学生時代、ただ何となく気の合った友人が集まって「読書会」というのをやっていた。伝統もなく自治会からの補助金もない泡沫的なサークル活動と云う奴だった。
ルールは簡単で皆に推薦したい自分の好きな本[文庫本程度》を云い次回までにみんなで読んできて感想を言い合い、帰宅時間になるとそのまま屋台店に席を移し安酒を飲みながらワイワイ言い合うというサークルであった。
哲学科の友人はいわゆるマルクス主義と云われる主義の基本文献を推薦し国語科の女子学生は詩集などを推薦した。そんな会合で読まされ僕が一気に好きになった詩人がいます。「吉野弘」さんです。先日アマゾンで遊んでいて「吉野弘詩集を見つけ早速注文しましたらその本が今日届きました。その詩集から好きな詩を一つ書きます。丁度今の季節の詩だと思います。
春 二月の小舟
冬を運び出すには
小さすぎる舟です。
春を運び込むにしても
小さすぎる舟です
ですから、時間が掛かるでしょう
冬が春になるまでには
川の胸乳(むなじ)がふくらむまでには
まだまだ、時間がかかるでしょう。
作者の吉野弘さんは大正15年、山形県酒田市で生まれ、酒田尋常小学校を総代で卒業、昭和13年酒田市立商業学校に入学しておられます。昭和17年戦時のため商業学校を繰り上げ卒業となり、昭和18年帝国石油に入社しておられます。昭和32年31歳のとき、処女詩集「消息」を刊行しておられます。その間特に詩の勉強をされたり、同好の士と研究会をされたとか先生を囲んで指導を受けられとかいうことは特になかったようです。勿論雑誌を購読されたり推敲に推敲を重ねて詩を書きためたりしておられたとは思いますが、もはや天与の才能に恵まれた詩人であったと思われます。
山形県とと云えばシベリヤ方面から吹き付ける北風が日本海を渡ってくる間にたっぷり水分を含みその風が本州の背骨ともいえる山々に突き当たりそれを超えるために上空へ向かう。そのとき水分が雪になって吐き出されるので県全体が豪雪地帯となります。詩人吉野青年は一面の雪で埋まった田畑を見ながらこの冬を船で運び出すとイメージして春を待ったのでしょう。(T)