画像引用元 そうだ、世界に行こう インド旅行は危険!?観光時の注意点とリアルな治安状況について
30年近く前、私のインド旅行、当時つけていた日記を元にお送りしています。
前回は、長く過ごしたプリーから、インドへ来て初めて訪れた街、カルカッタ。
喧騒と混沌の極みのような街、そのパワーに圧倒され、たった二日で逃げるように、カルカッタとは真逆のような街、プリーへ旅立ち、再び戻ってきた、というところまででした
では、続きをどうぞ
************************
駅の外はもう滅茶苦茶だった。人、人、人、車、車、車、リクシャ、リクシャ、リクシャ、けたたましいクラクション、インド音階の音楽、喧騒と混沌の極みだ、プリーとここではまさに天国と地獄だ…。
おれは腰を落ち着けよう、と思っているホテルは決めていた。最初にここに来たとき、K君と待ち合わせ場所にしながら会うことができなかったSホテルだ。Sホテルはあのサダルストリートにある。
サダルストリートまではタクシーで行くつもりであった。あの、人がはみ出して傾きながら走るバスに乗る気はなかった。
しかし、タクシー乗り場を見ると、もうすでに大荷物を持った人たちで長い列ができていた。長い時間列車に揺られ疲れていたし、まして不慣れなこの街でああいう列に並ぶのは避けたかった。
『Hi President… Taxi?』
一人のタクシーポン引きが声をかけて来た。
『ああ、サダルストリートまでだ』
『OK、それならば80ルピーで行ってやるけどどうだ?』
80ルピー、日本円で400円、どれくらいボッタクられた金額なのかはわからないが、東京でタクシーに乗ればワンメーター520円だ、慣れるまでは多少金を使うのも仕方ない、おれは『OK、行ってくれ』、その条件を飲んだ。
ポン引きの男が助手席に乗り、タクシーは走り出した。
大河、フーグリ川を渡る。
ハウラー橋 イメージ
世界で最も往来の多い橋だそうだ。
ほどなくして、タクシーはサダルストリート、インド博物館脇に停まる。
助手席のポン引きが後ろを向いて言う。
『80ルピーだ』
これは駅で乗る前に、口頭とは言え成立した契約だ、当然おれに払う義務がある、だが、実際のメーターはその10分の1、8ルピーだ、この先この街にしばらくいようと思ったら少しおれも強くならなくてはいけない、試しにおれは言ってみた。
『メーターは8ルピーじゃないか…』
『ア゛!? 何を言ってるんだ! お前は駅で80ルピーでOKと言った!』
『そうだけど…、まさか10倍とは思わなかった…』
『10倍だろうが何だろうが、お前は80ルピーでOKと言った!』
しばらく押し問答を続けたが、ポン引きの顏が怒りに満ち、今にもとびかかってきそうな様子になったので止めにした。これはおれが全面的に悪いのだ、そもそもおれは払う気でいるのだから。
おれは財布からガンディーの肖像入りの100ルピー札を取り出し
『釣りはいらない』
そう言って金を払い車を降りた。すぐにポン引きと物乞いが寄ってくる。だが、おれはあの日のおれではない、毅然として歩を進める。堂々と地図を出して。
インド博物館の壁を右手にサダルストリートを歩く、少し行って右に折れ路地に入る、路地は相変わらずゴミだらけだ、地面も黒くおおわれている、泥なのか埃なのか、良くわからないが何かが積って湿ってぬかるんでいる。
Sホテルはその路地から更に奥まった路地の奥にあった。一度、ラームに連れて来てもらっている。
Sホテルへの路地の入口に、湿った泥だか埃だかにまみれ、一匹の猫が半目を開いたまま死んで横たわっている。日本であれば、保健所やら役所やら、電話一本で片付けに来てくれるであろう、だが、ここはインド、しかもカルカッタだ。
Sホテルには、ひとまず一週間分の金を払い、フロント、と言っても机が出ているだけだが、そのフロントのすぐ左手にある部屋へ通され、カギを受け取った。
プリーで滞在した、バブーの伯父の経営するホテルに比べれば、ホテルの外観も汚いし、部屋は、汚くはなかったが、まあ狭い。シャワー、トイレを除いたプライベートスペースは畳三帖ほどだろうか、まあそれでもこの辺りの安宿の中ではいい方だ。
おれは夜行列車の疲れもあり、荷物を乱暴に床に投げると、そのままベッドに横になり、静かに眠りに落ちた。
つづく***************
いよいよ地獄のような街、カルカッタ到着です。このあとしばらくこの街にいます。
ここではだれか友達ができる、ようなことはありませんでしたが、色々な衝撃を受けます。
次回以降で少しずつご紹介して参ります。
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。
