かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「誕生日」

2017-04-11 | 気ままなる日々の記録

 先週76歳の誕生日を迎えた70歳過ぎてからはあっという間に1年が過ぎてしまうようで何とも複雑な気持ちになる。それでもことしは、例年より多くの方々に祝って戴いて、之はこれでとても嬉しい。

 想定外は2歳違いの妹と主人からである。妹も主人も毎年祝ってくれるわけではない。三重に住む妹からは冷蔵でお赤飯がとどいた。南天の葉や黒ゴマ塩も添えて。感激したのは言うまでもない。他にもいろいろ入っていたが、柚子のジャムにはびっくりした。一般的な甘夏のママレードも手間がかかるが、それより小さい柚子で作ったとは、どんなにか時間が必要だったことだろう。

 主人からのプレゼントは何と森永キャラメル3粒。最初は笑ってしまったが、これがどれほど意味が深いか、徐々に分かってきた。

 数か月前私が低血糖に陥って、とても苦しんでいたことを、脳のどこかで記憶していてくれたに違いないと、思い始めたからだ。

 次に自分から進んで売店へ買い物に行くと云うのも初めての経験。お金も持っていないはずなのにと不思議に思ってしまう。

 ある日主人が引き出しを開けたら昔使っていた財布が出てきたという。その中に大金が入っていてそれを持ってかいに出かけたというのだ。財布が入っていることは知っていたが、大金が入っていたとは全く知らなかった。

 トータルで10箱買ったと本人は言っていたが私は本気にしなかった。ところがその後キャラメル騒動がおき、思わぬところから10箱ー2箱=8箱が本当に出てきたのである。(E)

     

                                                     妹から届いたマーマレード

 

 

 

 

 


子供時代の思い出

2017-04-11 | 気ままなる日々の記録

  オソマツ君には、1歳年上の兄がいる。小学校高学年になるまで、オソマツ君は兄のあとをついて回っていた。

  近くのお寺の縁日には二人とも50銭ぐらいお小遣いを貰って、小さなテントを張った出店を見て回り、合計が50銭以下になるように計画を立ててから、 キャラメルや玩具を買った。

 そこには、よく見世物小屋が立てられ、サーカスやロクロク首などが行われていた。

 ロクロク首というのは可愛い顔の女の子の首がどんどん長くなり蛇のようにくねくねまがって、それでもかわいい女の子は瞬きをし、 ときどき可愛い声で「イヤアーン」という。これを見るにはお金を払ってテントに入れて貰い椅子に腰かけて鑑賞しないといけない。 それでも、探すと隙間からロクロク首がみえるところがあって、子供たちはその場所の取り合いをして覗いたたものだった。

 僕たち兄弟は其れは観なかった。入場料が50銭で此処へ入ったらあとなにも買えなくなってしまう。

兄は後半時々、残りの手持ち金を出させそれをキチンと二人に分けて配分した。

そして「お母ちゃんが、よく二人仲良く半分ずつ分けなさい」といっているから。「これでいいな」といっていた。

 だがよく考えて観ると兄の方が沢山飴を舐めていた。当時も今と同じ森永のミルク飴だった。兄は何時もこれを二粒づつ口に入れぐちゃぎちゃ舐めていた。だから、残りは僕の方が多い。その残りを出し合って二等分すればぼくの方が損をしている。

 しかし、当時はこれが分からなかった。いつも二等分しているから、全体としても半分ずつになっていると思われた。森永ミルク飴の箱はその頃と変わっていない。

 部屋の掃除のおばさんに「僕、子供帰りしてしまって、これが美味しいの。おばさんも食べてみてください」といってあげたら大変喜ばれた。オバサンも子供の頃森永のミルク飴が好きだったそうだ。ぼくの記憶で箱のデザインも変わっていない。森永さんの伝統重視の経営方針に敬服!脱帽・敬礼!である。(T)

    

                                               ふきのとう