奇抜なタイトルになってしまいましたが、ここ「有料老人ホーム」に新しい男のスタッフが入られ、少し怪しげな日本語を話される。そこで「お国は何処ですか」と聞いたところ「カンボジャです」と云われた。
カンボジャは多分フランスの植民地だったような気がして黙った。
イギリスの植民地だったら、早速僕の怪しげな英語でいろいろお聞きし、退屈しのぎにしたいところだが、フランスでは手も足も出ない。
そこで。家内も巻き込みカンボジャの位置から首都からいろいろ思い出し、今度彼が来たらいろいろ訊き出し雑学の1ページにしようと調べ始めた。
インドシナ半島の太平洋側にベトナムがあり、第二次世界大戦の戦後左翼系の独立運動が起こり、フランスが持ちこたえられなくなって、アメリカが介入、そのアメリカも地上戦では苦戦し、ジャングルに枯葉剤を撒いたとか国際法に違反する戦法をとったとか。
長い間話題になっていた「べ平連」と云う言葉の生み出した世界政治の焦点になっていた国のお隣がカンボジャでした。
ベトナムを裏で支えたのが中国で、まあ、米ソの代理戦争の様な様相を見せていた国である。今度彼が顔を見せたら今の様子を沢山聞きたいと思っている。ベトナム戦争の頃のことは彼は若くて良く知らないだろうと思われる。
日本にまで働きにきているということは、彼の血の中に日本人の血が少し混じっていて、さらに、カンボジャでは仕事が無いのでしょう。また訊けたら報告します。最も彼の仕事の邪魔になっては申し訳ないので、うまく時間が取れることを祈りながら、ということになります。
追記:発展途上国の人が日本に仕事を求めて働きに来ることをどう受け止めるか、難しい問題である。
第一次世界大戦の後、ヨーロッパ各国が溢れる失業者と食糧難で悩んでいた時いち早く復興し好景気を満喫した国がドイツであった。
そこへ、ヨーロッパ各国から失業者がどっと流れ込み、産業界は潤ったが、国家は大変な荷物を背負いこんだ。ドイツ語が分からない子供が増え、彼らが大きくなると就職できず、強力な強盗団になっていったのである。
そこで、ドイツは国籍のない人の就業を禁じ、難民に関しては審査し合格した者だけを語学研修を行い、試験に合格したものだけ就職をみとめ、他の者は祖国へ送り返すという政策をとった。
我が国は四方が海だから難民が流れ込む量は少ないが、北朝鮮が荒れると小さな木造船で日本海へ難民があふれ、彼らが日本を目指すとすると大変な事になる。人道上は彼らを助けなければならないが、そのコストは桁外れに大きいからだ。
何とか穏やかな交渉によって、相互援助の道はひらけないものだろうか。アメリカのトランプ政権の誕生もややこしい話だ。こんな時代だからこそ外務省の官僚や政治家に頑張ってもらいたいとねがうものである。(T)