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30年近く前の私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております
今回は
インド放浪 本能の空腹 34 『物乞い』
カルカッタにもだいぶ慣れ、そんな中での日常です
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ある日のこと、おれはいつものように街歩きをしようとホテルを出た。
おれが根城にしていたホテルは、サダルストリートから路地に入り、さらに奥まったところにあった。プリーから戻って来た日、このホテルの前で一匹の猫が死んでいた。あれからそれなりの日が経っていたが、猫の死骸はずっと放置されたままで、腐乱も一通り進み、全体的に白骨化が始まっていた。
サダルストリートへ出ると、すぐに物乞いとポン引きが寄ってくる。この頃のおれは、最初の頃とはその様相もかなり変わっていたのだろう。
プリーで一度だけ髭を剃ったが、それきりだった。随分と無精髭も伸び、『インド旅行者』らしい出で立ちになっていたのだろう。そのせいか、声をかけて来るのは物乞いが中心で、ポン引きの方は割と少なくなっていた。
サダルストリートは大した規模の通りではない。人は大勢いたし、店も立ち並んではいたが、端から端まで、おそらくは数百メートルしかない。それでも、外国人旅行者が集まる場所でもあったので、ポン引きや物乞いは他の場所よりもひときわ多いように思えた。
物乞いとポン引きを交わし、少し歩くと、赤ん坊を抱いた女の物乞いと目が合った。女はおれに近づいてくると、何やらわからぬ言語で、必死に何かを訴え始めた。
こういう物乞いの全てに施しをしていたら、もちろんキリがない、気まぐれでそっと1ルピーコインを握らせるようなことは、随分と上手にできるようになってはいたが、この時、おれの気まぐれな気分は芽生えることもなく、おれは女を無視して歩き続けた。
それでも女は、おれの左ななめ前を必死に何かを訴えながら付いて来る。
『▲✖〇$$#+!! $#+ Milk ✖〇◆■@!!! 』
『Milk?』
そう、女は
『この子のために、どうかミルクを!!』
と、必死に訴えているのだ。
街のいたるところにある雑貨屋、赤い缶入りの粉ミルクを売っている店は多かった。
『▲✖〇$$#+!! $#+ Milk ✖〇◆■@!!! 』
『▲✖〇$$#+!! $#+ Milk ✖〇◆■@!!! 』
なかなかにしつこい、と言うより根性がある、女の熱意?、にほだされ、おれの気まぐれが頭をもたげた。
(次の路地を右に折れると、確か、雑貨屋があったはずだ、もし、そこまで付いて来る根性があったらミルクを買ってやろう…)
通りを右に折れる。
『▲✖〇$$#+!! $#+ Milk ✖〇◆■@!!! 』
女は付いて来る。
雑貨屋はもう目の前だ、おれは店の前で立ち止まる、女も立ち止り、ようやく黙る。
おれは店のオヤジに『あそこのミルクをくれ』と言って金を払う、そして女の方に向き、粉ミルクの缶を手渡す。女は、赤ん坊とミルクを両腕に抱え、どうにか胸の前で手を合わせ
『ナマステ―、ナマステ―』
と何度もおれに頭を下げた。
街歩きを再開しようと、おれは振り返る。すると、振り返った先には…
赤ん坊を抱いたオレンジ色のサリーを纏った別の女が、潤んだ瞳と笑顔で、まるでおれを救世主様でも見るかのような目をして立っていた。
そう、施しは上手くやらないとキリが無くなるのだ、おれはあたりを見廻し、他にも赤ん坊を抱いた女がいないことを確認し、店のオヤジに言ってもう一缶粉ミルクを買ってその女に渡した。
この街で、このような施しをしたからと言って、何か自分が良いことをしたなどとは到底思わない、むしろ逆だ、無力さや、訳のわからぬ虚脱感、諦観、そんなものが心に少し残るだけなのだ。それとて決して大げさな感情ではなく、ただの日常に過ぎないのだ。
また別のある日のこと、おれはインド博物館に面した大通りの歩道を歩いていた。すると前方に、何かを取り囲むようにして人だかりができていた。取り囲んでいるのは、ほとんどが地元のインド人のようであった。
『何だろう…?』
インド、特にこのカルカッタ、着いた当初は、本当に驚かされることばかりであった。手のない人、足のない人、両目がくぼみ、白目だけで見つめる少年、指が全て溶けて蝋のようになっている物乞い、極めつけは暗闇で現れた、両足を付け根から失い、上半身だけで手製のスケートボードのような板に乗り、船を漕ぐようにして迫って来た老人、あれから随分と日も経ち、そのような人々と出会ってもおれはもう驚くようなことはなかった。そんな人たちにもタイミングよく施しができるようになっていたくらいなのだ。
一体あそこには何があるのだろう、日本人のおれですら、もはや大抵のものに驚くようなことはない、にもかかわらず、取り囲んでいるのはインド人が大半、どんな珍しい物でもあるのか、想像もつかない、おれはその人だかりの輪に入り、背伸びをするようにして、人々が見ている『珍しいもの』があるであろう、人だかりの輪の中心に目を向けた。
そこにあったもの、否、居たもの、否、居た男、普通のインド男のように布をスカートのように腰に巻き、薄汚れたシャツを着て、右腕を枕に寝そべっている…、ごく普通の男…?、ではなかった。おれの頭が、その男の姿を、その姿どおりに認識するのには、少々の時間を要した。
男は薄汚れたシャツを胸のあたりまで捲り上げていた。捲り上げたその腹から、三歳児くらいの足が二本、出ていた。男が子どもをシャツにくるんで抱いている、のではない、その二本の足は、男の腹から生えているのだ。つまり、その男には足が四本あるのだ。男は、その二本の足が、紛れもなく自分のものであることを示すために、腹を出し、付け根を見せているのだ。
男の周りには小銭が散らばっている、つまりこの男は、自分の姿を晒し、物乞いをしているのだ。
物乞いの母親が、自分の子どもが将来物乞いとして憐れみを買い、少しでも多く稼げるようにと幼い内にその子の腕を切り落とす、普通に考えれば、そんな愛情なんかあるものか、と、怒りの感情すら湧き上がるだろう、だが、この頃、おれはそうは思わなかった。プリーのシメンチャロ―、どれだけ足掻いても足掻いても這い上がれない、将来の夢、それを思い浮かべることすら無意味、数千年の歴史の中で培われたこの地の土壌には、どうしようもなく、我が子の腕を切り落とさざるを得ない『愛情』が存在するのだ。
ホテルに戻り真っ白なキャンバスに向かう。描こうと思うものは決まっていた、ヒンドゥの神々の一人、象の頭を持つ神、ガネーシャを描こうと思っていた。
だがまだ描く気は起らないようだ。いつものようにウイスキーの小瓶を呷り、フォーサイスの『悪魔の選択・上』を手に取りベッドに横たわる。
『ペイパー、ペイパー、ペイパー、ドゥン』
そしてまた、いつものようにトイレットペーパー売りの声が外に響く。
**************つづく
この時は、インド人でさえ、男を取り囲み見ていたくらいなので、日本人の私も、さすがに少し驚きましたが、ああ、でもインドだから…、とすぐに受け入れました。
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