晴れたら野山に出かけよう!

おいしい空気をいっぱい吸って 愛しい花や小鳥に会いに出かけよう

GoToキャンペーンのつけは?

2020-09-25 10:07:55 | 思うこと

毎日毎日テレビでは GoToキャンペーンの宣伝が繰り広げられている。旅好きの私は 「せっかくのご好意を使わせていただこう」と近場の宿泊を申し込んだ。 国から、地方自治体からと、いろんなところからの税金で補助され 1泊10万円もするホテルが 夫婦二人1泊2食つきで5800円ほどになるそうだ。私は久しぶりの旅行で楽しみだが もともとこの費用は1.35兆円の補正予算から捻出される。 1兆円とはとんでもない大金だ。 新型コロナウイルスで 人の命が脅かされ 経済は奈落の底に落ち込み 借金をしてでも社会を救わなければならないのは仕方がない。が 国民全員に10万円が支給され 窮地の事業者には100万円単位のお金が出された。援助しなければならない世界はどんどん広がり あっちにもこっちにも助け船を出す。それGoToトラベルだ GoToイートだ GoToイベントだ と莫大なお金は国債という借金をしてどんどん出ていく。 今年の国家予算は前年に続いて100兆円を超えた。そして国債残高は900兆円を超える。国民一人当たりの借金は723万円、このお金の返済はだれがするのだろうか? 国の財政の仕組みは私にはわからないが 家庭の財布管理をしてきたものには不思議でもあり 恐ろしくもあり。本当に必要な出費だろうか? 無駄はないのだろうか?  と首をかしげる。

ましてや高額のホテル 高額の食事に行けるものはいいが 寝たきりの年寄りや 日常の生活に困る人々には縁のない話だ。お金持にどんどんお金を使ってもらうのはいいが そのつけは貧しい人にもGoToに参加できない人にも 増税となって降りかかってくる。その辺をわかりやすく説明してほしい。


パソコンの危うさ

2020-09-24 02:03:16 | 思うこと

ある人のblogを読んで 改めて「気をつけねば」と思ったことがある。 

紙に記録されたデータは 間違って捨てたりしない限りなくなることはないが、パソコンに保存したデータというのは ちょっとした手違いでいつ消えてしまうか危ういものだ。 データを移動させたりするとき、うっかりすると上書きしてしまって あっ! と思った瞬間すでに時遅しで 以前のデータは二度と見ることは出来ない。 私のような慌て者は 何度その失敗をしたことか。また PCやHDは いつ壊れるかしれない。いや いつか必ず壊れるものだ。所詮PC初心者だ。 企業などでは 絶対失敗しないように対策しているが 家庭ではそのような対策をする方法がわからない。 大切なデータはHDにバックアップしているが そのHDもいつか壊れると思い もう一つHDを買って同じデータをコピーしておく。ところが 長年使っているうちに 時々データを整理するのだが ふとした時に上書きしてしまったりして 瞬間的に今までのデータがなくなってしまう。まさしく真っ青になることもある。 また HDも壊れやすい。 私はパソコンを始めた頃は160GBぐらいのHDから ずんずん大きい容量に買い替えて今までに4台のHDを買ったが そのうち2台のHDはいずれも突然壊れて二度と再現できなくなってしまった。一台は電源が入らない。もう一台は 電源は入るのだが「データがない」と表示される。業者に頼めばそのHDの中身を取り出せるそうだが 10何万円かかかると言われれば そこまでするのももったいなくて あきらめることになる。夫が自営業を始めた時は すべてが手書きだったが そのうちPCでデータを保存するようになった。そのデータだけは失くしてはならないので、複数のHDに重複して保存したが 写真などは時間もかかるし 十分な保存が出来ていなかったりする。たくさんのデータを小分けしてコピーなどしていくと うっかり漏れるものもある。 そんなことがたびたびある。もう老い先短いのだから 失くしたデータは私にとって大切なものでも残された子供たちにとっては痛くも痒くもない。どっちみち すべてが廃棄されるのだ。そう思えばもう消えたデータに執着することもないのだが。そんなわけで 写真はすべてバックアップしてきたつもりが 所々で欠損している。アナログのアルバムなら 無くなることはまずないが。 今では3TBのHD1台が頼りだ。何とか壊れずに持ちこたえてほしい。 なにかとパソコンに振り回され疲れる。

それにしても 自分の生きた証のようなデータなのに 安倍内閣時代の大切なデータは1年もたたないうちに消去されたなんて、、、 そして必ずどこかに残っているだろうに 新しい官房長長官も「データは廃棄しているので再調査するつもりはない」と言ってのけるその不誠実さが腹立たしいですね。

 


やっと梅雨明けか?

