goo blog サービス終了のお知らせ 

かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

頭のいい人の言うことには要注意だ!

2015-07-07 | 気ままなる日々の記録

今、、暇に飽かせて「重力とは何か」《幻冬舎新書》と云う本を読んでいます。

 そこに出てくる話ですが、今話題のギリシャ時代の哲学者アリストテレスは、どの物質にも本来の場所に戻りたがる性質が、ある」と考えたといいます餌を探しに行っていた鳥が夕方自分の巣に戻るのも、手をはなすと石が地面に落ちるのもその性質による。と説明したと云います。

  石の本来あるべき場所は土の中でと考えられるからだそうです。驚きました。石も鳥も同じ性質によって動いているとは。しかもそれを、当時のギリシャ人は信じたと云います。

何しろ、アリストテレス様ですからね。当時はすべての物は,火、水、土、空気、の四つの要素からできていると考えられていましたのでそれなりに、筋は通っています。

  私が驚くのは鳥が巣に帰るのも石が地面に落ちるのも同じ力によると思いつく想像力です。この想像力によって頭のいい人はどれほど凡人をだましてきたことか。そして凡人は人類の歴史の中でいつも騙され続けてきました。 

  今日的には特に政治の世界と経済学の世界でこれが多く見られます。

 景気刺激策とかで、3兆円ぐらいばらまき、これによって景気が良くなると企業の収益が改善して所得税が自然増収になり3兆円ぐらいすぐに返せるという話で赤字国債を発行したが、全然税の増収はなく赤字国債だけが残ったという話はどこの国でしたか。しかも、赤字国債の発行残高が1千兆円にもなっていると云います。消費税を上げて毎年5兆円ずつ返しても200年もかかります。

 あの時うまい話を言いふらした人をはっきりさせ、責任を追及しないとアメリカと戦争を始めたときよりみじめな結果が予想されます。インフレにして貨幣価値を下げて借金を返せばいいといいますがお金を貸したのも国債を買ったのも日本国民であることをお忘れなく。頭が痛いですね。以上、下流老人の呟きより。


反省頻りです。

2015-07-06 | 気ままなる日々の記録

昨夜ぼんやりテレビを見てたら、確かに見たことがある。年配の俳優さんが話をしていた。

 この俳優さんは、いつも自分がズッコケて一緒に仕事をしている他の俳優さんや、カメラさんや、カメラ助手さんたちを笑わせようと努力しているのだそうだ。

 その人曰く「僕が最年長だから、少しふざけていても誰も怒ったりしない。もしうまくいって、皆が笑ってくれれば皆が、この仕事が楽しくなるし、仲良くなるのも早い。だから、いつも僕は最年長だということを利用して皆を笑わせようとしているんだ」と。

  この人はさらに司会者に尋ねられて。年配者がしてはならないこととして次のように言っていた。①昔話をすること②若い人を批判すること③自慢話をすること。自分が若いころ同じスタジオで仕事をしていた先輩に①~③ばかりの人がいて厭だったので自分が年配者になったときそうならないように気を付けているとのことであった。オソマツ君は聞いていてだんだん暗い気持ちになった。自分のブログがまさしく①~③ばかりのような気がしてきたからである。まだまだ修行が必要である。研ぎ澄ました感性や洞察力で建設的なブログにし、読者が楽しんでくださるものにしたいものだ。


ああ無情!

