「しかし、作戦が失敗し、多くの兵士が失われているにもかかわらず、失策の責任を誰も取ろうしない上に、失策の再検討すらしようとしませんでした。本心から勝利を望んでいるのであれば、軍規を重んじるのならば、反省し責任を果たさねばならないはずなのですが、失策がなかったようになってしまうその現状を目の当たりにし、愕然としました。」
次郎は軍部の無理難題な要求に対して苦悩してきた一人であった。そして、その軍部にも時代に翻弄されつつも懸命に義や仁について考えぬいてきた人がいる事を嬉しく思いつつ青年将校の熱い想いに耳を傾けていた。
「軍に対し不信感を抱いた私は、どうにもならない現在の状況から一歩引いて、どうして人は非情になるのか歴史的に検証してみる事にしました。日本もかつては、国取り合戦を繰り返し、名を残した武将も時には非情な手段で戦に勝利してきましたが、その時どうして同じ日本人に対しても非情になれたのか考えました。勝利する事が目的であるとするならば、勝利したいという欲望が道理を忘れ暴走する過程には何かがあるはずなのです。しかし、戦という事象はあまりにも複雑すぎて実態がつかめないのです。
物を大量に消費する事に無感覚になった人間が行きつく消費対象が同じ人間に向かうという傾向も理由として不完全ですし、消費対象となる人間から搾取できる益が最大の目的であるという理由もぼんやりしすぎているのです。そう考えると、やはり、戦とは蔦が絡まるようにいくつもの欲望が絡み合って起こったものであると考えるのが妥当なのではと思ったのです。人智では知れないものが戦なのだとすれば、人の命を必要とする魔物がその時代にとり憑き、人間を非道にしてしまったのだと仮定すれば、そこには国籍や人種や宗教などは一切関係なく、ひとたび戦が始まってしまえば、道理などでは止められなくなるのも然りなのだと思いました。」
青年将校の膝の上の握りこぶしは小刻みに震え、顔は紅潮しているのがみてとれた。次郎はなぜこれほどまでに真面目に考える青年が軍人になったのか知りたくなった。
「そこまで考えるあなたは、なぜ軍人になろうと思われたのですか?」
青年将校は次郎の問いに、我に帰り笑みを浮かべた。そして、簡潔に理由を述べた。
「私は農家の三男坊ですので家を出て自身の力で生きていかなければなりません。しかし取り柄と言えば少し勉学の出来がよかった位でしたので、さらに勉学に励みなんとか陸士を目指したのです。つまりお国の為とか陛下の為とか忠義の為とかではなく、糧を得る為に軍人を目指したのです。しかしながら、先ほど述べたことは軍人にならなければ判らなかった事だとも思います。」
なるほどと、次郎は思った。
「帝国軍人がこういう事を言うのは恥じるべきことかもしれません。しかし、時代は実に無常です。結局、思い煩っただけで、何もできなないまま、また農家の三男坊からやり直しです。」
青年将校は胸の内を誰かに聞いてほしかったのかもしれない。そう思った次郎は、
「わたしも、似たようなものですよ。」
と、言うと青年将校は穏やかな表情で、
「・・・おしゃべりが過ぎましたね。すいませんでした。」
と、謝罪した。爽やかな青年だと感じた次郎は、
「いえ。貴方の気持ちはとても分かります。しかし、時代が新しく生まれ変わろうとしています。そして貴方はまだ若い。未来は希望に満ちているのではありませんか。あなたのような人は、新しい時代にとって必要だと思います。」
と言って励ますと、背筋を伸ばし凛とし、
「ありがとうございます。」
といって、一礼した。
新宿駅に着くと、空襲の被害が色濃く残っており、駅舎はバラック小屋のようであった。トタン屋根のプラットホームの下には国民服を着て風呂敷やリュックを抱えた人々でごったがえしていた。青年将校は次郎に深々とお辞儀をした後、足早に雑踏の中に消えていった。
次郎も列車を降りると、ごったがえした人々を縫うように山手線のホームに向かった。すると、晴れ渡った空から甲高いエンジン音が聞こえてきた。次郎がよく知っている火星二三型のエンジン音だった。空を見上げると、すでに機体の姿は見えなかったが白いビラが雪のように落ちてきた。そしてその一枚が次郎の足元に着地したので拾い上げると、紙面には、
「全国赤子ニ訴フ 陸海軍ハ徹底抗戦ス 一億国民ハ 我等ニ続クヲ信ズ ヤガテ内外蝦夷ノ御大詔ハ渙発セラルベシ」
