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こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
本日は
小平次の妄想的歴史探訪
「卑弥呼ではない!日御子さまです!パート3」
をお送りいたします
では、まずはぱーと1、2のおさらい
パート1、2では
「卑弥呼」という当て字はもうやめにしようということ
当時漢字を常用国語文字として使用していたのであれば
「邪馬台国の卑弥呼」ではなく「大和国の日御子」
であったのではないかということ
「日御子」擁立の過程と、即位後の長期政権の事実から「日御子」は神聖なオーラとカリスマ性を備え、そして誰も文句のつけようない正当な血筋の人であったのではないかと考えられること
そしてそのような血筋は、日本には、いや世界でも一つしかない、つまりは「皇統」ではないかということ
そうであればもはや「日御子さま」とお呼びしなくてはならないのでは、ということ
また「皇統」のどなたかであらせられたのであれば、古事記、日本書紀にその事績が記されているはずであるということ
日本書紀の神功皇后紀に、あくまでも魏志の引用である、としながらも魏への使節派遣について触れられており、日本書紀編纂者たちは「日御子様」を「神功皇后」に比定しようとしていたこと
では日御子様は「神功皇后」であらせられたのか
それについて、百済本記等、大陸の史書と日本書紀の複数の事件でその年代の一致が見られ、神功皇后の皇太子であらせられた応神天皇のご即位が西暦390年であると考えられること
そうなると雄々しく男装し海を越え、新羅討伐を果たした神功皇后こそ海外にまで名を馳せた日御子さまにふさわしいと思われましたが、その治世に150年ほどの開きがあり、この開きは残念ながらいかんともしがたく、日御子さまと神功皇后は同一人物ではあらせられなかった…
では一体…
というところまででした
さて、ここまでの妄想というのは、あくまでも日御子さまが皇統の中のどなたかでいらした、ということが前提です
「皇統の方ではなかった」
そういう人も大勢います
しかしながら、パート1でも申し上げましたが、日御子さまのご即位の直前まで国内は大変乱れていたわけですが、それらの争い合っていた者たち皆が日御子さまの皇位継承に納得し、武器を置いたのです
「争い合っていた者たち皆が武器をおいた」
これは大変なことです
大東亜戦争の終結、それは昭和天皇の玉音によってでした
世界中の軍隊から、世界で最も規律正しく勇敢な軍隊と評されることもあった日本兵が、天皇のおことばだけで武器を置いたのです
また、日御子さまの治世がおそらくは約60年と長期にわたり、かつ、魏志倭人伝に見られる
「風俗は淫らではない」
「盗みをせず争い事はすくない」
といった日本人の特徴から、その治世下は穏やかで日本らしい時代を創られていたと想像できます
神性とカリスマ性、だれもが武器を置く血筋の正当性、長き平和な時代の治世、絶妙なタイミングでの魏への使節派遣
卓越した古代女王は、やはり皇統のどなたかであらせられた、と小平次は妄想するわけです
そもそも日御子さまの治世はいつからいつまでなのでしょうか
その崩年は、魏志倭人伝などの記述から、西暦で言うところ「248年」とわかっています
ではご即位は?
「後漢書倭伝」
に、日御子さまの記述があることから、そのご即位は最低でも後漢朝の滅亡220年よりも前、ということになりましょう
さらに後漢書倭伝の記述
「桓霊間倭國大亂、更相攻伐、暦年無主。有一女子名曰卑彌呼」
から、後漢の垣帝と霊帝の時代において、倭国は大いに乱れ互いに戦い、何年も主無き有様のなかで「卑弥呼」を共立したと記されております
垣帝の治世が146年から167年、霊帝の治世が168年から189年
倭国大乱から日御子さまのご即位が、支那の二人の皇帝の治世、全期間(146年から189年)にまたがっての出来ごとということはないでしょうから、まったくの想像になりますが、日御子さまの崩年から逆算し、現実的な宝算(天皇の年齢・寿命)を考え、おそらくは垣帝の末期から霊帝の中期後期にかけてではないかと思うわけです
年代にすると、160年頃から、185年頃までの間、この期間に倭国大乱から日御子さまのご即位があったと考えるのが小平次としてはもっともしっくりきます
そこから日御子さまのご即位は180年から185年くらいの間と考え、おそらくはさほどの差はないのではないかと思います
二十歳前後でご即位になられていれば、宝算は83歳から88歳、当時としては長寿でありますが、あり得ないというほどではありません
では180年ころから248年の間
この時代に在位なされていた天皇はどなたであらせられたのでしょうか
日本書紀は一部において、その紀年を120年、60年周期である干支を二順させていることがわかっております(他にもカラクリがありますが)
