長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

徹子の部屋 ドリップ男子の部屋

2016-02-11 08:33:38 | Weblog

今朝の新聞のテレビ欄に「徹子の部屋40周年」というのがあった。

ぼくらが小さいころから、テレビ番組に彼女は同じ髪型で同じ化粧で出続けている、

怪物みたいな女性だ。独特の機関銃トークはさすがに寄る年波で威力が衰えてきたらしいが、

元気に現役を続けてかれてるのがすごい。

昨日は「卒啄珈琲塾」と、味噌作り。ダブルブッキングがあり、昨日は7人の味噌作り女子がきた。

「ほぼ新人」で、新米よろしく大豆をこねている姿がすがすがいかった。できあがった味噌を

持ち帰る姿が、出産して赤ちゃんを家に連れてかえる母のような慈悲深いやさしさにあふれていて、見て

いて気持ちがいい。

珈琲塾の生徒くんもだいぶ「かっこよくなった」。昨日は基本の基本の豆の扱い方を伝授。

ぼくらが修行した昭和50年代の京都の喫茶店では、豆を扱わしてくれるまで一年くらい

下働きをさせられた時代にならった技。でもどうでもいいようなそんな所作が「土台」になる。

味噌が終わって、bunkanの「夜カレー」にいく。カレーの店長は、お茶のお弟子さまのひとり。

ちょうど「なんやら?」いう会が行われている最中やった。最近、珈琲好きな男子のことを「ドリップ男子」

というらしい。そんなドリップ男子が集まって、めいめいが自慢の豆を入れ、飲み比べ、批評しあう、そんな大会。

ちょうどいった時に、知り合いの「押上の不動産王?」くんが、ドリップしていた。有線かレコードか知らないけど、

「黒猫のタンゴ」がBGMになっていた。あまりにその曲とマッチしていたので、それをほめたら、なつきくんが笑った。

次から次に、いれかわりの「ドリップ男子」が自慢の珈琲を入れていく。さながら「ドリップ男子の部屋」だ。

池袋時代に知り合いがマスターのスナックがあった。池袋西口の危いエリアのテナントビルの7階にあった。

マスターが沖縄の人で、そこで働いている女性たちも、南国育ちのおだやかなマスターのもと、ほのぼの

としていて、「今日も飲め飲め客の酒」みたいな気負いもなかったので、よく通った。激しい競争もなかった

ので、女性たちの顔も戦いがなく、目鼻の配置もハイチの女性?をおもわせるくらい、のんびりしていて、

誰ともなく「幽霊の部屋」といっていた。そんなことを思い出した。

今月の末にお弟子さまたちといく予定だった四谷のステーキ屋に電話したら、電話が「使われていません」

になっていた。40年続いたお店で、肉を普段食べないぼくも、時々むしょうに食べたくなるよな名店やった。

何事も始めることは簡単だけど、続けていくのは、精進とか努力とか、簡単には尽くせぬものが必要かもなんばん。

今日もこれから「卒啄珈琲塾」、味噌作り、夜が「無茶しぃの会」

喫茶去(きっさこ)という禅語がある。「まあ、一服」ということ。「居」(Here Now)

と同じく、禅の根本精神。

今、ここにこうして生かされていて、あなたとこうして出会って、そんなえにしを感謝

しながら、一期一会の茶を飲んでいる居(きょ)の妙。珈琲とかお茶を供する場所を「喫茶店」

というようになったのもすごいことだと思う。よく「そばやさん?」と聞かれる。

「うちはそばやではなく、純喫茶、デス」と答えている。

 


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