今日は日曜日、朝食を済ませて7時半ごろ「館内散歩と称して、例の5階の角の大きな所へ出かけ国道41号線や周辺の田畑を見た。驚いたことが二つあった。国道41号線の交通量が少なく、閑散としていたことと田畑にも人影がなく、どこか、奇異に感じたことだ。トラック野郎さんたちも、農家のオジサンたちも日曜日は仕事を休むという習慣が定着したようだ。
キリスト教文化圏だと日曜日の午前は教会へ出かけ、牧師のお説教を聴き神様にお祈りをするところだが、我が国にはキリスト教がそこまで入っていない。農家も日曜日には田畑へ出ないということが生活習慣として定着したようだ。
僕が子どもの頃農家には日曜日も土曜日もなかった。その意味で我が国も豊かになったものだと感慨一入(ひとしお)だった。オソマツ君のように、定年退職して、正に毎日が日曜日のくせに、7日に一度の日曜日を喜ぶには「貧乏壁のみほん」だと、苦笑して館内散歩を楽しんだ。
個人的な趣味を持つ今の中高生が大人になってどんな日本を構築するか楽しみだ。占領軍総司令官マッカーサー元帥から12歳の少年と呼ばれたわが国であった。
昭和16年12月8日我が国は太平洋上の真珠湾と、大西洋と太平洋のさかえにあった、シンガポールを予告なしで攻撃しアメリカとイギリスを敵に回した。その前国際連盟で軍縮会議が開かれ我が国が保有を認められたのは思いのほか少ない艦船数でそれに腹を立てたこうげきであったのだが、そんなダダッコのような反応が国際的に認められるはずもなく我が国の大都市は焼け野原になり、広島と長崎の市民に多大な犠牲者をだし「無条件幸福」を余儀なくされた。我が国は少しは国際的な感性を身に付けただろうか。
け
前庭のムスカリ