2020-07-31 05:28:49 | 思うこと

長い梅雨だった。その間 日本各地で豪雨による災害を引き起こした。 毎年豪雨災害が起こるので 今後住む場所を考えるときは 利便性のほかに ハザードマップなどで安全性を確認することがなにより大切になる。「今までに経験のない」と表現される自然現象がたびたび起こっている。地球温暖化が大いに関係があると思われるが この調子で災害が増え続けると人々の幸福な生活が思いがけない苦しみに見舞われることになる。 豪雨 地震 暴風 竜巻 猛暑。 人々の助け合いなどだけで乗り越えられない惨事頻発を少なくするために 自分にできること。 まずは「非文明的」でも 温暖化に加担しないことを心がけたい。 「喉元過ぎれば・・・・」とならないように。


2020-06-23 05:48:28 | 思うこと

今の一番の楽しみは 生まれてきたメダカを見守ること。体調は1㎜ほどだが 幅は0.5㎜にもならない透き通った絹糸が 小さな子供用のバケツの中を動き回っている。この小さな糸くずのような先にはしっかり頭がついていて目玉だけが動き回っているようだ。 どんなに小さくても口もあり 心臓もあり いろんな臓器が納まっているのだ。小さなバケツの中に30の命があり それが生きて動き回っている! すごいなぁ、、、、 

全ての命が健やかに育ちますように。


中村哲氏を追悼 憲法9条を守ろう

2020-02-12 14:10:51 | 思うこと

昨年末 中村哲氏が アフガニスタンの地でに武装勢力によって銃殺された。立派な方でした。その後 NHKで幾度か中村氏の功績を伝える報道がなされた。 ETV特集「武器ではなく命の水を」 心の時代「長き戦いの地で」 私はこの時初めてこの人の偉大さを知った。 今までにもアジアの戦地でボランティアをする人々がテロリストによって殺害されたことは何度もある。志高く 戦禍の人々に医療を 食料を 教育を 幸せを 与えるために 命の危険を顧みず自分の生活をなげうって現地の人々に尽くしておられた。 中村氏はお医者さんで現地の人を救助するだけでなく 病気の根源にある井戸を掘り、川を作り乾燥地帯に水を引き アフガ二スタンの人々の命を救ってきた。 その中村氏がテロリストによって殺された。人々から感謝され それまでも幾度も アフガニスタン、日本の国から表彰 勲章が授与されているが 死後さらに日本の国から勲章が与えられた。お別れ会には 上皇、上皇后 秋篠宮から弔意が贈られ、 安倍総理をはじめ 自民党の主だった人、公明党代表 共産党委員長からも中村氏を悼む声があがった。(Wikipedia より)  政治家は自分の発した声を大切にしてほしい。

その中村氏の生前の声がある。

アフガニスタンでの活動について、「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語り、憲法9条の堅持を主張した。また左高信に対しても「アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」とも語っている。(Wikipediaより)

今 国会では 安倍首相は 「何が何でも今年中に憲法9条を改正をしよう」としているが 私は今の平和憲法9条を永遠に守り 国家を守るというための武力、自衛隊のない平和な世界を作ってほしい。 中村哲の意思を継ぐためにも。


忘れてはならない「淡路・阪神大震災」から25年。 

2020-01-17 08:18:13 | 思うこと

今朝は早朝からラジオで 「淡路・阪神大震災の記念追悼番組」が報道されていた.。 昨夜から放送されていたのかもしれないが 私が枕元のラジオのスイッチを入れたのは5時前だった。 寒空の中 あの震災で家族や友人など 大切な人を亡くした人々が各地に集まって 追悼の時を持っている。5時46分 黙祷! 亡くなった6434人を忍ぶ。