2015-07-02 | 気ままなる日々の記録

ここ数日蓮池に鴨の雛を見に行っても蓮の葉蔭に隠れてしまっているのかついに見つけることができず、親もいなくてガッカリして帰ることが数回ありましたが、 今日は雛が死んだという噂を聞きました。

 池の清掃をしている人とか此処のスタッフとかの確実な証言ではなく噂みたいに「とかいう話ですが」という声でした。でも、残念でなりませんが多分雛用の餌が不足していたのではないかと推定しています。

 オソマツ君が子どもの頃、家で鶏を飼っていて、毎年10羽前後、卵から雛を誕生させていましたので、抱卵から雛が孵り、雛が大きくなるまでに世話の仕方はよく見て知っていました。雛はもう翌日からよく、粟の実を食べ、水をよく飲んでいました。だから、鴨の雛も孵化した翌日くらいからメダカ等の小魚を食べるものと思われますが、この蓮池には小魚がいません。全部鯉がたべてしまっているようです大きな鯉と鴨の雛との同居は無理があると思われます。池に金網を張り鯉の住む場所を制限し、残りの部分は水鳥の楽園にしたいものです。鯉の餌を砕いて水面に撒くだけでも雛は食べたかもしれないと思ったりしています。今の時代ネットで検索しても名古屋水族館に問い合わせても、およその飼育方法はすぐに調べられるのに、とも思えます。いずれにしても、短い命だった雛たちのご冥福を祈りたいものです。


蓮池の近況

2015-07-01 | 気ままなる日々の記録

蓮池の近況

 

ここの蓮は「大賀蓮」のしそんだそうです。大賀蓮(おおがはす)というのは、昭和27年ごろ、落合遺跡《弥生遺跡》から発見された壺の中に米を始めいろいろな種が発見されました。発見の状況から、この時代の農家の種壺だったと思われ、蓮も当時は田圃の片隅で栽培されていた可能性が出てきたわけです。

 そこで、古代生物学のご専門の大賀博士が、その遺跡をもっと丹念に発掘すればもっと多くの蓮を始めいろいろな種が発見できるかもしれないと考えられ、自分の研究費を投じてボランティアや中学生の協力を仰いで発掘されたそうです。ところが、大きな発見もなく、今日が最後と云う日に女子中学生が一粒と少し違う泥炭層から二粒蓮の種が発見されたそうです。博士は大喜びされ早速発芽実験に挑まれ一粒だけ発芽し、花を咲かせ実も結びました。この実の子孫を「大賀蓮」と呼んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


若者言葉に戸惑っています。

2015-07-01 | 気ままなる日々の記録

この施設にはお風呂を始め、沢山の若い人たちが働いてお見えになり、また、沢山のおばさんたちも、すぐに若者言葉マスターされいつの間にか若者言葉を話しておられます。例えば○○とかと、とにかく、やたら「とか」が入ります。「おゆとか入れていいですか?」「タオルとか、使いますか?」この調子だと名詞の後には全部「とか」が付きそうないきおいです。本とか読みますか?」「ご飯とかたべますか?」といった調子である。

もう一つは「立ってもらっていいですか?」と云う言い方である。普通なら「立ってください」と云うところをこういうのである。「頭拭いてもらっていいですか?」といわれるとオソマツ君は誰の頭を?と訊き返しそうになる。普通なら「頭を拭いてください」というところである。これが、命令口調でいやだというのだろうか、しかし、依頼であって、命令ではない、急に「○○してもらっていいですか?」と云って相手を尊敬している振りをしてもすでに、馬脚は現れているというものである。

そういえば、最近のNHKのテレビドラマもやたら口論が多い。家族での口論、親しい友人同士の口論。こんな口論するはずがない、と思える場面で声を荒げて口論している。そうしないと、ドラマがすすまないからである。これはもう、シナリオがオソマツとしか言いようがない。子どもが親に向かって、あるいは、親が子どもに向かってこんな言葉使いで口論している家庭があるだろうかと疑わしいような、場面を放送している。堕落と云うか、ドラマの劣化というか、青少年に与える悪影響も気になります。テレビドラマの質的向上を願わずにはおられない。多分漫画の世界の影響ではないかとおもわれます。劇画の世界っでは、突然、大きな活字が躍り出したり、破顔の顔が描かれたりします。それが、ドラマの世界に忍び込んだのかもしれません。どうか、どうか、せめてNHKだけでも上品さとか、文化の薫り高いドラマつくりに励んでいただきたいと思っています。