![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/43/92e1276de24497fd2ae0e14296ba35ff.jpg)
今日3/10は東京大空襲のあった日です。
東京が大空襲を受けたのは、1945/3/10に限らず、1944年初冬から1945年の終戦直前まで
合わせて100回以上の空襲を受けています。
中でも3月、4月、5月には特大の空襲を受けており、3/10の大空襲では10万人を超える死者が出ました。
いつの戦争でも空爆は軍事施設を狙い、民間人、非戦闘員は対象としないなどのお題目が言われますが、
現実にはそんなきれいごとは一切関係なく爆撃が行われましたし、ヨーロッパでは今も行われています。
東京大空襲で使われたのは、砲弾の爆発による破壊力と破片の飛散によって殺傷するいわゆる炸裂弾ではなく、
爆破と同時に内部の油脂に着火して周りを焼き尽くす焼夷弾でした。
ガソリンをゲル状にして筒状容器に入れた子爆弾を多数(38本)入れた親爆弾を投下。
親爆弾は上空700m付近で破裂して子爆弾を周辺にばらまき、爆破発火して家屋建物だけでなく、
多くの死傷者を生むように工夫されています。
文字通り焼夷(焼き払う、焼き尽くす)ことを目的とした爆弾です。
3/10の大空襲では墨田川両岸を中心とした爆撃によって発生した火災で逃げ場を失った人々が
次々と隅田川に飛び込んだものの、そのまま焼死したとされています。
軍事施設攻撃を目的としたものではなくいわゆる無差別爆撃です。
爆撃は東京だけでなく、横浜、名古屋、大阪、神戸など日本各地に及びました。
当時の日本の防空体制では爆撃機B29を追い払う力もなく(何機かは撃墜したらしいが)
やられ放題だったと思います。
作戦成功で大量に積んだ爆弾が余ってしまったため、帰路途中に当初目標とは関係ない地域にも
爆弾を「捨てて」いった機もあったといわれます。
それがほんの80年にも満たない過去にあったのは忘れてはならない事実です。
*
今朝の撮影時刻は7:55頃。
晴れ。
朝8時の気温は7度、湿度55%、北の風、2m/s。
PM2.5は17μg/立米、SPMは23μg/立米でした。
東京が大空襲を受けたのは、1945/3/10に限らず、1944年初冬から1945年の終戦直前まで
合わせて100回以上の空襲を受けています。
中でも3月、4月、5月には特大の空襲を受けており、3/10の大空襲では10万人を超える死者が出ました。
いつの戦争でも空爆は軍事施設を狙い、民間人、非戦闘員は対象としないなどのお題目が言われますが、
現実にはそんなきれいごとは一切関係なく爆撃が行われましたし、ヨーロッパでは今も行われています。
東京大空襲で使われたのは、砲弾の爆発による破壊力と破片の飛散によって殺傷するいわゆる炸裂弾ではなく、
爆破と同時に内部の油脂に着火して周りを焼き尽くす焼夷弾でした。
ガソリンをゲル状にして筒状容器に入れた子爆弾を多数(38本)入れた親爆弾を投下。
親爆弾は上空700m付近で破裂して子爆弾を周辺にばらまき、爆破発火して家屋建物だけでなく、
多くの死傷者を生むように工夫されています。
文字通り焼夷(焼き払う、焼き尽くす)ことを目的とした爆弾です。
3/10の大空襲では墨田川両岸を中心とした爆撃によって発生した火災で逃げ場を失った人々が
次々と隅田川に飛び込んだものの、そのまま焼死したとされています。
軍事施設攻撃を目的としたものではなくいわゆる無差別爆撃です。
爆撃は東京だけでなく、横浜、名古屋、大阪、神戸など日本各地に及びました。
当時の日本の防空体制では爆撃機B29を追い払う力もなく(何機かは撃墜したらしいが)
やられ放題だったと思います。
作戦成功で大量に積んだ爆弾が余ってしまったため、帰路途中に当初目標とは関係ない地域にも
爆弾を「捨てて」いった機もあったといわれます。
それがほんの80年にも満たない過去にあったのは忘れてはならない事実です。
*
今朝の撮影時刻は7:55頃。
晴れ。
朝8時の気温は7度、湿度55%、北の風、2m/s。
PM2.5は17μg/立米、SPMは23μg/立米でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます