夜逃げのような里帰り、から昨日もどってきた。
約30年、毎年最低2回、車で九州まで帰る。
30年前は、今より30歳も若かったので、帰る
時に近くの薬局で眠気覚ましの「モカ」なる危うげなドリンクを
買って、若さにまかせて、つっぱしって帰っていた。でも当時
は中国自動車道が対面だったので、岡山から広島あたりが、もたもた
しながら走った。冷房が壊れたオンボロ車で帰っていたので、トンネル
の中がつらかった思い出がある。でも若いというのは、苦しい字に似て
るわ、ではないが、今ではいい思い出。
ギャラリーをはじめてからは、陶芸家や骨董屋や、珈琲屋や、染色家や・・・いろいろな知人の家
に立ち寄りながら帰るようになった。ロハス、ではないけど、ゆっくり時間をかけて旅ができる
余裕みたいなものができた。オンボロ車が「ボロボ」のワゴンに変わり、元気が旅の道ずれになり、宿
が見つからないない時は、車の後ろでゆっくり寝ながらの放浪旅。
最近は、寄る年波旅?福岡の両親が80を超え、お墓がある宮崎までいくのがおっくう
になってきたので、大阪から船で鹿児島の志布志までいき、延岡までいって墓参り
をした後、大分か熊本経由で福岡へかえる。
幼いころ、夏休みに宮崎にいくには、小倉から急行にのって6時間くらいかかっていた。
高速道路ができて、今では4時間くらいでいける。
飛行機をつかえば、東京から宮崎まで2時間くらいでいける。
でも、あれでいくと、点と点を結ぶような、朝した焙煎の香りを残したまま宮崎に到着、
みたいな味気なさがある。やはり人生みたいに、茨の道やのぼり坂、下り坂を経験
しながら、いろいろな景色や人や風俗にふれあいながら、旅するほうが、時間はかかるが、
満足度が違う。
帰りも3泊しながら東京に昨日もどってきた。最後の拠点は、長野の山奥の寒村の宿。
東京が35度の日の朝、うそ(鳥の名)の鳴き声などを聴きながら朝食をとっていると、
16度やった。ウソみたい!に快適。
そこの宿で読んだ本に、巌本真理さんのことが書かれていた。
東京大空襲の日、実家の巣鴨で空襲にあい、家も焼けたのに、大事に焼けないように空襲から守ったヴァイオリン
をかかえ、翌日に日比谷音楽堂まで歩いていき、コンサートをやった、という伝説の音楽家。
しかも、着るものが燃えたので、お父様のズボンをはいたいったらしい。それに、そんな「まさかの坂」
みたいな翌日に、彼女の演奏を聴きにいった日本人があまたいた、というのが、いい。
これから、戦時中みたいな世の中になると思うけど、そんな気骨を持っていたいと思う。
昨日はかえってきてすぐに、門中天井ホールにいく。山根さんのクラリネットと、フランスで活躍しているソプラノ
歌手の林千恵子さんが、素敵なコンサートをやってくれた。人間の手というのは、いろいろな楽器をつくったり、演奏したり
、融通無碍なまんだらだなあ、と関心することが多いけど、彼女の歌声を聴いていたら、人間の肉体そのものが楽器になるんだ
と痛感した。もちろん、そこに魂がこもってこそ、音楽になるんだけど・・
終わった後、山根さんたちと、門中の不思議な居酒屋で打ち上げ。「すもものピザ」と、きずし(しめさば)と、
焼酎がおいしいお店。店の名前はわすれたけど、地図がなんとなくわかるうちに、もう一度いきたいお店。
山根さんたちN響は、今日から中国公演。日中関係は微妙な時だけど、彼らは命がけで、潤滑油みたいな役割
をしにいく。音楽家たちは、みな命がけ。
でもよくよく考えてみたら、どんな仕事も、命がけ、みたいな本気モードにならないと、魂が入らないし、
人に感動なんか与えるレベルにならない。
今日はお店は休み。でも5時から蕎麦を打ち、焙煎。19時から「国貞雅子」がやってきてライブをやる。4000円
昨日はアルフィーでライブ。50人があの狭い店にきたらしい。
いよいよ出番。新しいCDも楽しみだ。
明日から平常営業。
約30年、毎年最低2回、車で九州まで帰る。
