東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR八戸線沿線を歩く旅(12)

2018年10月09日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
2018年9月16日(日曜日)

大蛇駅 ―> 階上駅 JR営業キロ1.7Km

線路を高架橋で超えて行く。





線路わきのガードレール下にコンクリートブロックが置いてある。



近所の人が線路向こうの畑に行くための近道用だろう。
「線路内に入るな」の立て札はあるが踏切は遠いしね。



気をつけて渡ってほしいな。





この区間も駅間距離が短い。
入り江ごとに漁港があり集落があるからだろう。

道路わきでワカメを干していた。





途中で27Kmのキロポストを見かけて写真を撮る。



寄り道しながら歩いているせいもあるが道路のアップダウンも歩く速度を遅くさせている。



だが歩行速度が遅い一番の理由は老化である、足が思うように動いてくれないのだ。
まあ仕方ないな、無理して足を壊してしまってはなんにもならない。

階上町へと入っていくと古いけどちょっとモダンな建物があった。





「ひろこ」と看板に書いてある。



壁にはアメリカ、カナダのナンバープレートが打ち付けられている。



喫茶店か?もしかすると小さなバーなのだろうか、と写真を撮って立ち去ろうとすると「あんたどこから来たの?」と女性の声で呼びかけられた。



店からおばあさんが出てきて話しかけてきたのだった。

「八戸駅から久慈駅まで歩いてるんですよ」
「えー、なんとまあ」
出てきた女性はこの店のオーナーでジーンズにバンダナ姿のおばあさんであった。
喫茶店に見えたがじつは床屋さんだった、よく見ると赤白青のくるくる回る看板がある。
「よく喫茶店に間違われるんだよね、ところであんた何歳なの?」
なんとこのオーナーの女性はわたしより1歳年上なのだった。
うーむ、、わたしのほうが年寄りに見えるなあとちょっと落ち込む。

ここで散髪してもらう時間もないので数分立ち話しただけで歩き出す。
それにしても元気なお年寄りがいるというのは励みになるなあ。わたしも頑張らねば。

階上駅前には腕木式信号が展示してあった。



小屋の中には転轍機もある。



もしかしたらこの建物は古い駅舎を再利用したのだろうか。



このような駅舎は趣があってよいのだが。

新しい駅舎は機能的だけど趣という面はまったくないな。









ここも駅前はしんと静かであった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八戸線沿線を歩く旅(11)

2018年10月08日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
2018年9月16日(日曜日)

金浜駅 ―>大蛇駅 JR営業キロ 1.5Km

金浜駅を後に坂を下り県道1号線へ戻ると海側に小さな港が見えた。



その港を見守るかのように塩釜神社が建っている。



神社は小高い丘の上に建っている。

近寄ってみると鳥居が真新しかった。



もしかすると大震災の津波で壊れたので再建したのかもしれない。
神社への参道を登る、急坂なのでロープが張ってある。



支柱には漁具を利用した帽子がかぶせてあった。



途中からは鉄骨製の階段になっていた。



社殿も屋根など作り直した様子がわかる、この高さなら津波に洗われることは無かったのではと思うのだが古くなって改修したのだろうか。



上から見ると海岸沿いに道がある。



あの道を歩くことにしよう。

その道を歩いていくと途中で川に遮られてしまった。



道路側にはフェンスがあって県道へ戻るには川を渡るか戻るかのどちらかである。
浅いので靴を脱いで川を渡る。



堤防に腰掛けて濡れた足を乾かす。



県道へと戻って歩いていくと「あるでぃーば」という看板が見えた。



「はしかみハマの駅」と書いてある。



今年4月にオープンしたレストランもある産直施設とのことだ。
まだ開店前の時刻なので外観だけ見て通り過ぎる。

途中の民家の庭にちょっとしたオブジェがあった。





漁に使う浮きを置いてあるだけなのだがちょっとした芸術。

大蛇駅が近くなってきた。





読み方が“だいじゃ”ではなく“おおじゃ”だったとはここへ来るまで知らなかった。
おなじ岩手県に住んでいるが知らない地名はいくらでもある。

あの歩道橋の下が大蛇駅である。





この駅も待合室やプラットホームは同じつくりであった。
写真を撮っただけで次へと歩く。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八戸線沿線を歩く旅(10)

