長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日は小町たちがやってくる。

2013-03-17 08:14:40 | Weblog
昨日、一昨日と元気な女性経営者がやってこられた。
ひとりは京都、ひとりはベトナム。
なんだか女性がいろいろ元気だ。「女時」(めどき)なんだね。
卑弥呼とかアマテラスさんの時代みたいだ。

今日は日曜日なので16時で閉店。
そのあとは、小町たちがやってきて素敵なコンサート。
すでに満席だけど、また新しい一ページになりそうな予感。


今日 le・KOMATI ライブ

演奏:Nobie (ヴォーカル)・片倉真由子(ピアノ)・太田朱美(フルート)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


3月22日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司・伊藤圭(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


24日(日) 弾き語りシャンソン ライブ

演奏:上原絵里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・料理付き)


31日(日) ネット31 ライブ

演奏:さわやかおじさんバンド
ala asococo(アラアソココ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・料理付き)

九州の小さな村

2013-03-16 08:18:04 | Weblog
今年の正月に、大分の耶馬渓(やばけい)にある「下郷村」をたずねた。
昨年の正月も近くまでいったけど、雪のために断念。
人口が1691人の小さな村で、どこの村もそうなように、過疎
に苦しんでいる。しかも昨年の夏の豪雨で甚大な被害もでた。

そこに小さいけど、ポリシーがしっかりしている珈琲屋がある。
うちと同じ時期に、この寒村で始めた。「豆岳珈琲」という。
1月のブログか、「ひとりごと」に書いたと思うけど、素敵
なカフェ。いろいろ話をしていたら、「こんど冊子がでるんです」と
目を輝かせながらお店の人がいったことを昨日のことのように覚えている。

昨日、その冊子が届いた。天竺という不思議な自転車にのって、この街を
撮影しながら、町を活性化していくのをライフワークにしている「だいきくん」。
なぜだか、彼が目を輝かせながら、冊子をどさっともってきた。
「雲与橋」というタイトルがついている。でもなんで君が耶馬渓を・・なんかヤバそ?

書き出しは、

このフリーペーパー雲与橋は、大分県中津市耶馬渓の、下郷という地域から発信されます。
作っているのは地域住民と、最近にわかに増えだした移住民の集まりです・・・

ページをめくっていくと最後の方に、「こげんするんじゃら」というのがあった。
先住民で猟師兼百姓の69歳の翁が、昨年4月に東京から移住した若者に、山暮らしの手ほどきを
している。その青年が、だいきくんの友達で、移住する前に天真庵の「花の教室」をのぞいていった
ことがある青年だ。

ときどき、この押上村は、人口が50人くらいしかないのでは?と思うくらい、
「つながりの深さ」を感じることがある。
50人とか1000人くらいしかいない村でも、一軒の珈琲屋、一軒の食堂、一軒の診療所、
一軒の萬屋店・・・そんな一軒があれば、「あの人」が集まってきて、輝き始める。
下郷村で検索したら、facebookにも紹介されているので、どうぞのぞいて見ては如何。
「これからの日本」を再興するヒントがつまっている。

アマゾンから琵琶法師がやったきた。

2013-03-15 08:35:58 | Weblog
AB型のぼくは、ときどき日常会話でもこんな話をする、らしい。

正確には、アマゾンに頼んでいた本が昨日届き、CD付きで、そのCD
を聴きながら焙煎の会をやっていたら、手回し焙煎機も法事に使う楽器
のような調べになり、芳香なる珈琲の焙煎香が、あたかもお香のように高貴
な逍遥を感じさせた。天真庵は寺子屋なんだと痛感。
本のタイトルは「最後の琵琶法師・永田法順(その祈りの世界と生涯)」(みやざき文庫・川野楠己著)

