かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

世の中が確かに大きく変わった。

2017-04-02 | 気ままなる日々の記録

   今日は日曜日、朝食を済ませて7時半ごろ「館内散歩と称して、例の5階の角の大きな所へ出かけ国道41号線や周辺の田畑を見た。驚いたことが二つあった。国道41号線の交通量が少なく、閑散としていたことと田畑にも人影がなく、どこか、奇異に感じたことだ。トラック野郎さんたちも、農家のオジサンたちも日曜日は仕事を休むという習慣が定着したようだ。

 キリスト教文化圏だと日曜日の午前は教会へ出かけ、牧師のお説教を聴き神様にお祈りをするところだが、我が国にはキリスト教がそこまで入っていない。農家も日曜日には田畑へ出ないということが生活習慣として定着したようだ。

 僕が子どもの頃農家には日曜日も土曜日もなかった。その意味で我が国も豊かになったものだと感慨一入(ひとしお)だった。オソマツ君のように、定年退職して、正に毎日が日曜日のくせに、7日に一度の日曜日を喜ぶには「貧乏壁のみほん」だと、苦笑して館内散歩を楽しんだ。

 個人的な趣味を持つ今の中高生が大人になってどんな日本を構築するか楽しみだ。占領軍総司令官マッカーサー元帥から12歳の少年と呼ばれたわが国であった。

 昭和16年12月8日我が国は太平洋上の真珠湾と、大西洋と太平洋のさかえにあった、シンガポールを予告なしで攻撃しアメリカとイギリスを敵に回した。その前国際連盟で軍縮会議が開かれ我が国が保有を認められたのは思いのほか少ない艦船数でそれに腹を立てたこうげきであったのだが、そんなダダッコのような反応が国際的に認められるはずもなく我が国の大都市は焼け野原になり、広島と長崎の市民に多大な犠牲者をだし「無条件幸福」を余儀なくされた。我が国は少しは国際的な感性を身に付けただろうか。

け    

                                                                     前庭のムスカリ


気象情報

2017-04-01 | 気ままなる日々の記録

   私は天気予報の番組を見るのが好きであるつい最近まで、”天気予報"、"天気予報"と云っていたら「今は天気予報とは云わないで、気象情報というよ」と注意を受けた。よく見ると番組の始め画面に”気象情報”とでるから替わったのは確からしい。何時からかわったのだろうか全然きずかないでいた。新聞ではと思って見るとほとんどが”天気”で出ている。どちらでもよいような気がするが、新しい言葉が出てくると、元の言葉がだんだん古臭く思えてくるから不思議である

 夕食が終わった後しばらく休憩していると、6時52分の”気象情報”の番組が始まる。気象情報は何時もこれだけを見ていることが多い。テレビを見る時間は6時52分から7時 7時30分から8時30分だけである。部屋にいる確率が高い時間なので、ついついこの時間帯が定着したらしい。

 どうして気象情報が重要かというと、翌日の日光浴の時間を選ばなくてはいけないから。晴れて風が無くて気温が高い時間帯が必要なのだ。NHKでは3時間ごとの様子がマークとなって出るから一目で分かる。他は風と気温を見ればよい。

 今の時期は蓮池周辺をウオーキングしたりベンチで日光浴したりする。なるべく二人一緒にと心がけているが、一人のこともある。予報と晴れの時間が一致すると納得する。晴れの時間が予報より長いと得をした気になるし、短いとがっかりして気持ちが塞ぐ。

 日光浴は兎に角私にとっては、一日の内で変化のある寛ぎの一時となっていることは確かだ。また皮膚病予防のため欠かすことができない重要な時間でもある。

      

                                                              蓮池のラッパ水仙