2018年10月07日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
大久喜駅 ―> 金浜駅 JR営業キロ2.5Km
2018年9月16日(日曜日)

午前5時前に目が覚めた。

今日のスタート地点の駅「大久喜駅」には駅前に駐車できる場所が無い。
そこで駅前に駐車できる陸中中野駅まで行き、大久喜駅まで列車で戻ってきて歩き出すことにした。
寝ぼけまなこをこすりながら車で陸中中野駅まで行く。

途中、種差海岸で夜が明けてきた。





海沿いの町はこれが良い。

わたしの生まれ育ったところは東も西も山、山、山で太陽は山から出て山へと沈んでいく。
地平線、水平線というのはまったく見ることができない。
そんなわけで海や砂漠のように地平の果てまで見えるところに子供のころからあこがれがある。

しばらく車を停めて昇ってくる太陽をじっと見る。



陸中中野駅に車を停めて八戸行きの列車を待つ。





さほど人家の多いとことではないのに時刻になると乗客が集まってきた。



通学の生徒だけでなく通勤にも八戸線は活躍していたのである。

乗車中も窓から海を眺める。



今日も車掌さんからきっぷを買う、500円だった。



向かいの席にはクラブ活動へ行くのだろう女子高校生が座り、バッグからおにぎりを出してぱくついている。朝ごはんを食べる時間がなかったんだろうな。



大久喜駅で降りたわたしは駅のベンチに腰掛けて朝食にする。



朝食といっても昨夜スーパーで買ったパン1個と缶コーヒーだけだから数分で食べ終えてしまった。



昨日は左膝が痛くて困ったので今日はしっかりとシップを貼っている。
朝食を終えたらすぐ歩き出す。
空き缶、パンの袋のゴミは駅にゴミ箱が無かったのでディパックにしまう。



膝に負担がかかったのは海岸沿いの道がアップダウンの連続だったからだ。
地図を見ただけではわからなかった。
三陸海岸はリアス式海岸なので平らなところがほとんどない。
とくにわたしの歩いている旧道は海沿いを通っているので上り坂、下り坂の連続である。
歩き終えて思ったのは“平地がなかった”ということであった。

これが老人の膝にはつらかった。


太陽も順調に昇っていき日差しが強くなってきた。





晴れるのはうれしいが暑いのもしんどい。



海岸をではサーファーがじっと海を見つめていた。



良い波が来るのを待っているのだろうなあ。

後方からロードレース仕様の自転車がやってきた。



少ししたら今度はランナーが追い越していった。



アップダウンの多いこの道はトレーニングに最適なのだろう。



さてこのあたりから金浜駅へと向かう道になるはず。



駅への案内標識はどこにもなかったのでスマートフォンの地図アプリが頼りである。
坂を上っていくと陸橋の下に駅が見えた。





駅へはこの急な階段を下りていかなければならない。



ここも老人にはやさしくない駅である。

この駅も他の駅と同じような構造の待合室だが戸がついていた。







駅の向かい側には防雪林、ここも雪の多い土地なのだ。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八戸線沿線を歩く旅(9)

2018年10月06日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
種差海岸駅 ―> 大久喜駅 JR営業キロ2.2Km
2018年9月15日(土曜日)

だいぶ日が傾いてきた、9月に入るとグンと夕暮れが早まり気温が下がってくる。





左足の痛みはあるがとにかく歩くしかない。
大久喜駅までをペースを落として左足を引きずるようにして進む。

大久喜駅に着いたところで今日はここまでとしようと決めた。



次の金浜駅までは2.5Kmで普通なら30分ほどで歩けるのだが脚の痛みもあるので無理はしない。

駅のベンチに腰掛けて八戸方面の列車を待つ。
駅の前には民家があり少し行くと中学校もあるのだがなんの物音もしない。
20分ほどするとカタンカタンと列車の近づく音がしてきた。