琵琶と釈文(宇宙の根源の言霊)つきのCDがついて2100円。占いとか関連する開運グッズみたいなものが流行っている
みたいだけど、このCDを聞いたら、部屋にいる魑魅魍魎や悪霊などが瞬間にいなくなるような、不思議
な魔力みたいな「祈り」がこめられた声。

宮崎の延岡で生まれつき光を失っていた法順さんは、得度して琵琶法師として、1000件の檀家さんを
家内安全、無病息災などを祈りながら、歩いた「祈りの人」だ。その豊かで敬虔な生涯がつづられている。

ぼくの両親も延岡で生まれ育った。若山牧水も延岡で生まれ、仰げば見える城山をうたった。
町の中心には五ヶ瀬川が流れ、川端をさかのぼれば、天孫降臨の高千穂に続く。高天原
は、どこなのか知るよしもないが、降臨した一族が向かった「神の道」であることは確かだ。
両親がだいぶ高齢になり、福岡から延岡の墓をお参りするのがつらくなってきた様子なので、
昨年あたりから、大阪からフェリーにのって鹿児島の志布志にいき、延岡で墓参りをして、神の道を
通ってふるさとに帰るようにしている。自分のルーツを、波立たない呼吸をしながら、静かに歩いて
いると、不思議な宇宙を探索しているような気持ちになる。山はあおきふるさと、水は清きふるさと、
があってのことだ。

庭の鉢に咲く大好きな「花菖蒲」の新葉が伸びてきた。春近し。


吹き飛ばされそうになった。

2013-03-14 08:07:01 | Weblog
昨日は午前中が「卒啄珈琲塾」だった。
いいマンデリンが入ったので、マンデリンを焙煎した。
馬面、というのをしばらく使っていたけど、最近はオーソドックス
なものに戻した。これをブレンドすると、ハードボイルな映画の
シーンに似合うような「素敵な一杯」の珈琲になる。

まかないのカレーと珈琲を飲んで、てくてく歩いて錦糸町にいく。
徒歩20分くらいで到着。午後の「無茶しぃの会」で使う「山田屋まんじゅう」
を買い、古本屋で、夏目漱石の「草枕」をゲット。
ちょうど台風のような暴風雨に見合われる。ベビーカーを連れた若いお母さん
が、赤ちゃんごと吹き飛ばされそうになっていたので、重しかわりに、ベビーカー
をつかまえて、近くのビルまで誘導。放射能や黄砂にまじってPM2.5やら、
いろいろなものがまわりに降りかかってくる。夏目漱石に「それから」というのが
あったが、日本人の「これから」も、たいへんなことになっている。

天真庵と、この小説「草枕」との奇妙な縁を「無茶しぃの会」説明しながらお茶会。
「百尺」「高泉」「黄檗三筆」・・・和の文化というのは、根っこが深く
繋がっていくのが、とてもおもしろい。「結び」を大切にしていると、不思議
な世界にいざなわれていく。時代がかわっても「とかくこの世は住みにくい
」ことには変わりがない。さて、その中でどうやって楽しく生きていこうか・・
無茶しぃのお茶仲間や、夕方にある織田流煎茶道の仲間たちとお茶を飲みながら
考えてみよう。茶はいい。まったく矛盾がないのがいい。調和される感覚がいい。




こんにゃくのサイコロステーキ

2013-03-13 08:18:24 | Weblog
最近、よくつくる。
水曜日、木曜日の休みに田舎にいって野菜とか卵とかといっしょに、
枝物の花や、手作りのこんにゃくなどを調達する。
そのこんにゃくは、少し隠し包丁を入れ、さいころのように、四角にきり、
出汁を唐辛子などで甘辛煮にして、3・4回くらい煮てさます。
それだけ。こんにゃくは、いろいろな料理の隠し味というか、くにゃという
歯ごたえを楽しむもんだけど、最初に煮含ませることが肝心。
これをカレーに入れると、普茶料理みたいな精進カレーになる。

