こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
『戦争と平和』
大仰なタイトルです
上記の絵は、東京大空襲、炎に包まれた言問橋に、炎に包まれた人々が集まっているところです
本所側から火の海を逃げて浅草側に逃げようとした人々と、浅草側から本所側に逃げようとした人々が橋の上で逃げ道を失い、焼かれている、という絵です
なぜ両側から火の海が押し寄せたのか、と言えば、米軍がその地域の人々を逃がさないようにするため、まずは周囲を焼き、退路を塞いだ上で中心に焼夷弾の雨を降らせたからです
小平次の母は、昭和20年3月10日未明、空襲警報の音で飛び起きました
まだ小学生程度だった母は、外に出て空を見上げます
真っ赤に染まる空
降り注ぐ焼夷弾を見て
『花火みたいできれいだ…』
と、思ったそうです
そんなのんきなことを言っていたのもつかの間
すぐに炎が押し寄せてきます
母の母、つまり小平次の祖母は母の手を引き、母より少し年長だった母の姉をつれ、炎から逃げようと走り出します
しかし、周りは火の海
どこへ逃げれば良いのか
偶然たどり着いた耐火性の強そうな倉庫群
そのうちの一つの倉庫に逃げ込みます
そこには多くの人がすでに逃げ込んでいました
しかし、建物自体は焼けずとも、周りの炎で中の空気がどんどん熱せられていきます
母たちは、その倉庫を出て、次の倉庫へ逃げ込みます
そこもすぐに熱くなり、息すらできないほどになります
そしてまた次の倉庫
母の記憶はこのあたりでいったん途絶えます
どこをどう逃げたのかわかりません
途中、姉ともはぐれました
母の次の記憶は、あたり一面の焼野原
夥しい数の黒焦げの動かぬ人々の山
川にはおぼれ死んだ人々と、水でも消えない炎と水とで膨れ上がり半焦げになった多くの多くの人々が浮かんでいる
母は祖母と黒焦げになった人々を乗り越えながら、自分の家のあった方へ向かいます
母の姉は一人、どこをどう逃げたのか、顔を真っ黒にしながらも、どうにか生き延び家のあったあたりで再開したそうです
小平次の子供のころは、まだまだ母のような戦争体験者、実際に軍に入り戦地へ赴き帰還した人たちがたくさんいました
子供のころからどれだけ戦争が悲惨で醜いものかを聞かされて育ちました
前にも書きましたが、小平次は以前クリスチャンでした
そのような戦争体験を聞いた小平次は、教会に行き祈ります、二度と戦争などが起きないように、決して起こさないように
若い頃からバンドなどをやっていましたので、時にギター片手に反戦、反核集会などで皆で歌ったりもしていました
署名活動なんかもやりました
今はキリスト教とは決別いたしましたが、戦争など二度と起こしてはならない、という想いは今も全く変わりはありません
ですが、小平次は現行憲法を破棄し、自主憲法持つべきだ、と考えている人間ですので、護憲派の方々からは
『戦争をする国にしたいのか!』
と、罵られる部類の人間です
『戦争など二度と起こしてはならない』
という想いは同じであるのに、そこに至るまでの考え方が異なる、ということです
逆に言えば、そこに至る方法論としての考え方が異なるだけで、想いは同じである、ということです
想いが同じであれば、互いに互いの考え、気持ち、そういったものを尊重し、協調しあうことはできないのでしょうか
そのためには、対立を煽り利益を得ているような人たちとは一線を画し、おかしな情報に踊らされたりしないように気をつけていなければならないと思います
戦時中の歴史については、様々な正反対の論が出回っておりますが、戦争について、少なくとも今わかっている事実を共有する、ということは互いに協調しあうためにおいて重要なことと考えます
例えば、南京大虐殺と言われる事件について
日本軍が南京占領後、30万人もの南京市民を、それこそ人が想像し得ないような残虐な方法で虐殺した、と言われております
妊婦のお腹を裂き、胎児を銃剣で突き刺し空にかざしたとか…
それに対して、当時20万人の人口の南京で、『どうやって30万人もの人を殺すのだ』、南京大虐殺などなかった、という反論があります
さらにその反論として、『30万人は誇張かもしれないが、数は問題ではない、1万人でも虐殺は虐殺だ』という人がいます
虐殺そのものが事実であれば、1万人だろうがその通りだと思いますが、数は問題ではない、はずがありません
現在、30万人もの南京市民を、それこそ人が想像し得ないような残虐な方法で虐殺した、と多くの中国人は信じているのでしょうから、本当に虐殺があったかなかったか以前に、30万人がウソであるとわかっていながら話し合いが出発することになります
ウソを横に置いたままでは、事実にたどり着くことができません
それでは互いに尊重し、協調し合えるような話し合いにはなりえません
事実の確認を怠ったままでは、感情的で不毛な議論となり、前へ進めません
これまで戦時の歴史論争なんていうものはいつもそうでした
以前のことですが、小平次の知人の韓国人男性が言いました
『日本人は20万人もの韓国人女性をトラックに乗せ連れ去り、性奴隷にした』
小平次は反論しませんでした
『それが本当だとして、あなたは今日本にどうして欲しいのですか』
『事実を認め、心から謝って欲しい』
『歴代首相の何人かが謝罪し、条約によってすべてを精算する約束でお金も払っています』
でも彼からすれば、そういう理屈は関係ないようでした
理屈は関係ない…、その気持ちはわからなくもないのです
『日本人は20万人もの女性をトラックに乗せ連れ去り、性奴隷にした』
そのように教えられ、そう信じているのですから、許せない、という純粋な気持ちなのです
(ちなみに彼は日本が大好きでした もはや会うことはかなわないのですが…)
だからこそ、『証言』とかだけではない、客観的な事実を導き出すために冷静に話し合い、その事実を共有することが、戦争を振り返り、二度と起こさないために重要である、と考えます(せめてまず日本人同士で)
最後に、日中韓の歴史認識について思うとき
もし、南京などでの凄惨な虐殺を、日本軍が軍の方針で行ったということが客観的な証拠から事実だと認められれば、それはそれで受け入れ、日本人として向き合わなければなりません
しかし、もはや戻ることのできない過ぎ去った歴史について、当時の世界情勢、それが生み出していた空気、緊張感、当時の価値観、道徳感、倫理観、そういったものを肌で感じることのできない現代人が、反論したくともかなわない故人に代わって謝罪するという行為は、歴史に対して大変傲慢な向き合い方だと常々思っております
そしてそのような行為は、何度かご紹介した韓国人研究者のイ・ウヨン博士のおっしゃる通り、日本が
『不必要な同情心で謝罪することが、むしろ韓日関係を深刻化させている』
と、思います
御免!
PS ちなみに小平次は、反韓、嫌韓を叫ぶネトウヨ連中は大嫌いであります
小平次がこれまでの人生で最も辛く苦しい思いをしていたとき、心温まる励ましをして下さったのは在日韓国人のある女性でした(彼女とかじゃありませんよ!ずっと年配の方でしたから)