春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
《以上ネットで検索しました。)
節分が過ぎ、今まさにこの歌詞の通りの季節で風が冷たく身震いします。
僕はこの歌を思い出すといつも、セーラー服の女性合唱が音楽室の方から聞こえて来た情景を思い出します。僕の母もこの歌を口ずさんでいました。
多分明治・大正・昭和初年に掛けて小学校高学年か、女学校の唱歌の定番であったと思われます。日本文化の基盤と云いますか地下水と云いますかこうした宝物まで敗戦によって捨て去ってしまったことが残念でなりません。
文科省学習指導要領を審議しておられる面々の軽薄さにあきれるばかりです。戦争に負けたからと云って阿呆くさいアメリカの真似をしてどうしようというのでしょうか。
平安時代や室町時代から育まれてきた日本文化の豊かな感受性や美意識を大切に義務教育で教えずして異国の真似をしようと云う輩は直ちにお引き取り願いたいものです。まして、人気アニメの主題歌を学校の音楽の時間に教えるなど子どもへの迎合、流行への迎合以外の何物でもないと思われます。ちょっと若い人に最近の様子を聴こうと今日、お風呂でケアーのオバサンたちに「中学校で早春賦という歌を習った?と聞いたら、学校でどんな歌を習ったか一つも覚えていないとのことであった。軽薄な迎合教育の実態だ。だんだん暗い気持ちになってきた。(T)