きのうは、桧原村で仕入れてきた「のらぼう菜」をお浸しにした。
たっぷりのお湯を炊き、そこに「のらぼう」を入れる。ほうれんそう、小松菜
でやってもいい。指を入れ、露天風呂より少し熱め、50度くらいにして、ゆっくり
入浴させるような塩梅。冬に素敵な子と混浴にしてるような気分でいると、野菜も
こころなしか艶っぽくなる。それを水で流しながらしめる。根っこがついた野菜、しかも
田舎で調達したり、自分でつくる野菜はそうすることによって、土が落ちる。
それをしぼって、適当な大きさに切り、出汁に、きざみのりを入れひと煮たちさせ、最後にちょこっと柚子胡椒を入れ、
ぶっかける。春の野菜の渋みと、磯の香りがうまく融合して、幸せな酒肴が一品できあがる。
そばにも「花まき」といって、汁そばにのりをちりばめるものが昔からある。どんぶりに蓋をして供され、その蓋
をとった時にのりと出汁の香りがたまらない。香りで一合飲める、くらいうまい。

今日明日は、午前中が「卒啄珈琲塾」午後が「無茶しぃの会」
プロの人たちも熱心に通ってくる。いっしょに、「今」の時代に
ふさわしい「喫茶去」の精神を考えながら、愉快にまた真剣に、珈琲
やお茶と対峙する日。卒啄、悟りの瞬間を毎回感じたり、遠ざかったり。
刹那というのは永遠の入り口であるはずなんだが・・

桧原村にはいい気がある。

2013-03-12 08:02:53 | Weblog
昨日は「卵かけごはん」だった。
ぼくは珈琲を担当するだけなので、けっこうヒマ。
おからを三種つくる。
ひとつは、ひじき煮とおからをミックスする。オーソドックス
だけど、一番体にいい。「おからだ お大豆に」の原点みたいな
もの。昔銀座の小料理屋の女将に作り方を習った。
もうひとつは、ポテトサラダ風にマヨネーズであえる。これは、
絹豆腐を入れるのが、ミソ。そして三番目が、カレー味。
「とんさま」を作る時、かえしと黒豚とたまねぎの細かく刻んだんを
4時間くらい煮る。その煮汁でカレーをつくる。つるのおんがえし、みたいな
滋味深いカレーができる。先日、spice cafeの人たちにも試食してもらった。
ヨガとかアーユルベーダとかと深くかかわってきたカレーは、ほんとうに
懐の深い食べ物だ。

昨日の「卵かけごはん」の漬物は、「桜島大根のはりはり着け」
夜の「易の勉強会」の時、伊佐錦の季節限定の焼酎と飲むと、
いっきに春がきた。最近の勉強会では、蕎麦焼酎をそば湯で割る、
というのがトレンドになってきたけど、昨日はストレートで
「芋」を楽しんだ。絞めは「投じ蕎麦」。玄米で炊いた、桧原村のしめじごはん、
も「春」の味がした。

今日は「英語で蕎麦会」
いまさら、英語をベラベラしゃべるレベルにないが、世界中の縁ある人たちと、
意志疎通ができるくらいになりたい、というような人たちが、集まって、ワイワイ
楽しくやっている。今日は桧原村の地やさい「のらぼう」を、みんなで喰おう!っと。

明日は「卒啄焙煎塾」&「無茶しぃの会」
一階と二階を、同じ日に堪能する日。

今日は「易」の勉強会

2013-03-11 07:24:55 | Weblog
いろいろな勉強会を、月イチのペースでやっている。
論語の会が19年目になるのかな?だいたいアラカンというか、
還暦近かったり、過ぎていたりするけど、19年前はアラフォー
やったんだな、きっと。

池袋時代から続いているのもうひとつの勉強会が明日の「英語で蕎麦会」。
どちらもぼくが蕎麦を始める前からやっている。論語読みの論語知らず、
だったり、何年やっても身につかぬ英語、だったりするけど、長く続けて
いける努力を先生と生徒がやってきたことには敬意と拍手をおくりたい。

