どうでもいいことだけど、今年の正月2日で87歳に
なった父は、今でも好奇心が旺盛で、毎日ごばんに向かって
いるか庭いじり以外は、本を読んだりしている。ときどきひとりごと
のように「なるへそ・・」なんて何かを学んでいるようだ。
昨日は、みかみくんがおいていったとある「煎茶道」の家元の本を読んでみた。
もともと、体制とか権力におもねることなく、文人や芸術家たちが、自由に
形にもこだわらず、煎茶を楽しんでいたので、「文人茶」とか「批判茶」
とかいわれた。その自由さ、融通無碍さが、いい。
清貧をつらぬいた文人たちは、煎茶碗でお茶も酒も飲んだし、酒肴を盛ったに違いない。
だから「煎茶道」という道には、酒道と茶道と飯道と、三つの「道」
が内包されているらしい。「なるへそ」と合点した。
これまでみたいに、金にものをいわせて、世界中のおいしいものを食べたり飲んだり
する時代ではなくなったけど、工夫したり、こころのおきどころをかえたりしたら、
楽しい宴は、金がなくても充分できる。おいしいものを食べる、よりも、おいしく食べる。
その極意は「気のおけない仲間や家族で食べる」につきる。
今日は「英語でそば会」
この会は、20世紀の末から、池袋で始まった会。
「おいしく食べる」の原点みたいな会だ。英語はなかなか上達できないけど、
人間力は、アップしているに違いない。
明日は「かっぽれ」
芸が身を助ける・・・そんな手ごたえを感じながら、楽しんでいる。
今年は「動」が大事だと思う。頭で考えていても、すすまない。
一歩、が、はじまり。
なった父は、今でも好奇心が旺盛で、毎日ごばんに向かって
いるか庭いじり以外は、本を読んだりしている。ときどきひとりごと
のように「なるへそ・・」なんて何かを学んでいるようだ。
昨日は、みかみくんがおいていったとある「煎茶道」の家元の本を読んでみた。
もともと、体制とか権力におもねることなく、文人や芸術家たちが、自由に
形にもこだわらず、煎茶を楽しんでいたので、「文人茶」とか「批判茶」
とかいわれた。その自由さ、融通無碍さが、いい。
清貧をつらぬいた文人たちは、煎茶碗でお茶も酒も飲んだし、酒肴を盛ったに違いない。
だから「煎茶道」という道には、酒道と茶道と飯道と、三つの「道」
が内包されているらしい。「なるへそ」と合点した。
これまでみたいに、金にものをいわせて、世界中のおいしいものを食べたり飲んだり
する時代ではなくなったけど、工夫したり、こころのおきどころをかえたりしたら、
楽しい宴は、金がなくても充分できる。おいしいものを食べる、よりも、おいしく食べる。
その極意は「気のおけない仲間や家族で食べる」につきる。
今日は「英語でそば会」
この会は、20世紀の末から、池袋で始まった会。
「おいしく食べる」の原点みたいな会だ。英語はなかなか上達できないけど、
人間力は、アップしているに違いない。
明日は「かっぽれ」
芸が身を助ける・・・そんな手ごたえを感じながら、楽しんでいる。
今年は「動」が大事だと思う。頭で考えていても、すすまない。
一歩、が、はじまり。