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「時は元禄15年12月14日」が講談の口上だと思っていましたが、
これは三波春夫の「俵星玄蕃」の間奏で語られるセリフでした。
講談では「時は元禄15年師走半ばの14日」となっているそうです。
尚、俵星玄蕃が実在したかどうかについては諸説あるようです。
12/14は旧暦で現在の暦にすれば、1/30だそうですが、それでも
降りしきる雪をついて本所の吉良邸に討ち入るとなると、今よりずいぶん
寒かったんだなと思ってしまいます。
(今でも年に2、3度はそういうことがありますが)
全浪士が「火事場装束」だったと言われますが、それは「仮名手本忠臣蔵」などの
創作で、実際は違ったようです。
映画「決算!忠臣蔵」では、資金不足によってたまたま残っていた火事場装束を
使ったことになってました。
尚、浅野内匠頭は即日切腹、御家取り潰しだったのに比べ、吉良上野介は御咎めなしと
言われていますが、実際には隠居させられ、本所への転居となっています。
当時、呉服橋から隅田川の外の本所へ移ることは、明らかな格下への降格であり、切腹となった
浅野家との咎の重さのバランスはともかく、まったく御咎めがなかったわけではありません。
*
2022/12/14の朝の撮影時刻は8:20頃。
朝8時の気温は11.5度、湿度45%、南の風、4m/s。
PM2.5は15μg/立米、SPMは22μg/立米でした。
これは三波春夫の「俵星玄蕃」の間奏で語られるセリフでした。
講談では「時は元禄15年師走半ばの14日」となっているそうです。
尚、俵星玄蕃が実在したかどうかについては諸説あるようです。
12/14は旧暦で現在の暦にすれば、1/30だそうですが、それでも
降りしきる雪をついて本所の吉良邸に討ち入るとなると、今よりずいぶん
寒かったんだなと思ってしまいます。
(今でも年に2、3度はそういうことがありますが)
全浪士が「火事場装束」だったと言われますが、それは「仮名手本忠臣蔵」などの
創作で、実際は違ったようです。
映画「決算!忠臣蔵」では、資金不足によってたまたま残っていた火事場装束を
使ったことになってました。
尚、浅野内匠頭は即日切腹、御家取り潰しだったのに比べ、吉良上野介は御咎めなしと
言われていますが、実際には隠居させられ、本所への転居となっています。
当時、呉服橋から隅田川の外の本所へ移ることは、明らかな格下への降格であり、切腹となった
浅野家との咎の重さのバランスはともかく、まったく御咎めがなかったわけではありません。
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2022/12/14の朝の撮影時刻は8:20頃。
朝8時の気温は11.5度、湿度45%、南の風、4m/s。
PM2.5は15μg/立米、SPMは22μg/立米でした。
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