我が家では震度4ぐらいだったが寝床の中で なかなか収まらない地震が恐ろしかった。階下の食器棚の観音開きの扉が開き 食器が床に木端微塵になって散らばっていた。 テレビで次々に入ってくる報道は 目を疑うような惨事が繰り広げられた。 夜が明けると 高速道路が倒れている! あちこちで火災が発生して煙が次々と増えていく。赤い火が見える、、、、  震源地は東灘? 東灘には叔父の一家やいとこが住んでいる。電話も通じない状態の中で 叔父家族は全員無事だったようだ。 

鉄道はもちろん通らないので 多くの人が手に支援物資をもって 背中に大きなリュックを背負って 鉄道の線路の上を歩いて延々と被災地に向かう。 数日後 夫の運転で水などを届けるために朝早く家を出たが 幹線道路は破壊されているし 通れる道は救助の緊急車両で一般車は通れず 回りまわって伊丹のあたりを通って 夜遅く叔父の家にたどり着いた。途中公民館などでトイレを借りることもできず青ざめた。 家々はぺしゃんこになってゆく手を阻む。六甲山の裾に建てられていた叔父の家は 太い鉄骨の梁が傾いてむき出しになっていた。 よく助かったねぇ、、、、、

あれから25年。6434人の犠牲者。神戸の街はきれいに生まれ変わったが 震災によって泣き 人生が変わった人は多い。

そのあと東日本大震災が起こり一層大きい被害が日本を襲った。 この時も 津波のすさまじさに こんな恐ろしいことが起こるものなのか とテレビにくぎ付けになった。 東北地方には 親戚も友人もいなかったが 街も家も車も人もゴーっと流されていく現実に 被災者の恐ろしさを思った。

人間の文明によって地球の温暖化が加速し 自然災害の規模が大きくなり 地球上の全生物があえいでいる。 明日にも当地でも地震が起こるやもしれない。 とりあえず 明日の震災を想定して心することが大切だ。 あの震災を忘れない。

 


驚き!!

2019-09-14 05:46:42 | 思うこと

朝から、驚きというか 感動というか、 胸打つ出来事でした。

朝早く目覚めたので バス停前にあるポストへ手紙を出しに行きました。まだ夜が明けたばかりでほとんど人影もなく土曜日の朝ということもあるのか、あたりは寝静まっている感じです。 バス停は小さい公園の前にあり、近づくとサッサ、サッサとホウキで掃く音が聞こえてきます。朝早くからお掃除、ご苦労様だなあ~と 自治会のお当番の方がきれいにしてくださっているものと思ったら 若いお元気そうな男性が二人。 「えぇ? 自治会の方ですか?」とお聞きしたら どこか曖昧な返事。小さな公園には草地、コンクリートの地面や お地蔵さんのお祭りしている設置物 バス停までは階段 側溝 ベンチ等々があります。 7人ほどの男女が 隅から隅まで懸命にくまなく掃いて 周りは樹々が茂っているのに 落ち葉の1枚もなく なんとすがすがしいこと。しかし一体この方たちはなに?  こんなに朝早くに・・・・・

どうやら住宅地に住んでおられるのではないようです。 不思議に思って 立て続けに聞いてしまいました。「ボランティアですか? 月に1回? いつ頃から?」 もう30年も前から 毎週 自分たちの住まない住宅地まで来てお掃除をしてくださっておられるのだそうです。「お寺の修行です」とのこと。 本当に驚きました。 私の住む住宅地はこんな方たちにも守られていたのですね。

自治会の当番で回ってくる年2回(それも15,6年に1度回ってくる役員の年だけ)の公園周辺の掃除さえ、いやだなあ と思いながら いい加減にすましてきた私なのに、知らないところでこんなにきれいにしてくれている人がいるなんて、、、、、、 頭をガツーンとたたかれたような気がしました。

「修行?」 こういう行いをすることで 自分を磨いておられるんですねぇ  そういう信仰を持たない私には 驚くばかりです。「う~~ん」と自分を振り返るばかりの朝の出来事でした。

昨日から急に涼しくなり 秋の気配を見せてくれました。庭では ワレモコウや ホトトギスが秋の到来を告げています。関西では まだ残暑が厳しいようですが 厳しい暑さももう少し。頑張りましょう。

ワレモコウ

シュウカイドウ

シュウメイギクも咲きだしました

 


