昨日は煎茶のお稽古に表参道にいく。織田流煎茶道。
昼間神保町の古本屋で、「織田有楽斎」の本を見つけ、古い喫茶店に
入って読む。
有楽町というのは、織田有楽斎の江戸屋敷があった場所から命名された。
織田信長の弟であり、本能寺の変の時に本能寺にいて命を拾い、後に
秀吉の天下の時代は、茶茶姫の後見人として生き、関ヶ原の合戦では、
東軍について、命を紡いできた。武人というよりは、文人であり、茶人
だった。最後は、京都の建仁寺に如庵という茶室をつくり、その末院・正伝寺
に眠っている。信長の兄弟で、畳の上で死ねたのは、有楽斎だけだ。
彼のお茶の指南をしたのが、平手正秀。京の形にこだわったお茶でなく、融通無碍
な尾張武家茶である。そんなことから晩年は京都に隠居しながら、煎茶も楽しんで
いた、ということがわかった。
如庵は、いろいろな不思議な運命をたどり、今は岐阜の犬山城の中に
移築されている。
今日はスケッチの日。今年の冬は、「あたたかい蕎麦」を、メニュー
に加えたいと思っている。先週試作した「すじえもん蕎麦」は、
美味いけど、どちらかというと、酒肴にしたい蕎麦。
今日は5時から蕎麦を打ちながら、角煮をやってみた。
スケッチの人たちに、試食してもらおう。
ぼくは、角煮をおでんみたいに和辛子をつけて、きんきんに冷えた焼酎を
グラスについで、飲む、というのが好きだ。
昼間神保町の古本屋で、「織田有楽斎」の本を見つけ、古い喫茶店に
入って読む。
有楽町というのは、織田有楽斎の江戸屋敷があった場所から命名された。
織田信長の弟であり、本能寺の変の時に本能寺にいて命を拾い、後に
秀吉の天下の時代は、茶茶姫の後見人として生き、関ヶ原の合戦では、
東軍について、命を紡いできた。武人というよりは、文人であり、茶人
だった。最後は、京都の建仁寺に如庵という茶室をつくり、その末院・正伝寺
に眠っている。信長の兄弟で、畳の上で死ねたのは、有楽斎だけだ。
彼のお茶の指南をしたのが、平手正秀。京の形にこだわったお茶でなく、融通無碍
な尾張武家茶である。そんなことから晩年は京都に隠居しながら、煎茶も楽しんで
いた、ということがわかった。
如庵は、いろいろな不思議な運命をたどり、今は岐阜の犬山城の中に
移築されている。
今日はスケッチの日。今年の冬は、「あたたかい蕎麦」を、メニュー
に加えたいと思っている。先週試作した「すじえもん蕎麦」は、
美味いけど、どちらかというと、酒肴にしたい蕎麦。
今日は5時から蕎麦を打ちながら、角煮をやってみた。
スケッチの人たちに、試食してもらおう。
ぼくは、角煮をおでんみたいに和辛子をつけて、きんきんに冷えた焼酎を
グラスについで、飲む、というのが好きだ。