30年近く前、私のインド旅行、当時つけていた日記を元にお送りしています。
前回は、長く過ごしたプリーから、インドへ来て初めて訪れた街、カルカッタ。
喧騒と混沌の極みのような街、そのパワーに圧倒され、たった二日で逃げるように、カルカッタとは真逆のような街、プリーへ旅立ち、再び戻ってきた、というところまででした
では、続きをどうぞ
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駅の外はもう滅茶苦茶だった。人、人、人、車、車、車、リクシャ、リクシャ、リクシャ、けたたましいクラクション、インド音階の音楽、喧騒と混沌の極みだ、プリーとここではまさに天国と地獄だ…。
おれは腰を落ち着けよう、と思っているホテルは決めていた。最初にここに来たとき、K君と待ち合わせ場所にしながら会うことができなかったSホテルだ。Sホテルはあのサダルストリートにある。
サダルストリートまではタクシーで行くつもりであった。あの、人がはみ出して傾きながら走るバスに乗る気はなかった。
しかし、タクシー乗り場を見ると、もうすでに大荷物を持った人たちで長い列ができていた。長い時間列車に揺られ疲れていたし、まして不慣れなこの街でああいう列に並ぶのは避けたかった。
『Hi President… Taxi?』
一人のタクシーポン引きが声をかけて来た。
『ああ、サダルストリートまでだ』
『OK、それならば80ルピーで行ってやるけどどうだ?』
80ルピー、日本円で400円、どれくらいボッタクられた金額なのかはわからないが、東京でタクシーに乗ればワンメーター520円だ、慣れるまでは多少金を使うのも仕方ない、おれは『OK、行ってくれ』、その条件を飲んだ。
ポン引きの男が助手席に乗り、タクシーは走り出した。
大河、フーグリ川を渡る。
ハウラー橋 イメージ
世界で最も往来の多い橋だそうだ。
ほどなくして、タクシーはサダルストリート、インド博物館脇に停まる。
助手席のポン引きが後ろを向いて言う。
『80ルピーだ』
これは駅で乗る前に、口頭とは言え成立した契約だ、当然おれに払う義務がある、だが、実際のメーターはその10分の1、8ルピーだ、この先この街にしばらくいようと思ったら少しおれも強くならなくてはいけない、試しにおれは言ってみた。
『メーターは8ルピーじゃないか…』
『ア゛!? 何を言ってるんだ! お前は駅で80ルピーでOKと言った!』
『そうだけど…、まさか10倍とは思わなかった…』
『10倍だろうが何だろうが、お前は80ルピーでOKと言った!』
しばらく押し問答を続けたが、ポン引きの顏が怒りに満ち、今にもとびかかってきそうな様子になったので止めにした。これはおれが全面的に悪いのだ、そもそもおれは払う気でいるのだから。
おれは財布からガンディーの肖像入りの100ルピー札を取り出し
『釣りはいらない』
そう言って金を払い車を降りた。すぐにポン引きと物乞いが寄ってくる。だが、おれはあの日のおれではない、毅然として歩を進める。堂々と地図を出して。
インド博物館の壁を右手にサダルストリートを歩く、少し行って右に折れ路地に入る、路地は相変わらずゴミだらけだ、地面も黒くおおわれている、泥なのか埃なのか、良くわからないが何かが積って湿ってぬかるんでいる。
Sホテルはその路地から更に奥まった路地の奥にあった。一度、ラームに連れて来てもらっている。
Sホテルへの路地の入口に、湿った泥だか埃だかにまみれ、一匹の猫が半目を開いたまま死んで横たわっている。日本であれば、保健所やら役所やら、電話一本で片付けに来てくれるであろう、だが、ここはインド、しかもカルカッタだ。
Sホテルには、ひとまず一週間分の金を払い、フロント、と言っても机が出ているだけだが、そのフロントのすぐ左手にある部屋へ通され、カギを受け取った。
プリーで滞在した、バブーの伯父の経営するホテルに比べれば、ホテルの外観も汚いし、部屋は、汚くはなかったが、まあ狭い。シャワー、トイレを除いたプライベートスペースは畳三帖ほどだろうか、まあそれでもこの辺りの安宿の中ではいい方だ。
おれは夜行列車の疲れもあり、荷物を乱暴に床に投げると、そのままベッドに横になり、静かに眠りに落ちた。
つづく***************
いよいよ地獄のような街、カルカッタ到着です。このあとしばらくこの街にいます。
ここではだれか友達ができる、ようなことはありませんでしたが、色々な衝撃を受けます。
次回以降で少しずつご紹介して参ります。
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。