真新しい車両である。



10月にワンマン運転になるということでそのために新調した車両だろう。
車内で車掌さんからきっぷを購入する、410円なり。



八戸駅には5時前に到着した。





昼のうちに「今夜の風呂はここ」と決めておいた湯―トピア温泉へ車で行き汗を流す。



風呂から出るともう外は真っ暗だ。
道路向かいのスーパーマーケット「ユニバース」で弁当とインスタント味噌汁を買う。



蕪島の駐車場で懐中電灯の明かりを頼りに夕食。
暗いところで食べると味がよくわからない。「目で味わう」という言葉があるが本当だなと思う。

月が出ているし八戸港の対岸の工場の明かりが幻想的だった。

午後9時には寝てしまう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八戸線沿線を歩く旅(8)

2018年10月05日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
陸奥白浜駅 ―> 種差海岸駅 JR営業キロ2.1Km
2018年9月15日(土曜日)

休憩せずに歩き続ける。





このあたりから左膝に痛みが出てきた。
動かずにいるとなんともないが歩き出すとズキズキと痛みがくる。



わたしは赤ん坊のころ「えじこ」に入れられていた。
「えじこ」は藁で作られた筒状のものでこれに赤ん坊を入れておくのだ。
そうすれば親は子供に手がかからないので農作業などができるのである。
その「えじこ」に入れられた赤ん坊は中で胡坐をかくような姿勢になる、そして動かないように衣類や布団などで固定させられるのだ。
そのため足がО脚になってしまう。
田舎のジイさん、バアさんにガニ股の人が多いのもこれが原因のひとつである。
まっすぐに立った状態で膝が3センチ以上空くようだとO脚と診断されるそうだが、わたしは5センチ以上も空いている。
完全にガニ股のジジイなのだ。
靴のヒールも外側部分がすぐにすり減ってしまう。
ガニ股だと膝関節の外側部分に負担がかかり、軟骨がすり減り骨どうしがぶつかって炎症を起こしやすい。
歩行できないほど炎症が強いときは人工関節などの手術が必要になるのだそうだ。

歩き出す前に膝にシップをしておけばよかったのだがうっかりしていた。

種差海岸が見えてきた。





キャンプ場もあるのでキャンプ受付の看板も出ている。

海岸に向かって広い芝生の公園が続いている。



芝生で寝転んでいる人、乗馬を楽しむ人も大勢いた。





晴れているからそれだけで爽快な気分。





道路わきにはインフォメーションセンターなるものも整備されていて家族連れでにぎわっていた。



わたし公園を横目で見ながら通り過ぎて駅へと向かう、あくまで偏屈なジジイである。



以前は「種差駅」だったはずだが、この駅も観光客に媚びるように名称を変更してしまい「種差海岸駅」になってしまった。
「〇〇高原駅」とか「〇〇リゾート駅」と同じようなものだね。





無人駅でこれといって見るところもないので写真だけ撮って次の駅へと向かう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八戸線沿線を歩く旅(7)

2018年10月04日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
鮫駅 ―> 陸奥白浜駅 JR営業キロ5.7Km
2018年9月15日(土曜日)

これまで駅間距離の短いところを歩いてきたから次の駅までが遠くに感じる。

駅にほど近いところにカラオケ店があって店名が「ジョーズ」だった、こちらのほうが版権にひっかりそうな気がするなあ。



映画「ジョーズ」が公開されたころ友人と
「じょーずがびょーぶにじょうずにえをかいた」(ジョーズが屏風に上手に絵を描いた)と冗談を言ったものだった。

ここまで来たら観光名所の蕪島へ寄らなくてはならない。
子供のころからなんども来ているのだがいまは整備されて昔の面影はなくなっていた。



この蕪島は昔は海に浮かぶ「島」だったが埋め立てて陸続きにしてしまったのだそうだ。
わたしの記憶にある蕪島は埋め立てた部分が満潮時には波が被るようなところだった。
もちろん道は舗装されていなかった。
蕪島のとなりは海水浴場で駅から歩いてこれる距離だから夏休みに遊びに来るのが楽しみだった。