昨日は「蕎麦打ち教室」だった。熱心な女子が、びん棒を振り回しながら、
蕎麦と戯れた。理屈ではなかなか理解できない「菊練り」もぐーんとうまくなり、
蕎麦打ち迷人から蕎麦打ち名人に近づいてきた手ごたえみたいなものを痛感。
「手習い」という言葉がある。どんな世界も、道を究めようと思うと、初心を
大切にして、毎日毎日繰り返される「今」と真摯に向き合えるというのが大事
だと思う。
「なんとなく蕎麦を喰う会」では、普茶料理の要領で、ちゃぶ台の上に
料理を置き、みんなで同じものを分
からけ合って、同じ命をいただく、
という作法で蕎麦会をやっている。「普(あまねく)茶を施す」
という意味があり、黄檗山の隠元和尚が煎茶と禅とともに日本に伝えたものだ。
昨日は隠元さんから数えて5代目の「高泉」の竹の掛け軸を愛でながら、「栄一」
という般若湯を飲んだ。中国では文人たちは「竹」を好んだ。それにならって
日本の文人も「竹」を好んだ。竹といえば、笹。お酒を注ぐときに、「ささ」
とか「ささ、もう一杯・・」とかいうのが左党の昔からの癖。
笹といえば、虎。だから大酒飲みのことを、「大虎」という。
♪とらとーら おおとら・・・そんなお座敷遊びがある。

また一稼ぎして、向島で・・・、こちらは、トラぬ狸の皮算用やけど。

これから「卵かけごはん」

レイコーがでる

2013-03-10 08:15:01 | Weblog
昨日は温かかった。宮崎では28.5度。冬から春を飛び越え夏がきたような陽気。
死後になったけど、昨日はレイコー、つまり冷たい珈琲がたくさんでた。
「レスカ」もよく「これなんですか?」と聞かれる。レモンスカシュが正解。
「ホボブラジル」も「ボボ・ブラジル」という熱烈に人気があった悪役レスラー
がいたことも、遠い昔のことになるかも。
クリームソーダのことを、「クーソーください」といったらカレーがでてきた、
とかいう話もあったけど、これは少しいただけない。

昨日はさすがに「ざるそば」がメインになり、3時前に蕎麦が完売した。
関西の洒落で、有言不実行、つまり口だけの輩のことを、午後のうどん屋、
とかいう。つまり「ゆーだけ」。釜の中が湯だけや、という洒落やね。

今日は日曜日なので、16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」
その後は、「なんとなく蕎麦を喰う会」・・両方やる人も多いけど、
「くーだけ」の人も大歓迎。今日は、そんなゲストがいるので満席(4人まで)
だけど。

明日は「卵かけごはん」
夜が「易の勉強会」

火曜日は「英語で蕎麦会」
岩本先生の嫡男がきのうカフェしにきた。
マリオネットのポルトガルギターの奏でるファドに
興奮ぎみだった。「これは、女を泣かせた男を歌った演歌やで」
と教えてあげた。

水木が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

3月はライブも4つある。

17日(日) le・KOMATI ライブ

演奏:Nobie (ヴォーカル)・片倉真由子(ピアノ)・太田朱美(フルート)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


3月22日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司・伊藤圭(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


24日(日) 弾き語りシャンソン ライブ

演奏:上原絵里(ヴォーカル&ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・料理付き)


31日(日) ネット31 ライブ

演奏:さわやかおじさんバンド
ala asococo(アラアソココ)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・料理付き)