旅は行ける時に惜しみなく出かけよう

2019-08-10 15:44:40 | 思うこと

今では行きたいところも特になく 一人になってからは出かけたい願望はすっかりなくなってしまった。 旅の仕方も人それぞれで 自分の好きな方法で楽しむのがいい。 私は主に中部山岳地方、東北地方、北海道が好きで いつも夫と出かけた。次々と行きたいところには行きつくした感がある。 外国旅行は 後にも先にもニュージーランドに行っただけだ。 しかし 日本の自然の美しさ、奥深さは わたくしたちを十分に満足させた。 春の雪国に咲くお花の凝縮した美しさ、夏の高山の澄んだ世界、秋の紅葉の華やかさ 冬の雪世界の厳しさ、白の世界の美しさは 筆舌に尽くしがたい。

しかし年を取り まして一人になると喜びを共感する人もなく 旅に楽しみを期待することは全くなくなってしまった。何とか、日々の生活に喜びを見つけたいが何も思い浮かばない。 新しいものを手に入れたい欲もなくなった。 年をとるということはこんなことなんですね。 話は暗くなりましたが現在の私の姿です。 

二度と若い日は戻らないけれど たくさんの思い出があることが 心に山があることが幸せといえるだろう。 書くことがないので思い出写真ばかりです

岩手県 沢内村

夏の穂高岳より

京都芦生の森の秋

美瑛の雪原


断捨離 

2019-07-23 09:51:53 | 思うこと

もう そんなに長くは生きられないと思うので 少しづつでも身の回りを整理しておこうと思うが なかなか進まない。

写真 アルバム類のすべてはパソコンの中にデジタル化した。ずいぶん嵩は小さくなったが これも私がいなくなったら 多分パソコンとともに廃棄されることだろう。 思えばたくさんの写真があった。 私の幼い時から今までの記録、夫の生涯の記録、結婚後築いた家族との記録 これは子供たち二人が生まれた時から巣立って行った記録、そして子供たちの家族との記録 子供が巣立ってからは 夫婦で思う存分歩いた日本各地の山々や行きたかった地方の旅の思い出、  すべてがHDに収まって いつでも見ることができるようにはなっている。紙の写真はすべてスキャンしたので その数は1万枚はくだらない。デジタルカメラになってからは フィルム代も現像・焼き付け代もいらないので1度行く旅の写真は1000枚ぐらいになることも多く それが繰り返されたので膨大な写真だ。 まあ 私の生きている間は 時々見直すことにしよう。

次に気にかかるのは 山岳関係の書籍だ。出かけた山では 山小屋のオーナーである写真家の写真集 高名な写真家の山岳・ネイチャー写真集、いずれも立派なものだ。そして昭和の時代に書かれた山岳全集も 単行本も大事にしてきたものだが 私がいなくなったら 山に趣味のない子供たちは捨てるしかないだろう。寄贈しても展示場所の限られている図書館などでは 有難迷惑だろうし どこかで役立てられないかなぁ、、、

次に気にかかるのは貴金属や宝飾品。もう自分は使わないと思うものがいくつかあるが これはきちんと整理しておいて 誰か使ってくれればうれしいんだがなぁ、、、、

私たちが若かったころ 結婚するときには和ダンスに和服を一通りそろえなければならないものと思っていた。今ではほとんど着ないまま 風を通すこともなく、日の目を見ることもなく タンスの中で眠っている。私には女の子供はいないし 例えいたとしても今の時代和服を着ようとする人は少ないし 好みの問題もあるし 私がいなくなったら 高価で無理をして作ったこれらの和服もそのまま廃棄されることだろう。 そのくせ 買い取ってくれるところもあるそうだが 和服一着500円などと言われるとそこまでするのもばからしく 状況は変わらない。 「もったいない」けれど 私たちの年代以上の人は きっと同じ思いだろう。 

そんなことを寝床の中で考えていたら 寝付かれなくなってしまった。 生涯を閉じるって大変なことですね。自分でできる間に整理しておこうと思いつつも ついついそのまま日が過ぎていきます。 とりあえず 整理の苦手な私の雑然とした身の回りを せめて人並みにきれいに整理しなければ、、、、、