30年前は、今より30歳も若かったので、帰る
時に近くの薬局で眠気覚ましの「モカ」なる危うげなドリンクを
買って、若さにまかせて、つっぱしって帰っていた。でも当時
は中国自動車道が対面だったので、岡山から広島あたりが、もたもた
しながら走った。冷房が壊れたオンボロ車で帰っていたので、トンネル
の中がつらかった思い出がある。でも若いというのは、苦しい字に似て
るわ、ではないが、今ではいい思い出。
ギャラリーをはじめてからは、陶芸家や骨董屋や、珈琲屋や、染色家や・・・いろいろな知人の家
に立ち寄りながら帰るようになった。ロハス、ではないけど、ゆっくり時間をかけて旅ができる
余裕みたいなものができた。オンボロ車が「ボロボ」のワゴンに変わり、元気が旅の道ずれになり、宿
が見つからないない時は、車の後ろでゆっくり寝ながらの放浪旅。
最近は、寄る年波旅?福岡の両親が80を超え、お墓がある宮崎までいくのがおっくう
になってきたので、大阪から船で鹿児島の志布志までいき、延岡までいって墓参り
をした後、大分か熊本経由で福岡へかえる。
幼いころ、夏休みに宮崎にいくには、小倉から急行にのって6時間くらいかかっていた。
高速道路ができて、今では4時間くらいでいける。
飛行機をつかえば、東京から宮崎まで2時間くらいでいける。
でも、あれでいくと、点と点を結ぶような、朝した焙煎の香りを残したまま宮崎に到着、
みたいな味気なさがある。やはり人生みたいに、茨の道やのぼり坂、下り坂を経験
しながら、いろいろな景色や人や風俗にふれあいながら、旅するほうが、時間はかかるが、
満足度が違う。
帰りも3泊しながら東京に昨日もどってきた。最後の拠点は、長野の山奥の寒村の宿。
東京が35度の日の朝、うそ(鳥の名)の鳴き声などを聴きながら朝食をとっていると、
16度やった。ウソみたい!に快適。
そこの宿で読んだ本に、巌本真理さんのことが書かれていた。
東京大空襲の日、実家の巣鴨で空襲にあい、家も焼けたのに、大事に焼けないように空襲から守ったヴァイオリン
をかかえ、翌日に日比谷音楽堂まで歩いていき、コンサートをやった、という伝説の音楽家。
しかも、着るものが燃えたので、お父様のズボンをはいたいったらしい。それに、そんな「まさかの坂」
みたいな翌日に、彼女の演奏を聴きにいった日本人があまたいた、というのが、いい。
これから、戦時中みたいな世の中になると思うけど、そんな気骨を持っていたいと思う。
昨日はかえってきてすぐに、門中天井ホールにいく。山根さんのクラリネットと、フランスで活躍しているソプラノ
歌手の林千恵子さんが、素敵なコンサートをやってくれた。人間の手というのは、いろいろな楽器をつくったり、演奏したり
、融通無碍なまんだらだなあ、と関心することが多いけど、彼女の歌声を聴いていたら、人間の肉体そのものが楽器になるんだ
と痛感した。もちろん、そこに魂がこもってこそ、音楽になるんだけど・・
終わった後、山根さんたちと、門中の不思議な居酒屋で打ち上げ。「すもものピザ」と、きずし(しめさば)と、
焼酎がおいしいお店。店の名前はわすれたけど、地図がなんとなくわかるうちに、もう一度いきたいお店。
山根さんたちN響は、今日から中国公演。日中関係は微妙な時だけど、彼らは命がけで、潤滑油みたいな役割
をしにいく。音楽家たちは、みな命がけ。
でもよくよく考えてみたら、どんな仕事も、命がけ、みたいな本気モードにならないと、魂が入らないし、
人に感動なんか与えるレベルにならない。
今日はお店は休み。でも5時から蕎麦を打ち、焙煎。19時から「国貞雅子」がやってきてライブをやる。4000円
昨日はアルフィーでライブ。50人があの狭い店にきたらしい。
いよいよ出番。新しいCDも楽しみだ。
明日から平常営業。
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