピアの「マクベス」を戦国時代に置き換えて映画化。

 黒澤明は、もともとは善意のヒューマニストなのだが、それと同時に、悪を魅力的に描くことでも一流である。例えば、『姿三四郎』(43)の檜垣源之助(月形龍之介)、『酔いどれ天使』(48)の松永(三船敏郎)、『悪い奴ほどよく眠る』(60)の岩淵(森雅之)、仲代達矢が演じた『用心棒』(61)の卯之助と『椿三十郎』(62)の室戸半兵衛、『天国と地獄』(63)の竹内銀次郎(山崎努)などを、すぐに思い出すことができる。だが、その対極には善人がいて、この魅力的な悪を打ち破っていた。

 ところが、この映画に見られるのは、人間のおぞましくも醜い姿や心だけである。確かに、『羅生門』(50)や『悪い奴ほどよく眠る』でも、救い難いような醜さや欲望の深さを露わに描いていたが、『羅生門』では、ラストに捨て子を引き取る杣売り(志村喬)の姿があったし、『悪い奴ほどよく眠る』でも、汚職まみれの父から離れていく兄妹(三橋達也、香川京子)の姿に多少は救いがあった。

 しかるに、この映画にはそのかけらも見当たらない。初めから終わりまで猜疑心に満ち、欲の張り合いや殺し合いが展開し、これを打ち破ろうとする者は全く現れず、ひどく冷たい印象を抱かせる映画になっている。

 黒澤は原作を読んだ際に、中世ヨーロッパの話が、中世の日本はもとより、現代社会にも通じるものがあると感じて、何とかこれを映画化したいと思ったという。実際、人間の歴史は戦乱の歴史でもあり、人間の欲望に限りはないのだ。

 また、この映画は能を取り入れているという。そのためか、一つのシーンが長く、ロングショットが多くてほとんどアップがない(例外は、ラストの矢が貫通した武時の姿か)。ドナルド・リチーの『黒澤明の映画』によれば、これは黒澤の計算ずくのことだったらしい。してみると、これは、映像ジャーナリズムの授業で岡本博先生から聞いた「円谷英二の我慢のカメラ」つまり「寄りたい時に寄るな。引きたい時に引くな」に通じるのかもしれないと思った。

【今の一言】岡本博先生の講義の教科書は、映画やテレビについて社会的な考察を展開させた『映像ジャーナリズム』だった。


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