プラスチック(合成樹脂)に依存する生活をやめなければ。

2019-07-02 14:13:36 | 思うこと

近年 急激にプラスチックごみの海洋汚染が問題になってきた。 先日 テレビで『BS1スペシャル「”脱プラスチック”への挑戦」持続可能な地球をめざして』 が放映された。日常使っているプラスチックがごみになり、海に流れ出ている。最初は大きかったものが 波にもまれ風化していくうちにいつの間にか1㎜以下に細かくなってマイクロプラスチックになり 海の生物がそれらを食べ 魚が汚染され 死に至っている。海に流れ出たプラスチックごみは海流に乗って 地球の一定の場所に流れ着いて そのひとつである「太平洋ごみベルト」と呼ばれる海域にも集まり、海を汚し 生き物たちの命を奪っている。そしてそれらの生物を食す人間も汚染され また 風化するプラスチックは温室効果ガスを発生させ 地球の温暖化を加速させる。 それらの事態に危機感を持つ世界中の人々が、オランダの24歳の青年の発起から始まって海からごみを回収しようとしている。 すごいことだ。

以前からプラスチック製品は あまり体によくないと感じていた。出来たら 私もプラスチックを排除した生活をしたいとは思っている。 NHKテレビの「猫のしっぽ カエルの手」で知られる京都に住む英国人のベネシアさんはできる限りプラスチック類を使わない生活をしておられる。テレビで見る限り 食器はもちろんのこと 食品の保存容器、調理器具、家事用具一切に至るまで ほとんどプラスチックは見あたらない。 庭のバケツも ジョーロも ブリキのものだ。それが徹底しておられることに頭が下がる。

歴史に疎い私は NHKの大河ドラマさえあまり見ないので 当時の生活用具を丁寧に見てはいないが 当然プラスチックのない世界だろう。最近 朝ドラの「おしん」が再放送されている。 あの物語は 明治から昭和にかけての物語で 一切のプラスチックのない生活だ。そういう私も昭和19年生まれ。同じような生活だった。そんな私の生活に初めてプラスチックが入ってきたのは何だっただろうか? 洗濯機 テレビその他の電気製品、だろうか? おもちゃや文具(筆箱、下敷きなど)は セルロイド で出来ていた。セルロイドもプラスチックの仲間だろうか? 石油は使っていないが、、、、、昭和の30年ごろからわずか60年ほどの間に 急速にすべてが石油製品に依存するようになった。衣類まで石油を原料とする素材がほとんどだ。 私を取り巻く品々は 石油を使っていないものはないといっても過言ではない。 ごみにならないようにリサイクルすることは当然だが それもいつまでもリサイクル出来るわけではなく 何回かリサイクルするうちに劣化してリサイクルできなくなるそうだ。

今 世界中で 石油製品であるプラスチックなどの合成樹脂なしには一日も過ごせない。 最低 ごみに出さない(リサイクルする)、海や山に捨てない そして出来るだけプラスチック系のものは買わず、使わず 「木」や「植物」「紙」「陶磁器」「金属」「鉱物」「動物の毛や皮」などの自然の素材を大切に使い 地球が持続可能になるような世界でないと 子供や孫などの時代に幸せはないだろう。 みんなで心しなければならない 重大な問題です。 


「宝物」から思うこと  やさしさの言葉

2019-06-06 10:50:39 | 思うこと

昨日blogに書いたメールを何度も読み返す。 メールをくれた彼女の心の優しさは、優しい人の中でも際立っている。

友人や知人の親しい人が亡くなった時、誰でも「寂しくなりましたね」とは言う。しかし それを我がことのように 「私も寂しい」とまで言う人はめったにいないと思う。 一緒になって悲しんでくれているのだ。また外出しにくい中をお見舞いに来てくれた時、話すことも、身動きもできない夫の腕を優しくさすって声をかけていてくれた。 友人の夫の腕を優しくさすり、心の痛みを和らげてくれる人もめったにいないと思う。 

30年前 私は脳腫瘍の手術で 顔面が半分マヒしてしまった。その後 まだ顔のゆがみがひどかった時のことだ。あるお医者さんに行った。その初対面のお医者さんはかなり老齢の男性のお医者さんだったが 私が命を取り留めれたことを聞いて しみじみと 「よかったねぇ、、、」と 本当に心底から喜んでくださった。初めてのお医者さんにそこまで思いを込めて声をかけられたのは 後にも先にもない。 あの時の声の優しさは 下ばかり向いて過ごしていた私には どんなに嬉しかったことか。 今もはっきり耳に残っている。

人の言葉って すごい力があるものですね。 

私も つらい思いをしている人に、こんな優しい言葉をかけれる人間になりたい。


私の宝物

2019-06-05 03:52:53 | 思うこと

私の手元に友人から来たメールが2通ある。夫が亡くなって間もなく、友人が書いてくれたものだ。なんて優しいメールだ。普段決して偉ぶらないどころか、「新しいことを学んでもすぐに右から左へ抜けていく」と嘆いている、その彼女の書いてくれた温かさに満ちたメールを淋しい時の支えにしている。こんなにやさしいメールを人に送れる彼女は 今大けがをして入院している。 早く元気になってくださいね。

昨日、かかりつけのお医者さんに行ったとき 夫の話になった。「喧嘩ばっかりしていたわ」と言ったら 先生は「いつも〇さんが吹きかけていたんやんか、、、」と言われた。私は笑って「そうですねぇ」と頷いた。動くことも食べることも話すことも出来なかったが 入院先から連れ帰ってきて家で過ごした半年。先生がずっと往診してくださった。10年以上私たち夫婦の健康の管理をしていただいている。「いい夫婦だったよ」とも言ってくださった。 帰宅して また友人からもらったメールを出して読んでいた。 淋しいけれど頑張ろう。

 

メール その一

主人様が逝かれて、もう2週間が過ぎました。

立派に介護されて、誰もできないような愛情たっぷりの介護

頭が下がります。

 

お疲れになられたことでしょう。

これからさみしくなりますね。 私もさみしいです。

でもこの一年の看護のご主人様との、思い出濃密な思い出

一緒になられてからのいい思い出がたくさんあるからきっと寂しくないと思います。

本当にやさしいご主人様でしたね。

 

私もご主人様との思い出はいっぱいあります。

なんどかお邪魔した時も優しくむかえて下さり嬉しかったです。

この前お見舞いに行った時も本当に私だとわかってくださり、

〇さんの言う通り、優しい目で見つめてくださいました。

分かってくださるうちにお会いできたこと、本当に良かったです。

手のぬくもりが、今も、ありありと感じます。

 

一人だと思わずにお友達も大勢おられるからきっと寂しくないですよ。

一報を聞いてから〇さんとずっと心の中で、話をしています。

よく頑張りましたね。

本当にいい奥さんであり、いいお母ちゃんであり、世界一いいご夫婦でしたね。

いっぱい話したいことがありますが、上手く文には書けません。〇さんのような生き方は誰も、真似もできません。

 

またパソコンのこと、教えてください。

 

メール その二

〇さま   こんばんは

 こんないい写真を撮ってくれてあるとは、知りませんでした。 

 ご主人さまずっと私を見つめてくださっていますね。

話がずっと聞こえていたのですよ。 うなずいてくれていたものね。

目も見えていたのですね。きっと 手を握った時のぬくもりが伝わってきます。

 

本当にいいお母ちゃんで、 往診の先生も、来るのも楽しみ

帰るときも、このお母ちゃんに安心して任せておけると、安心して

ずーっと、まだまだこれからも続くと思ってくださっていたとおもいます。

 

桜の花が咲くころに、車いすに乗せて、近くに花見に行けるのを

夢見ていたのに残念ですが、〇さんの胸の中にいつもお父ちゃんが

いてるから、寂しくないですね。

 

立派に看護して、自分にご褒美をあげてください。

ご主人さまの代わりに私から感謝状を差し上げます。

努力賞も上げます。  自慢してください。

誰にだって出来ない努力をされましたね。

こんなに、優しく出来る奥様がおられるのって、〇さんを知ってる人は

みんな脱帽しています。

ご主人様は幸せな人生でしたね。ご主人様がいい人だから。

私もうれしいです。 いい思い出です。

 

息子さんたちもお母さんを尊敬していますよ。

自信をもって自慢してください。 


終活その2 お葬式とお墓の話

2018-08-24 10:01:01 | 思うこと

昨日 仲間内でお墓の話になった。 信仰心の熱い方から見ると 不謹慎かもしれませんが 私は仏教に信仰はなく(若いころはずっとキリスト教会に通い 洗礼まで受けたのですが考えるところがあり 今では行っていません) 夫のお葬式は無宗教で執り行い(2016.12 12)   白い花に囲まれた祭壇はとても清楚なものでした。 夫も生前お寺にあまり心傾倒することはありませんでした。 今リビングにある小さな机には遺骨、生前愛用した腕時計とシャープペンシル 写真 ローソク、お香、お花や好きだった果物やお菓子などを供え 私は毎日写真に語りかけながら過ごしています。 遺骨は 小さな桐箱の中の小さな骨壺に入るだけのお骨がはいっており、ずーっと私の傍にあります。 お墓は夫の生前 小さな墓地を買ってあるのですが 私が死んだとき一緒にそこに納めてもらうよう 子供たちに話しています。その時にはシンプルな墓碑を作ってその下に眠り 霊園には永代管理料を支払っておくつもりです。 そんなわけで 墓参はなく お盆といえどお寺さんは見えることなく、子供や孫たちが集ってくれ 元気な孫たちを夫は喜んでくれているだろうと思っています。  

ある人のHP(h16.11.30) HP-2(h17.11.22)がありました。 私には共感するところが多い考え方です。 世間は いろんな物事に対して多様な考え方があり 各人がいいと思うやり方を尊重されるべきでしょう。


8月は戦争の記憶を後世に伝える月

2018-08-09 08:29:41 | 思うこと

1945年3月10日東京大空襲 8月6日の広島原爆、 9日の長崎原爆  沖縄戦 そして多くの空襲によって亡くなったすべての人々 地獄絵図のような中で逃げまどい 苦しみ 人生を奪われ その悲惨さは毎年8月が来る度に報道され 戦争の記憶がない私もいろんなことを学ぶ。 日本の「今ある平和」はその教訓から 二度と戦争を起こさないという誓いの元作られた憲法が守ってきたと思う。

世界中で今も各地で戦争が起こり 苦しみの中にある人々は多い。 宗教の争い 経済的な争い 領土の争い どうして人間はお互いを信じ 愛し 平和の日々を求められないのであろうか? 

昨日 沖縄の翁長知事がなくなった。 沖縄の平和の為に「巨大な日本国家」を相手にひるまず 粉骨砕身たたかわれたように見えるが国家相手に思いは通じない。翁長氏の遺志を継ぎ 戦争の犠牲となった平和の島が二度と恐怖にまみれないために 世界中の人々が戦争の恐怖のない平和な日々を過ごせるように思いを馳せる月でありたい。

 


夫のやさしさの思い出

2018-07-25 08:55:10 | 思うこと

夫が旅立って1年8か月近くなる。 今 リビングの写真と向き合って日々を過ごす。 誰にでも 何にでも優しい人だった。 いろんなことを思い出す。 エピソードを書けばきりがないが 今日は30年ほど前のことを思いだした。

私の姉の息子の結婚式の帰り、大阪のホテルから そこの家の80歳近くになるおばあさんを自宅まで送ってほしいと頼まれた。 姉たちはすぐに帰れない用があったのだろう。 「お安い御用」と 夫は優しい運転でその自宅に着いた。 私は車のドアを開け おばあさんを門扉の前まで送り、車に乗り込んだ とたん夫は慌てて車を降り おばあさんの手を取り数段の階段から玄関のドアを開けるまで見送って戻ってきた。 私は その心遣いに自分を恥じた。 夫は小さな動物から植物に至るまで優しかった。 野良犬や猫にも餌をあげようとした。 小さい子供には常に怪我をさせないように注意深く見守っていた。 私はといえば 自分の子供にも「少々の怪我ぐらい成長の過程」と大胆だった。 携帯電話がなかったころ 自分一人で仕事をしていた夫は 家を空けることが出来ないので 夏休みは母子3人で山に行ったことも何度かあった。上が4年、下が1年生の時には 北アの剱岳の山頂まで上がって行った。 白馬岳や 北穂高、奥穂高 も 制覇?した。 素晴らしい山を体験させたかった。 ・・・・が息子たちは山好きにはならなかった。 

私は夫の優しさに守られて過ごしてきた。 なのにそれがうっとおしい時もあって 何度も喧嘩を繰り返した。(いつも一方的な喧嘩だったけれど) 今頃感謝しても遅すぎるね。

剱岳 蟹のたてばい(小学1年生)

北穂高への道 (中3、小6)

北穂高から槍ケ岳を望む         ( 1987.夏)