EL&P図書室3号

2001本目の記事から2.5号から3号に変更

音楽専科 1982年 5月号

2014-06-18 18:45:49 | Carl Palmer関連
音楽専科 
1982年 5月号





カールへのインタビューの頁


一般のプログレファンにまだエイジアの音が届いていない状態での、
カールとウェットンへのインタビューが掲載されています。

当初、スティーヴ・ハウとジョン・ウェットンがブライアン・レーンによってくっつき、
そのコンビにタイミングよく誘われたのがカールだったようです。

そして、最後に呼ばれたのが、ダウンズという事のようですね。

ウェットンはリリース前の段階で、全曲に絶対的な自信を持っているのですが、
やがて自分自身が一時的に脱退をせざるを得ないようなしがらみまで作り出してしまう、
驚異的なセールスを記録するとは思ってもいなかったでしょう。

グループ名をエイジアにすると決めた段階で、
同名のバンドが米国に既に存在しており、
そのバンドから名前を買い取ったという話もありました。

カールのインタビュー自体は注視するべき事はありませんが、

「音の方はインスト主体ではなく歌モノ主体」

と述べていますね。

つまり、「U.K.」ファースト的な音ではないという事だけが予想されていたわけです。

先般、ミュージックライフ誌で述べていたカールのインタビューから抜き書きしましたが、
その中で触れていた、ファンタスティックなアメリカンプログレとも一線を画すサウンドであるという事や、
自身がリーダーバンドであった「P:M」のサウンドとも違う、
遙かに期待できる楽曲で占められたアルバムになったとは思っていたでしょう。

カール自身も自分たちが一年がかりで創造した音楽をどのように形容するべきか、
まだ、言葉が見つかっていない様子ですね。

ちょうど、
アルバムレビューのコーナーでもデビュー作が取り上げられているのですが、
書き手の方はかなり好意的な評価をしています。
それまでのプログレファンに気に入られるかどうかは別として、
新しい音であった事は確かであり、新人バンドのようなエネルギーを感じたようでした。

また、
エイジアのメンバーが選抜されるまでのエピソードを集積しているサイトがありましたが、
それを読むと、1人メンバーが違えば音も全く違ってくるような状況ですね。
当然、売り上げにも関わってしまうわけですが、
イエスに参加する前のトレヴァー・ラビンや、
キース・エマーソンもその候補に上がっていたようです。

キースが歌モノ主体のロックのバックをつとめても、
長くは続かないでしょうね。

今からみると、デビュー時のメンバーが、
必然的にすいよせられてエイジアになっていったという事になりますね。

以上。

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