EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

生徒会の会誌を探していた高校の時の事

2014-06-06 10:47:23 | EL&Pにまつわる少年時代から20代の頃の思い出
生徒会の会誌を探していた
高校の時の事


2日前、1974年のミュージックライフ誌を取り上げた際に、
その頃の自分の事を少しだけ触れましたが、
今日は高校時代の話を少し書いてみます。

私が通っていた高校なのですが、
高校1年の途中から、新しい校舎の方に引っ越しをしました。

高校1年の通い始めは、
自宅から歩いて5分もかからないところに校舎があったのですが、
新校舎は、山の上の方に建てられて完成したわけです。

そのため、坂道を徒歩15分ぐらいかけて、
登っていくというハードな条件になりました。

新校舎になってから2年目の秋に、
友人のつてがあって、新聞部に入ったのですが、
運動部と違い、課外の部活動とは異なる扱いのため、
クラブハウスが存在していませんでした。

(新校舎が落慶した翌年ぐらいに、個別の小さなクラブハウスが、運動部の数の分だけ、建てられていたように思います。ただの着替える部屋ですけど。)

そのため、新聞部では、
生徒会の部屋を何かと利用していたわけです。

生徒会室には、過去の生徒会の会誌が、収納されている棚がありました。

生徒会の会誌と言っても、
その年に在職していた先生方の寄稿文も載っている、
年に一度発刊されていた文集のようなものですね。
在校生の文章は、1年生から3年生まで、
学年を問わず載っているので、卒業文集とも言えないわけですが。

過去の生徒会の会誌は、
特に厳重に管理されているわけではないので、興味があれば、誰でも見る事ができました。

そこで、過去の生徒会の会誌を物色し、

(しかし、こうしてみると、当時からやっている事は、今と大して変わりませんな)

特に、「展覧会の絵」がヒットした年の生徒会誌に、
洋楽好きの先輩のどなたかが、
何かを書いている痕跡があるのではないかと思い、
パラパラとめくったわけです。

そしたら、やはり、そこには、「エマーソン、レイク&パーマー」、もしくは、「ELP」の文字があったわけですね。

限られた頁数という事もあり、
すべての在校生が自分の趣味に関わる事に関して、
原稿を依頼されているわけでもないでしょうが、
それを書かれた先輩は、
その年の風潮を綴るような形で、自分の音楽趣味を、
生徒会誌に載せる事に成功したようでした。

「洋楽ではエマーソン、レイク&パーマーの展覧会の絵(あるいはナットロッカー)などがヒットした。」

という感じの記述がしっかりとありましたね。

「おお、当校の先輩にもEL&Pを知っている方がいたのだ!」

と思って少し良い気分になりました。

それを同級生のイエス好きのプログレ親友に、

「どうだ!スゴイだろ!プログレ先輩がいたのだ!」

と見せましたね。

しかし、彼は「イエス」の事が書かれていなかった事もあってか、
反応は今ひとつでした。

今にして思えば、プレグレ先輩という決めつけは大袈裟でしたね。
その年の洋楽ロックが好きだっただけかも知れません。

言える事は、私はこの高校の先輩は、1972年当時、間違いなくEL&Pを気に入っていたのだと思いますね。

そして、その嗜好を生徒会誌に残すために、文章の中に織り込んだのでしょう。

以上。

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