2018年9月16日(日曜日)
角の浜駅 ―> 平内駅 JR営業キロ2.6Km
この区間も駅間距離は短い。
線路は山側を走っていて県道は海側を通っている。
歩いていると駅からは下り坂で県道へ出て、駅への道は上り坂になるのだ。
これは結構疲れるのだった、駅間距離が短いからと楽だろうと考えていたのは間違いだった。
急坂ではないが平坦なところがないというのは足にこたえる。
このあたりから右足の様子が変になってきた。
昨日痛かった左足はシップをしたので今日は痛まないが、右足が靴擦れしているのだった。
靴を脱いで足を見ると右足の薬指が赤く腫れている。
靴擦れしないようにと五本指の靴下を履いているのだが効果は無いようだ。
指に絆創膏を巻き付けてしのぐことにする。
ここは岩手県洋野町である2006年に種市町と大野村が合併してできた町だ。
洋野町という名称にしたのは二つの町村名の組み合わせで語呂の良いのが出来なかったからに違いない。
「種野町」でも「市大町」でも変だし「種大町」にもしたくなかったんだろうな。
坂を下りていくと太陽光発電所があった。
太陽光発電所、風力発電所はあちらこちらで見かけた。
このような発電所がどれだけあれば原発無しで済むのだろうか?
政府が無理にでも原発を稼働させようとするのには巨大な利権が絡んでいるのだと勘繰るのはわたしだけなのか。
最近のニュースで太陽光発電の電力買取を制限するというのがあったが、あれも原発を稼働させるための口実ではないかと勘ぐってしまう。
ここから“津波浸水想定区域”とある。
このような看板は大震災以前には見かけなかったと思う。
わたしの元同僚は以前釜石市に住んでいたが「地震があるとぱっと起きて逃げる習慣がついている」と言っていたっけなあ。
わたしの育ったところは山の中で津波の心配は無いのだが地震は恐ろしい。
祖母はなんども昭和8年の地震の話をしてくれたものだ、だから寝るときはすぐ逃げられるように枕元に衣類をきちんと用意して置くよう躾けられて育った。
海沿いの道から再度山側へと歩いていく、途中に種市高校がある。
この高校には全国で唯一潜水士を要請するコースがあるので有名である。
大きな体育館に見えたのは潜水実習棟だった。
足元を見るとマンホールの蓋にも潜水士のデザインがあった。
手に持っているのは名産のウニだろう、北限の海女だけでなく潜水夫もウニを採るのだろう。
またしても海岸沿いから山の方へ向かって行く。
駅間距離は短いが幹線道路から駅まで同じ道を行ったり来たりで歩き旅には効率が悪い、一筆書きのコースにならない。
JR営業キロの倍くらいも歩いているんじゃないかと思えてくるのだった。
坂を上り切ったところに墓地があった。
墓地の入り口にはゲートがあって柱の上にボンボリ状のものがついている。
このような形は同じ岩手県内でも内陸地区では見たことがない。
墓地の一番高いところには大きな墓があって他の墓を睥睨しているようだ。
墓の中に入ってさえも位の上下関係がはっきりわかるのだな。
駅はそこから30メートルほどのところにあり駅の脇の踏切は「墓所踏切」というわかりやすい名称だった。
プラットホームにベンチがあって申し訳程度の屋根がかかっている。
この駅は道を挟んだところにある小屋のようなものが待合室になっていた。
待合室の表示は無いが室内に手書きの列車時刻表が貼ってあった。
もしかすると地元の人たちが作った待合室なのかもしれない。
角の浜駅 ―> 平内駅 JR営業キロ2.6Km
この区間も駅間距離は短い。
線路は山側を走っていて県道は海側を通っている。
歩いていると駅からは下り坂で県道へ出て、駅への道は上り坂になるのだ。
これは結構疲れるのだった、駅間距離が短いからと楽だろうと考えていたのは間違いだった。
急坂ではないが平坦なところがないというのは足にこたえる。
このあたりから右足の様子が変になってきた。
昨日痛かった左足はシップをしたので今日は痛まないが、右足が靴擦れしているのだった。
靴を脱いで足を見ると右足の薬指が赤く腫れている。
靴擦れしないようにと五本指の靴下を履いているのだが効果は無いようだ。
指に絆創膏を巻き付けてしのぐことにする。
ここは岩手県洋野町である2006年に種市町と大野村が合併してできた町だ。
洋野町という名称にしたのは二つの町村名の組み合わせで語呂の良いのが出来なかったからに違いない。
「種野町」でも「市大町」でも変だし「種大町」にもしたくなかったんだろうな。
坂を下りていくと太陽光発電所があった。
太陽光発電所、風力発電所はあちらこちらで見かけた。
このような発電所がどれだけあれば原発無しで済むのだろうか?
政府が無理にでも原発を稼働させようとするのには巨大な利権が絡んでいるのだと勘繰るのはわたしだけなのか。
最近のニュースで太陽光発電の電力買取を制限するというのがあったが、あれも原発を稼働させるための口実ではないかと勘ぐってしまう。
ここから“津波浸水想定区域”とある。
このような看板は大震災以前には見かけなかったと思う。
わたしの元同僚は以前釜石市に住んでいたが「地震があるとぱっと起きて逃げる習慣がついている」と言っていたっけなあ。
わたしの育ったところは山の中で津波の心配は無いのだが地震は恐ろしい。
祖母はなんども昭和8年の地震の話をしてくれたものだ、だから寝るときはすぐ逃げられるように枕元に衣類をきちんと用意して置くよう躾けられて育った。
海沿いの道から再度山側へと歩いていく、途中に種市高校がある。
この高校には全国で唯一潜水士を要請するコースがあるので有名である。
大きな体育館に見えたのは潜水実習棟だった。
足元を見るとマンホールの蓋にも潜水士のデザインがあった。
手に持っているのは名産のウニだろう、北限の海女だけでなく潜水夫もウニを採るのだろう。
またしても海岸沿いから山の方へ向かって行く。
駅間距離は短いが幹線道路から駅まで同じ道を行ったり来たりで歩き旅には効率が悪い、一筆書きのコースにならない。
JR営業キロの倍くらいも歩いているんじゃないかと思えてくるのだった。
坂を上り切ったところに墓地があった。
墓地の入り口にはゲートがあって柱の上にボンボリ状のものがついている。
このような形は同じ岩手県内でも内陸地区では見たことがない。
墓地の一番高いところには大きな墓があって他の墓を睥睨しているようだ。
墓の中に入ってさえも位の上下関係がはっきりわかるのだな。
駅はそこから30メートルほどのところにあり駅の脇の踏切は「墓所踏切」というわかりやすい名称だった。
プラットホームにベンチがあって申し訳程度の屋根がかかっている。
この駅は道を挟んだところにある小屋のようなものが待合室になっていた。
待合室の表示は無いが室内に手書きの列車時刻表が貼ってあった。
もしかすると地元の人たちが作った待合室なのかもしれない。