知人にヘルパーの仕事に従事している人がいて、久しぶりに会食することとなった。知人は女性であるので話の話題は多岐にわたり楽しい会食となったが、仕事の話となると少しばかり深刻になった。話を聞いていると、どうやらいろいろ問題があるようであった。
もうずいぶん前から指摘されている事柄ではあるが、その問題が一向に改善されないのには「サービスの提供」が人によって行われているからである。
「?」と思われる方も多いかもしれない。しかし、「人」である以上避けられない問題なのである。
それは、同じ事業所でも「ビジネス」と割り切れる人と「人情」で働く人が混在していて、そこに「差」が生まれる。法律上出来ない事であっても「人情」でやってしまうと「ビジネス」と割り切って働いている人にとっては煙たい存在になる。もちろんどちらも正しいから、どちらも譲れないので、職場の人間関係がぎくしゃくしてしまうという。
だから着地点が見いだせないままその場の話は次の話題へとジャンプしていったのであるが、一人になってふと考えた。
着地点がないのは、介護は医療とちがい目的が明確でなく、医療ならば病気を治す事であるが、生活援助となるとその振り幅が広すぎることと、専門的な事でないので、情に訴えられやすいからなのだと思う。
そして、提供する側にも同じ「生活」があるからである。
そう考えると制度が確立するには、まだまだ時間を要するであろうと感じるが、その前に介護保険自体が破たんしてしまうような気がしてならないのです。
しかし、それも私達が心のどこかで臨んでいることかもしれない。
もうずいぶん前から指摘されている事柄ではあるが、その問題が一向に改善されないのには「サービスの提供」が人によって行われているからである。
「?」と思われる方も多いかもしれない。しかし、「人」である以上避けられない問題なのである。
それは、同じ事業所でも「ビジネス」と割り切れる人と「人情」で働く人が混在していて、そこに「差」が生まれる。法律上出来ない事であっても「人情」でやってしまうと「ビジネス」と割り切って働いている人にとっては煙たい存在になる。もちろんどちらも正しいから、どちらも譲れないので、職場の人間関係がぎくしゃくしてしまうという。
だから着地点が見いだせないままその場の話は次の話題へとジャンプしていったのであるが、一人になってふと考えた。
着地点がないのは、介護は医療とちがい目的が明確でなく、医療ならば病気を治す事であるが、生活援助となるとその振り幅が広すぎることと、専門的な事でないので、情に訴えられやすいからなのだと思う。
そして、提供する側にも同じ「生活」があるからである。
そう考えると制度が確立するには、まだまだ時間を要するであろうと感じるが、その前に介護保険自体が破たんしてしまうような気がしてならないのです。
しかし、それも私達が心のどこかで臨んでいることかもしれない。