神功皇后の皇太子であらせられた応神天皇のご即位は、日本書紀では西暦換算で270年、実際のご即位が390年、ぴたりと干支が二順、120年遡っております
日本書紀の中には、このような例を他にもいくつかみつけることができます
応神天皇
このことは、精緻な暦を駆使し、編纂者達が応神天皇のご即位を正確に390年と理解していた上で、わざわざ120年繰り上げていると思えます
それはとりもなおさず、どうしても日御子さまを神功皇后に比定しなくてはならない「事情」があったと小平次は思っているのです
その事情とはなんでしょうか(それはいずれまた)
日本書紀がこんなですので、日御子さまの時代、どなたが天皇であらせられたか
別な視点から考えなければなりません
「安本美典さん」
という古代史の研究者がいらっしゃいます
この方は基本的に「ヤマタイ国」北九州説をご主張なさっていて、小平次が今最も熱い古代史研究者として尊敬している「大平 裕さん」はその著書の中で度々安本さんの論に反論、批判をなさっております
それでも大平さんは、戦後の古代史学者が日本書紀を史書として認めず無視してきた中で、安本さんが丁寧に向き合っていらっしゃることを高く評価もなさっています
また、安本さんは、
「古代天皇一代平均在位年数約十年説」
を展開なさっていまして、大平さんもご自身の論の補強に利用なさっています
「古代天皇一代平均在位年数約十年説」
とは、即位、退位の時期などを歴史的事実として信頼できると言われている、第三十一代用明天皇から大正天皇にいたる九十八天皇の在位期間を算出し、時代を5~8世紀、9~12世紀、13~16世紀、17~20世紀の四つにわけ、おのおのの時代にご即位された天皇の平均在位年数を求めたものです(下記図)
これによれば、5世紀から8世紀の間の天皇の在位期間は平均約10.88年となるわけです
天皇の在位期間が、時代を遡れば遡るほど短くなるのは当然のことであり、支那王朝の皇帝や、西洋の王の在位期間も概ね似通ったものになるそうです
また、安本さんは、兄弟間で皇位の継承が行われた場合、これも当然のことですが、その在位期間はより短くなり、古代においては平均6.75年という数字も導き出しています
では、さらに遡り、1世紀から4世紀までの天皇の平均在位期間はどのくらいであったのでしょうか
おそらくは10年から10年弱、となるのではないでしょうか
そうなりますと、応神天皇のご即位が390年、ここから初代神武天皇のご即位を、おおよそで推定することはできないでしょうか
応神天皇は第十五代天皇であらせられます
つまり、過去十四代、140年遡れば良いようにも思えますが、母君であらせられた神功皇后の執政期間を含めますれば、十五代遡る必要があるでしょう
単純に一代十年とすれば150年、240年頃となるわけですが、この間に大平さんの論によれば、第十代崇神天皇までの間に、兄弟継承が4度あった可能性があるとのことで、そうしますと単純に、3.25年(10年-6.75年)×4=13年
150年から13年引いてやりますと137年、神武天皇のご即位は応神天皇の390年のご即位から推定しますと、253年頃、となるわけです(皇紀についてはまたあらためて)
神武天皇
さて、もちろん大平さんの論や、安本さんの在位10年説にも異説、反論数多あります
10年前後の在位期間と言うのもあくでも平均でありますし、正確でない部分もあるでしょう
それでもただ小平次の妄想にもっともしっくりくるということですすめさせて頂いているわけですが、この神武天皇のご即位が250年頃、というのはさほどに間違いではないように思います(大平さんは10年説だけではなく、多角的にそれを論証されています)
違っていたとしても、数十年単位、百年単位の違いはないように思います
そうしますと、それを前提にして確実に言えるのは、日御子さまの治世は神武天皇のご即位よりも「前」ということになってしまいます
つまりそれはもはや「神代」の時代に入ってしまうという事です
いやいや、妄想とは言え大変なことになってきました
続きはパート4で
御免!
※当記事は、主に大平裕さんの「日本古代史正解」他著作を参照にしながらあくまでも私的な妄想で述べさせて頂いていることをご承知おきください
パート2を拝読させていただいときは
『えぇぇっぇ!?』となり
パート3では
『ふむふむ・・・』
また次回パート4が楽しみであります(^O^)
永きにわたる皇統の基礎を築き上げてこられた、当時の天皇陛下の方々でありますから、やはりその真相というものを深く感じ入りたいものですね。
ありがとうございました。
お越し頂きありがとうございます!
もっと簡単に書くつもりだったのですが、何だか長くなってしまって…
「真相」かどうかはわかりませんが、日本人としてこうであったらいいなあ、ということを妄想してますと、自分の中で自然と歴史がつながってきて、何とも言えぬ快感なのです
特に古代史は超スペクタクル巨編映画のようであります
ありがとうございました!