と、記してあった。次郎は息をのみ愕然とした。そして、先ほど出合った青年将校の話を思い出しながらこの悲惨なる状況を見渡し思った。
「今こそ誠心英知の政治家よ、出でよ。」と。
次郎は軍部の無理難題な要求に対して苦悩してきた一人であった。そして、その軍部にも時代に翻弄されつつも懸命に義や仁について考えぬいてきた人がいる事を嬉しく思いつつ青年将校の熱い想いに耳を傾けていた。
「軍に対し不信感を抱いた私は、どうにもならない現在の状況から一歩引いて、どうして人は非情になるのか歴史的に検証してみる事にしました。日本もかつては、国取り合戦を繰り返し、名を残した武将も時には非情な手段で戦に勝利してきましたが、その時どうして同じ日本人に対しても非情になれたのか考えました。勝利する事が目的であるとするならば、勝利したいという欲望が道理を忘れ暴走する過程には何かがあるはずなのです。しかし、戦という事象はあまりにも複雑すぎて実態がつかめないのです。
物を大量に消費する事に無感覚になった人間が行きつく消費対象が同じ人間に向かうという傾向も理由として不完全ですし、消費対象となる人間から搾取できる益が最大の目的であるという理由もぼんやりしすぎているのです。そう考えると、やはり、戦とは蔦が絡まるようにいくつもの欲望が絡み合って起こったものであると考えるのが妥当なのではと思ったのです。人智では知れないものが戦なのだとすれば、人の命を必要とする魔物がその時代にとり憑き、人間を非道にしてしまったのだと仮定すれば、そこには国籍や人種や宗教などは一切関係なく、ひとたび戦が始まってしまえば、道理などでは止められなくなるのも然りなのだと思いました。」
青年将校の膝の上の握りこぶしは小刻みに震え、顔は紅潮しているのがみてとれた。次郎はなぜこれほどまでに真面目に考える青年が軍人になったのか知りたくなった。
「そこまで考えるあなたは、なぜ軍人になろうと思われたのですか?」
青年将校は次郎の問いに、我に帰り笑みを浮かべた。そして、簡潔に理由を述べた。
「私は農家の三男坊ですので家を出て自身の力で生きていかなければなりません。しかし取り柄と言えば少し勉学の出来がよかった位でしたので、さらに勉学に励みなんとか陸士を目指したのです。つまりお国の為とか陛下の為とか忠義の為とかではなく、糧を得る為に軍人を目指したのです。しかしながら、先ほど述べたことは軍人にならなければ判らなかった事だとも思います。」
なるほどと、次郎は思った。
「帝国軍人がこういう事を言うのは恥じるべきことかもしれません。しかし、時代は実に無常です。結局、思い煩っただけで、何もできなないまま、また農家の三男坊からやり直しです。」
青年将校は胸の内を誰かに聞いてほしかったのかもしれない。そう思った次郎は、
「わたしも、似たようなものですよ。」
と、言うと青年将校は穏やかな表情で、
「・・・おしゃべりが過ぎましたね。すいませんでした。」
と、謝罪した。爽やかな青年だと感じた次郎は、
「いえ。貴方の気持ちはとても分かります。しかし、時代が新しく生まれ変わろうとしています。そして貴方はまだ若い。未来は希望に満ちているのではありませんか。あなたのような人は、新しい時代にとって必要だと思います。」
と言って励ますと、背筋を伸ばし凛とし、
「ありがとうございます。」
といって、一礼した。
新宿駅に着くと、空襲の被害が色濃く残っており、駅舎はバラック小屋のようであった。トタン屋根のプラットホームの下には国民服を着て風呂敷やリュックを抱えた人々でごったがえしていた。青年将校は次郎に深々とお辞儀をした後、足早に雑踏の中に消えていった。
次郎も列車を降りると、ごったがえした人々を縫うように山手線のホームに向かった。すると、晴れ渡った空から甲高いエンジン音が聞こえてきた。次郎がよく知っている火星二三型のエンジン音だった。空を見上げると、すでに機体の姿は見えなかったが白いビラが雪のように落ちてきた。そしてその一枚が次郎の足元に着地したので拾い上げると、紙面には、
「全国赤子ニ訴フ 陸海軍ハ徹底抗戦ス 一億国民ハ 我等ニ続クヲ信ズ ヤガテ内外蝦夷ノ御大詔ハ渙発セラルベシ」
と、記してあった。次郎は息をのみ愕然とした。そして、先ほど出合った青年将校の話を思い出しながらこの悲惨なる状況を見渡し思った。
「今こそ誠心英知の政治家よ、出でよ。」と。