長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

湯浅譲二 バースデーコンサート

2009-08-11 06:48:10 | Weblog
明日80歳を迎える湯浅翁。
明日の19時から、東京オペラシティーで、
コンサートがある。
ヨッシーこと佐藤佳子(正確には般若佳子)が
ビオラをやり、時々天真庵でコンサートをしてくれる
山根さんも、クラリネットを演奏する。
(お問い合わせ 東京オペラシティ チケットセンター 03 5353 9999)

来月の11日に、天真庵でヨッシーと赤松林太郎君がコンサートを
やってくれる。ありがたいことに、すでに満席。
今月21日にある馬場和子さんピアノの「三丁目のジャズ」も、
すでに満席。大恐慌の中にあっても、音楽や芸術に関心がある人
が多いのは、とてもいいことだ。
ほんとうに「勇気」をもらうことがあることは、芸術とか自然の
なかの真・善・美の中にこそある。

今日は「英語で蕎麦会」
ヨッシーも途中から登場予定。

明日は「ダメから始める中国語」

2009-08-10 07:34:09 | Weblog
朝からすごい雨。
昨日の地震といい、自然というのは、やはりすごい自然だ。
昨日、近くの花やで、「姫睡蓮」を見つけて、庭の小さな
池に植えてみた。花やのおばあちゃんが、「植木鉢の中に、煮干を一匹
いれてくださいね」といわれ、九州産のいりこを、いわれるままにいれた。
睡蓮は、その日はほとんど、葉を裏返しにしていたけど、次の日に、光を
あびたら、みんな表を向けた。植物の力とは、すごいもんだ。
山の神さまが「おこぜ」を好物にしたように、仏事にかかわりの深い
睡蓮さんも、にぼしが、好物なんだとうか?などと、ぼんやりと
思ったりする今日このごろ。

明日は「英語で蕎麦会」
そういえば、先週の休みの日に青山ブックセンターにいって、
立ち読みをしていたら、「英語で蕎麦会」の写真がでていた。
「スーパー・カフェ・ブック」(朝日や出版MOOK)。

明後日は「ダメから始める中国語」

今日は「タイムドメイン」だけど、この雨で、
スピーカーを運ぶのは・・・・どうなるのだろうか?

繋がった ぱーと2

2009-08-09 20:32:58 | Weblog
木曜日の午後に、ネットが使えなくなった。

今日見てもらったら、外の電線が切れていた。・・・
?とのこと。ま、いろいろある。

今日は開店前から人が並び、くたくたになって、夕方は「エリカ庵」で
マッサージをしてもらった。
体内時計が、リセットされて、とても気持ちがいい。
ときどき、体内時計をリセットするのは、大事だと思う。
ぼくの前に、二階にあがったTさんは、別人のように若返って
もどってきた。少し休憩して、澤の花の生酒をおいしそうに
飲んでいかれた。
さきほど、食事をしに近くの焼肉やで、ビールを飲んでいたら
グラっときた。久しぶりの震度4。
世界中でいろいろなことがおきていて、震度4どころではないけど、
やはり、「地震・雷・火事・おんな」だ。






休み

2009-08-06 09:10:01 | Weblog
昨日は、エアコンのない2階でかっぽれをやった。
浴衣がスポンジのように、汗を吸ってくれた。
暑いときに、汗をかく、というのは自然でいいものだ。
踊ったあとのビールのうまいこと、うまいこと。
のどの奥がグビグビと鳴る。

今日はこれから、近所で取り壊される家に、いってくる。
「古い家具をひきとってください」とのこと。
今回のい引越しで、つくづく思ったのは、器にしても家具にしても
「魂がこもっていて、育てがいのあるもの」だけが、身近においていて
気持ちがいい、ということ。大量生産されるような、どこでもあるようなもの、
は、どうもこれからの時代には、時代おくれになるように思う。

この界隈の人たちの家が取り壊す時は、よく昔の木でできた茶箱なんかがでてくる。いろいろなものが収納できるし、茶ごころみたいなもんがあっていい。
「昭和は遠くになりにけり」だけど、ぼくたちは、永劫、日本人でいきたいものだ、とつくづく思う今日このごろ。




木賊

2009-08-05 06:33:04 | Weblog
とくさで変換すると、こんな漢字がでる。
学名がモクゾク。竹みたいに節があって、緑が織部みたいに
あざやかで、乾燥させると、ハサミをふいたりする道具にもなるので、
昔からお花をやる人たちには、親しまれてきた植物。

まだ一週間もたっていないけど、今住んでいる家は小さな家だけど、
小さな庭があり、そこには小さな池もあり、小さなめだかが楽しそうに
泳いでいる。その池のまわりに、とくさを植えよう!と思いついて、
近くの「きらきら橘商店街」にある、とある花やにいってみた。

「とくさありますか?」と、雇われ店員みたいなおばちゃんにきいたら、
「とくさ なんて おいてません」と、ブスっといわれた。顔がブスなのは
なんともないけど、その態度にきれた。
この商店街は、昔からわる商店街で、下町の情緒が残っていて、
とてもいいのだけど、なんか永年積み重なったアカみたいなものを
感じることが時々ある。
先日も、とあるキムチやさんで、買い物をしたとき、お店で使うので
「領収書をください」といったら、しか、とされたので、
瞬間湯沸器みたいに頭にきて、その店主をどなりつけた。

とくさも、キムチも、お店の近所のオリンピックにいったら売っている。
もちろん黙っていても、レシートはくれるし、植物のコーナーでは、
緑を愛する定員さんが、なんでも質問には答えてくれる。
ぼくてきには、どこの街にいっても、大きなスーパーができて、
みんなそこで買い物をするので、地元の商店街がつぶれていく、
というのがイヤで、なるべく、商店街で買い物をしようと思って
いるのだが、たぶん、この2件のお店のようなお店が、例外でなく
どこでもあるのではないかと思う。

他山の石にならぬよう、こちらも気をつけたいと思う。

夕方こられた都立高校の美術のい先生に、苔の話を聞いた。
カウンターにおいてある、陶芸家の渡辺愛子さんがくれた「さや」
に、こけと、とくさと、セキショウを飾っておいてある。
そのこけが「尻尾苔」ということを、その先生からきいた。
苔はネットで買って、自宅のねこの額ほどの庭で育てているらしい。
「緑」と「縁」は、よく似た字だ。
少し緑に関心をもって、生活をしていると、これまでとは
違う縁ができる。人もお酒もそうだけど、良縁もあれば悪縁もある。
どちらも、無駄のない縁だろうから、大事にしたいものだ。
と、いいながら、こころの奥底では、「あの商店街には二度といかない」
という自分の声が聞こえる。
ひとのこころというのは、ほんとうに妙なものだ。

今日は「かっぽれ」。


繋がった。

2009-08-04 06:07:38 | Weblog
久しぶりにPCが接続され、ネットが繋がった。
毎日当たり前のように、ネットで繋がっていたり、
携帯で繋がっていたりするような今。
でも世界中と「繋がっているつもり」でいても、いざ病気に
なったり、いろいろ困ったときに、かけつけてくれる人が誰もいない、
というような人が多いのではなかろうか?

小さな家に引越してきて、3日になる。
荷物は半分以上捨てて、まるで
永年の宿便がとれたようにすっきりしている。昨日は名刺の整理をした。
8割くらい、捨てた。
毎年くる年賀状も、半分は知らない人だし、残りのい半分の9割くらいは、
会社関係の、「ただ印刷しただけのもの」。
名刺も、普段から公私の別なくつきあっている人は必要がない。
親友が2人、家族ぐるみで付き合うのが、2組・・・
そのくらいがちょうどいいような気がする今日このごろ。
「簡素でゆっくり」というのが、日本人にはあってるような気がする。

明日は「かっぽれ」。ばかに「なりきる」ことができるのがかっぽれ。
深川をやっている。お坊さんが吉原に遊びにいくものがたり。
お坊さんも、生身の人間だし、女をほしくなるといがある。
仕事をするときも、遊ぶときも、一所懸命がよろし。
そこが、半端だと、仕事も遊びも、おもしろくない。
「元気がないときも元気になる方法」
そんなものを、もっているか、いないかで、人生は大きくかわってくる。
「繋がっていない世界」に、案外多いような気がする。