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春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

前橋・利根川を鎮める、一本木稲荷。

2018-07-25 19:28:17 | 社寺

 

暴れ川「坂東太郎」と呼ばれて、住民を困らせた利根川。
南魚沼市と水上市の境、大水上山を源流にして、前橋市を流れて、
東京湾に注ぐ。
1783年7月の浅間山の噴火の火砕流は、
前橋藩内では1465軒が家屋倒壊。

補修工事は、昭和の戦後、ようやく完了したという大川。
暴れ川の被害で、幾度も遷宮をした、
一本木稲荷神社の境内から、今は赤城山の麓、
浅瀬に鮎釣りを楽しめるおだやかな景色が見える。

 

 

文治郎39歳、1770年地元住民の要請で、
本殿を彫る資料があるけど、

極彩色という彫物は、本殿にみあたらず、
拝殿には、腕のある彫師と判る彫刻が紅陵、
扉を飾っている。

(只今、八王子18時、猛烈な雨)
熊谷の彫師小林源太郎。
越後、武州を股に、江戸後期名工と脚光を浴びた彫師。
彫ったのは、1808年文治郎が亡くなってから、47年後。
父、源治、その師匠は石原吟八郎。
いわば、同門にして商売敵と耳にした文治郎
源太郎にして、文治郎は偉大な存在であったかもしれない。

榛名神社の「双竜門」の扉を彫ったのは1855年👇
文治郎が彫った本殿は1806年に完成している。


 

 


榛名神社の境内、文治郎の海老紅陵に巻き付く龍を観て、
「その腕っぷり」に唸ったに違いない。
源太郎57歳。
そのあと一本木稲荷の紅陵に施している。
その榛名神社、文治郎が亡くなる2年前に仕上げた、
迫力ある海老紅陵のオリジナルが👇



文治郎亡くなって47年後、源太郎が1856年から1861年に彫った、
一本木稲荷神社の海老紅陵が👇



源太郎のすごさは、扉の彫り👇





源太郎の得意としたところ、著作権登録すればよかった!

あと数年、まもなく明治。
寺社彫師達の鑿は、少しづつ錆びていく。

 

 

 

 

 

 

 

 



写真 2018・7.14 榛名・前橋

コメント (2)
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