長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

喫茶去

2013-04-12 08:07:15 | Weblog
昨日、喫茶去、と書いた看板をお店のはじっこにかかげた。
匿名性のない下町。さっそく5分後に、近くのせんべいやさんのおばちゃん
が、「このキッサコ、誰が書いたの?」とこられた。右から書いて
あるのに「キッサコ」と読めるのがすごい。もっともここの娘さんは、
書家なので、こんなことで驚いていたら、この街には住めない?
喫茶去は、禅語で「まあ、一服どうぞ」というただそれでけの意味だが、生活の中で、
お茶を一服する、またはもてなしをする、という所作の中にいろいろ
奥深いこころずかいや、風雅や、味わいがある。珈琲やお茶を供するお店を「喫茶店」
としたのは、先人のすばらしい命名だと思う。

その後、焙煎をしていたら、Mくんが「渡したい本がある」ということで入ってきた。
まだ読んでいないが、「この人、午後のもてなし」という本で、表紙に蓮月焼きの急須、
茶碗がきれいに映っている。さっそく、二階で太田垣蓮月の急須で玉露を入れる。
お菓子は、山田屋まんじゅう、とうのが「天真庵の午後のもてなし」
Mくんには、お花の原田先生を紹介してもらった恩がある。お店の営業時間には
現れることは稀有だが、ときどき、オフの時間に焙煎の匂いなどをかぐと、すーっと
隙間から入り込む風のように、知らぬ間にそこに「居る」人だ。
やはり禅のことばに「居」というのがある。今、こうして、ここに居る、ということを
感謝する。ただそれだけの意味だけど、「信じる」ことを前提としたあまたの宗教の
中にあって、一番入りやすい「門」みたいなことば。

今日は「ねんど」
みくちゃんが小学校6年生になった。ゆずも六年生。
子どもの成長を見ていると、宇宙みたいに広がりがあってたのし。

明日は「インヨガ」
このヨガがはじまって、入ってくる人たちの「門」のはばが変わった。
大道無門、なにかをやりたいと思ったら、経験とか才能とか年とか男女とか
関係なく、門もいらない。「やりたい」と思ったところが入り口。

14日(日)が「蕎麦打ち」&「なんとなく蕎麦を喰う会」
この日は女子限定。
28日(日)が男子限定。