「あの戦争と日本人」の中で面白いところを見つけました。
12月8日真珠湾攻撃が発表された時多くの日本人がそれをどう受け止めたか、記録が残されている。半藤氏の概評によると多くの日本人の中に「尊王攘夷」の思想が残っていて,こいつが時々頭を持ち上げると云います。開戦の時も当時の有名論者は一様に攘夷賛成,
戦後進歩派として論陣を張っていた清水幾太郎氏も「便秘から悪性の下痢になり脱水症状に陥り、終には死に至るかもしれないという危険を遠くに感じながら、しかし、長い間の苦しい便秘の後にようやく便通があったという感じであった」と答えている。危機に際して「尊王攘夷」が顔を出した瞬間である。
軍縮交渉から、石油の輸出制限などの外交の失敗がここにいう便秘だろう。島国特有の視野の狭さが日本の外交官の稚拙を生みました。
本当に現在も我が国の外交は、お粗末である。もう少し勉強してから「あの戦争と日本人」の問題を外交の面から考えてみます。交渉相手の本音や弱点がよくわからなくて自己主張ばかりして決裂するわけです。顧問外交官を雇ってキリスト教文化や相手国の世論の動向を分析してもらう必要がある、うっかりすると、外国人顧問が二重スパイになることもあるので、こちらの情報網もしっかりしていないと危ないですが。
もう一つ忘れてならないことは、日露戦争に勝った経験の正しい勝因分析が不足していたことです。いわゆる国力、国民総生産でいうと日本は2億、ロシアは20億で10倍の差があり、銑鉄の生産量でいうと、ロシアが年間294万トンで日本が2万トンで100分の1にも達していません。福岡県に製鉄所を造って追いつこうとしましたが、それが、動き出したのは明治34年でした。日露戦争でロシアのバルチック艦隊と戦った日本海軍の戦艦は皆イギリスから買ったもの、その費用捻出のため、国家公務員は一括10パーセントの給料削減、天引きされた費用は全て戦艦購入費に回されました。日露戦争ではそのイギリスが自分の大切な貿易相手国ということで、日本に味方してくれて、バルチック艦隊は日本海に来るまでにひどく歳月を要し疲労困憊で到着したところで日本海軍と戦ったわけです。この経験をも基に国力さ10倍以上のアメリカとの戦争でも勝てると信じたのも軽率でした。明治時代は日清日露と戦争ばかりで、一応勝ってきましたが国民生活は貧困に喘いでいました。産業の近代化がおくれたからです。この国民の貧困を救うために政府が考えたのが100年前の先進国が行った植民地獲得作戦で満州国をつくり貧農を移民させようとしました。こうして、太平洋戦争の種が蒔かれた訳です。古い価値基準で国策を考えるとひどい仕打ちが待っています。この意味で政治と外交の大切さに国民は目覚めるべきだと思います。