昨日、関西の小雑誌を読んでいたら、「男はどうでも
いいような細かいところにこだわりすぎる」
みたいな一文があった。思わず@「そうだ」とうなずく。
こだわる部分にもよるけど、いろいろな分野で「座標軸」
がしっかりしていないため、言ったものがち、や、無手勝手流が
横行しすぎてることは否めない。そんな中にあって、天地自然の理(ことわり)
みたいなことを直感を信じてすすんでいくことが、なんやら大事なことでは
なかろうか、と思う今日このごろ。
3日間、京都の人らと終日(ひねもす)お話をしていたら、若いころに
下賀茂のお店で珈琲の勉強をしていたころを懐かしくなった。
今日は「卵かけごはん」
あまりこだわりはないけど、お米のとぎ方というのは、諸説あるけど、
水で洗う、という簡素な所作の中に、日本人が大切にしてきた「理」がある。
「料理」とは、よくいったもんだ。お米には七つの神様があいるらしい。
お米ばなれに歯止めがきかないみたいだけど、こんなに美味い食べ物は、この
星にふたつとない。いつものように、静岡の名水「硯水泉」で炊いた。
押上界隈の珈琲は、この水を使っているとこが多い。うちの水だし珈琲
もそう。
今日は「論語の会」の予定だったけど、先生の都合で29日(月)
に変更。
明日は「お仕覆」
水曜日は「落語」
木曜日が「インヨガ」
なんやかんやで、休みなしの春うらら。
春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな 蕪村
いいような細かいところにこだわりすぎる」
みたいな一文があった。思わず@「そうだ」とうなずく。
こだわる部分にもよるけど、いろいろな分野で「座標軸」
がしっかりしていないため、言ったものがち、や、無手勝手流が
横行しすぎてることは否めない。そんな中にあって、天地自然の理(ことわり)
みたいなことを直感を信じてすすんでいくことが、なんやら大事なことでは
なかろうか、と思う今日このごろ。
3日間、京都の人らと終日(ひねもす)お話をしていたら、若いころに
下賀茂のお店で珈琲の勉強をしていたころを懐かしくなった。
今日は「卵かけごはん」
あまりこだわりはないけど、お米のとぎ方というのは、諸説あるけど、
水で洗う、という簡素な所作の中に、日本人が大切にしてきた「理」がある。
「料理」とは、よくいったもんだ。お米には七つの神様があいるらしい。
お米ばなれに歯止めがきかないみたいだけど、こんなに美味い食べ物は、この
星にふたつとない。いつものように、静岡の名水「硯水泉」で炊いた。
押上界隈の珈琲は、この水を使っているとこが多い。うちの水だし珈琲
もそう。
今日は「論語の会」の予定だったけど、先生の都合で29日(月)
に変更。
明日は「お仕覆」
水曜日は「落語」
木曜日が「インヨガ」
なんやかんやで、休みなしの春うらら。
春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな 蕪村