いまでは遊歩道も整備されて「島」ではなくなったが名前は蕪島のままだ、蕪半島ではちょっとねえ。

近くに行ってみると蕪島の社殿は再建中であった。
わたしは知らなかったのだが2015年に全焼したので再建中とのことである。





一角に「八戸市蕪島休憩所」という施設があった。





中ではボランティアの人だろうか観光客に歴史や自然について説明をしていた。



見ると東日本大震災時の津波の写真もある。



あの津波の時はいまわたしたちが立っているあたりは波の下になっていたのだ。

夏はにぎわっただろう海水浴場には人影はない。



家族連れがカニでも捕っているのだろうか、



「ちゃんと探すんだよ、捕ったら今夜のおかずになるんだからね」「はーい、おかあさん」「ワカメも取るんだよ、味噌汁の具にするんだから」というような会話が聞こえてきそうだ。

進むと「水産科学館マリエント」の前を通る。





その先には鮫角灯台があった。





灯台はロマンがあるなあ。

左手に城壁のようなものが見え、わきに十字架のようなものも立っている。





近寄ってみると葦毛崎展望台であった。十字架に見えたのは案内パネルの柱である。



いつの間にか雲はどこかに消えてしまって青空になっている。



この葦毛崎展望台からの眺めはダイナミックで素晴らしかった。

のんびり見ていると時間を忘れそうだ。
写真を撮ってから道へと戻る。



ここからは海岸沿いに歩道が整備されている。



さわやかな潮風を受けながら散歩している家族連れが見えた。

わたしは県道1号線を久慈市方面へと歩いて行く。



弱い風が海から吹いているので暑すぎるということはないが日差しが強くなってきた。



青い空、緑の木々、左側には太平洋に素晴らしい風景が続き歩くのが楽しい。





陸奥白浜駅が見えてきた。





片面プラットホームに戸のない待合室というシンプル構造。







この路線では待合室はこのように開放式がほとんどだった、風雨や吹雪の日は大変そうだな。





ここからも海水浴場へ歩いて行けるのだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八戸線沿線を歩く旅(6)

2018年10月03日 | JR 八戸線沿線 歩き旅

白銀駅 ―> 鮫駅 JR営業キロ1.5Km
2018年9月15日(土曜日)


線路沿いを行くと「上下通り踏切」があってその先に「下通り踏切」があった。





「上下通り踏切」はどう読むのか?仮名がふってないからわからない。
「じょうげどおり」か「うえしたどおり」いや「かみしもどおり」かも知れないなあ。

上通り踏切は見なかったが見逃したのだろうか。
車の通行のできない小さな踏切が連続している道だった。


鮫駅に列車が入っていく。



鮫駅が見えてきた。



駅前で写真を撮っている人がいる。



なんと駅前で鮫が大きく口を開けて客を待っているのだった。



ユニバーサルスタジオのジョーズの頭部分だけ持ってきたような感じである。
ジョーズの版権は大丈夫なのだろうか? 鮫の姿に版権があるとは思えないから心配はないだろうけど。

鮫の口を覗くと鮫駅が見えるというのはご愛敬である。



だが頭部分だけでなく胴体も作ってほしかったなあ。

このインパクトのある鮫のせいで隣にあるSLの動輪に注目する人がいないのは鉄道ファンとしては残念なことである。
時刻はちょうど12時だ。







駅のベンチに腰掛けて自宅から持ってきたトーストの残りを缶コーヒーで流し込む。
ううむ、もすこしまとももな食事をしないといかんな。







待合室には観光案内所もあって客の相談に乗ってくれる。



昼食を終えたらすぐに歩き出す。

駅側から鮫を見るとドラム缶を覗いているみたいで面白くもなんともないのだった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八戸線沿線を歩く旅(5)