東京大空襲から68年

2013-03-09 08:20:11 | Weblog
明日で東京大空襲から68年になるらしい。
10万人の民が1日で召され、隅田川や逆さツリーで全国区
になった北十間川の川面まで、累累と屍でいっぱいになった。
天真庵の建物も、空襲に焼かれた後に立てたもので、築68年
になる。厨房の中に、小さな神棚がある。土間をやりなおした時、
生活用品、たぶんビール瓶かお醤油入れとかガラスの焼け焦げ
みたいなものがたくさんでてきて、そのひとつを飾って、祀ってある。
施主の栄吉翁も、昭和28年に逝かれ、終戦の日に成人式を迎えた
施主の娘さんも一昨年旅立たれた。2007年にバトンタッチするように
この地に庵を結びはや6年。川の流れのように、悲喜こもごもの毎日を
洗い流すみたいに、さらさらと、たださらさらと時が流れていく。
今年は、政治も外交も経済も環境も、混沌としてきたけど、大きな
流れにさからわず、少し流れに身をまかせて進めるのが賢明なようだ。

明日は日曜日なので4時に閉店。
♪びん棒一本、さらしに巻いて、旅にでたのは、蕎麦屋の修行・・
よろしく、蕎麦打ちの教室と、夜はそのまま「なんとなく蕎麦を食べる会」
初心者のそばは、まねできないくらい、ういういしく、静謐なそばだ。
見ているだけで、「ごとそうさま」をいいたくなる。

月曜日は「卵かけごはん」
夜は「易の勉強会」

火曜日が「英語で蕎麦会」

水木が月に一度の「卒啄焙煎塾」と「無茶しぃの会」

昨日の昼、お茶の仲間とお花の仲間がカウンターにとまった。
和の総合芸術を修行中の人たちの、生き方や話は尽きることがなく、
とても楽しく談論風発ができた。

春は極楽露天風呂

2013-03-08 08:20:21 | Weblog
昨日は、桧原村にいってきた。
東京都とは思えないくらい寒村の風情があり、
ときどきいきたくなる。
そこに温泉があり、露天風呂のところに、陶器の
一人用の風呂がある。五右衛門風呂よろしく、膝を
おりまげて、そうろうと入る。
看板には「この陶器の風呂は冬季には入れません」
と書いてある。まじめなのか、洒落なのか微妙な看板。
まわりは、雪が残っていたので、冬季かな?
なんて心配しながら浸かっていると、ヤマガラやシジュウカラ
などの声が、涼やかな風にのって聞こえてくる。
この世なのかあの世なのかわかないようなまどろみの中にいる、
そんな温泉が極楽。

この地は「まいたけ」とか「のらぼう」とかいう地野菜が美味い。
まいたけのテンプラをつまみに、地酒の喜正のぬる燗を2合飲む。
いつもは3合なのだが、お茶のお稽古があったので、おさえた。

その後は、表参道の織田流煎茶道の茶室で、お稽古。
今月は明治神宮で大きな煎茶会をやるので、元気な女子
たちが、玉露の「ちゃぶ台手前」の仕上げをしていた。
天真庵の創業のころ、カウンターに坐ったのがきっかけで、煎茶道
にのめりこんだM女史が、お茶会での手前のデビューになる。
そのためにぼくが玉露を入れ、彼女が横について、お菓子やお茶をはこぶ
童子(どうし)さんのお稽古。着物の着こなしも所作も、茶人になってきた。
おもわず、「いい女になってきたな~」と聞こえるようにひとりごと。

今日は「ねんどの会」
この日は、こねるのまいか先生と大阪弁でしゃべる。
今日は大型新人が登場。

10日は「蕎麦打ち」と「なんとなく蕎麦を食べる会」

11日が「易教室」
12日が「英語で蕎麦会」
13日・14日が「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」

昨日の「ひとりごと」に書いたけど、

毎日、珈琲を自分で入れる、お茶を入れる、花を生ける、俳句をひねる、酒を飲む、本を読む、書を書く、絵を描く、もちろん人の役にたつ仕事をする・・・その中のどれとどれを、「るーちんわーく」にして、肩肘を張らず、上手にこなしていく、とかいうのは、「花のある人生だった」と思えるようかどうかの分かれ道のような気がする。