峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

2009年 生誕100年記念写真展 太宰治の肖像

2009年12月10日 17時04分24秒 | ○○展の話
昨日、母から電話がありました。
「ラジオでちょっと聞いたんだけど、三鷹で太宰治の写真展やってるらしいの。
 お父さんが三鷹の太宰の家に通ってたから、もしかしたら写ってないかしら」

父は母と結婚する前、同人雑誌「文芸時代」の編集者をしていました。
今日、母に聞いたところによると、ジューキミシンの創業者、山岡憲一氏が始めたとのことで、(父の義兄が山岡氏とともにジューキの実質的創始者であり取締役だった) 当時、兵隊から帰ってブラブラしてた父に声が掛かったとのことでした。

山岡氏のウィキペディア情報によると、
「田辺茂一や舟橋聖一、坂口安吾、草野心平らと、終戦直後数少ない活版印刷をした同人雑誌「月刊文藝時代」を編集し全国の書店で販売した。」
と、ありました。


それで今日、母と三鷹市芸術文化センターに行ってきました。
父の姿はありませんでしたが、お墓にもお参りしたし、そのあと太宰治文学サロンにも行って、係の方とちょっと思い出話などしてきました。

「文芸時代」については、過去記事をご覧ください。

2006年11月21日 文芸時代の話

2006年11月22日 文芸時代の話2

2006年11月23日 文芸時代3



2006年11月27日 文芸時代昭和24年7月号より

↑太宰治について、結構、貴重な資料かも?
ここで、今 官一が太宰の命日を「桜桃忌」と呼ぼうと提唱しています。
作家の書く太宰の逸話が興味深いです。

昭和23年7月の編集後記は、豊田三郎が書いています。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/48/b79b368a0eb275cd99502d62f0108c54.jpg

豊田三郎は、森村桂のお父さん。
豊田三郎もまさか、後年あのようなことになるとは思いもしなかったでしょうに…。


ところで、5月に久しぶりに大学時代の友人キヨちゃんに会ったとき、こんなことを聞きました。
「西さんがお父さんから聞いたって言ってたんだけど、太宰治が女の人といて、お父さんの前で、『キスしてやろうか』といって、目の前で女の人とキスしたんだって」
私はそんな話、全く覚えてませんでした。
純情な(当時)私は、そのような話は記憶から消してしまったのでしょう。
いえ、決してキヨちゃんが当時から純情ではなかった、というのではありませんが。