2018年10月02日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
陸奥湊駅 ―> 白銀駅 JR営業キロ1.3Km
2018年9月15日(土曜日)


歩き旅では市場で買い物はできないので休憩せずに歩き出す。

つぎの白銀駅までは1.3キロメートルと駅間距離が短い。
やはりここは都会なんだな。

少し行くと人が20人くらい並んでいた。



はて? なぜ並んでいるのだろう。
またしてもネットで調べてみると道路向かいの「みなと食堂」に並んでいる人たちであった。



食べログなどで話題になると大勢の客が集まってくる時代になった。
わたしは食べ物にこだわりがないし並ぶのも好きではない、グルメと縁のない生活だ。

その先には双葉湯という風呂屋がある。



そこから500メートルほど先にも三島湯という風呂屋があったがこちらは営業していないようだ。



八戸市は全国でも有数の風呂屋の多い街だそうだ。
「卵湯」は早朝5時半から「湯~とぴあ」は同じく6時から営業である、漁業に従事する人たちは早朝の仕事になるので仕事を終えてから入浴に来るのだろう。
料金も420円ほどと安い。

盛岡市では昔からの銭湯はすべて「スーパー銭湯」にとって代わられてしまった。
シャンプーや液体せっけんを備えてあるのでタオルだけ持って行けるというメリットがある。
そのためか料金は600円から800円である。これでは毎日銭湯に通うというわけにはいかないのだ。
風呂好きのわたしとしては石鹸とシャンプーは持参するから料金を抑えてもらいたいのだが。



踏切を渡り民家の路地を抜けていくと白銀駅に到着だ。






ここのプラットホームも長い。



そのプラットホームの端のところに「停車場中心」の標識が立っていた。
はて? どう見ても中心の位置ではない。
もしかしたら昔はこの位置に駅舎があったのだろうか。
不思議だが駅員がいるわけではないので聞くこともできない。
写真だけ撮って次の駅へと歩き出す。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八戸線沿線を歩く旅(4)

2018年10月01日 | JR 八戸線沿線 歩き旅
小中野駅 ―> 陸奥湊駅 JR営業キロ1.7Km
2018年9月15日(土曜日)

小中野駅を後に歩いていくとこんどは「湯―トピア」というお風呂屋さんがあった。





その向かいには大型スーパーのユニバースがある。
今日歩き終えたらここの風呂に入り向かいのスーパーで買い物をしよう。



「柳橋」を渡る。左手はすぐ海である。



欄干にはうみねこがいてあたりを睥睨している。



線路沿いを歩いていくと陸奥湊駅が見えてきた。



線路が撤去されてしまい構内が無駄に広くみえる。

むかしは無かった南口から入っていく、連絡通路はこんな感じ。





待合室を通ってプラットホームに出てみる。







むかしのままの「むつみなと」の駅名標を見て感傷に浸る。





北口へ出ると昔の雰囲気がまだ残っていた。





駅前には以前は無かった「イサバのかっちゃ」像が立っていた。



本八戸駅には銅像らしきものがなかったがこの駅はランクが上なのかしら。





イサバは市場、かっちゃはお母さんのことである。
なかなかよくできている。
左手にイカを持って「ほれ買ってけ~」と声が聞こえてきそうだ。
驚いたことに「イサバのかっちゃ」祭りもあるのだそうでYouTubeに動画があるのだった。



だが駅前の市場を見ると客の姿は無く、シャッターを下ろしたままの店も多い。







わたしの記憶にある駅前の市場はかなり賑わっていたものだが駐車場がないので客足が遠のいてしまったのだろう。
鉄道を利用して買いに来る客はほとんど無いのではと思う。
同じ八戸市に「八食センター」という施設ができてから観光客はそちらへ行くようになってしまい寂れる一方のようだ。

わたしは高校生のころ母親に「市場でクジラの肉を買って来い」と頼まれて買ったまではよかったが、列車の網棚に置き忘れて帰宅してしまい叱られたことを思い出してしまった。
いまでは鯨肉は高級品だが55年前は安い食品の代名詞であった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする