月曜日は台風の影響があり、書の会をお休みにした。
そのまま車で、東京を脱出。中央道で岐阜までいってきた。
美濃は、焼き物の町で、陶芸家など知り合いも多く、よく遊び
にいくとこだが、美濃賀茂、というとこははじめていった。
空気も水もきれいで、野菜や果物もおいしく、お世話になった友人宅の二階から
見える夜景は「100万両の夜景」だった。おもてなしも、100万両。感謝。
犬山城にひさしぶりにいった。大学時代に、福岡の大学に通う友達が、可児市の女性
に惚れて、ぼくが京都でのっていおんぼろ車にのって、通った時期があり、
一度犬山城にきたことがある。十年一昔というけど、あれから40年になる。その後友達の
嫁さんになった人も、昨年天国に召された。こんどいくのが40年後だったら、もうきっとこの世にいないかもなんばん。
犬山城のそばに国宝の茶室「如庵」がある。織田流煎茶道の祖であり、有楽流の祖である
織田有楽が京都建仁寺の隠居場に立てた茶室。その後三井家に嫁ぎ、戦中は大磯に疎開し、
その後、有楽の故郷に帰ってきた。通り雨で庭の緑が、鳥の声と合唱を楽しんでいるようなところで、
お茶を一服させていただいた。400年以上昔、戦国の時代で、明日をも知れぬ毎日の中で、先人たちは、
「いまここ」に生かされている命に感謝しながら、その刹那の一服を楽しんでいた。
縁あって、織田流煎茶道を学び、かわいらしいくらいできのわるい弟子があまたお茶を学びにくるようになった。
お店の器やお茶の器は、久保さんに作ってもらっている。黄瀬戸・織部・志野がほとんどだが、みな美濃が源流である。
お抹茶を飲み干すと、たまりに「夢」という文字が見えた。
「そうだ、久保さんに織部ですすり茶椀をつくってもらおう」ととっさに思った。そして、来年から「梅をとりにくる」
と約束した美濃賀茂にて、すすり茶の「茶会」をやる夢ができた。さっそく久保さんに夢を語ろう、っと。
珈琲も蕎麦もお茶も、いい師にめぐり合いながら、無手勝手流なことをやっているけど、いろいろ道が
ついてきたように思う今日このごろ。毎日毎日が、一生である。今日というぼくの一生も、好日なり。