春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

上高地で出会った河童。河童忌。

2019-07-24 23:38:51 | Extra
 
天井が回って空も廻り、
床が回って地球が足元を抜けていく。
2度目の眩暈。
メニエル病まではいかないけど、休養をと・・。
しばらくなかったので、高を括っていたけど、
3日続くと流石、処方薬を飲んだ。
一週間しかくれなかった薬、
飲んで今日が3日目、
頭がふらふら、体が浮遊するのが無くなった。
運転は禁止されていたけど、今日は乗った。
身体に20キロの重しを付けたような、どっしり感。
首が坐ったような頭の重さ、
健康であつた時の躰の動き・・・
早く薬を飲んでおけばよかった。
私の病名?は・・・三半規管の血流不良。
自律神経のご乱調!であります。

明治42年、東京府立第三中学校5年生、17歳の二人の少年が、
上高地の槍ヶ岳、穂高岳に登った。
天候の悪い穂高に、登頂するか、下山するか、
とりあえず、腹ごしらえにコオンド・ビーフ缶とパンを食べ始めた時、
丸い腕時計の硝子に影が落ちた。
振り向くと、河童だった。
河童と出会ったのは、この時が初めてだった。
河童も驚き少年と灰色の河童は格闘し、
逃げる河童は緑色になり、触れると、すっと消えた。
格闘したのは👇
 
 
芥川さんが通った道は、河童橋、上高地の梓川に掛っていた橋。
今は👇

 
 
の吊橋は7代目で、
 
 
初代つり橋の前、芥川龍之介さんが通った橋は
撥ね橋であった。👇

 

泊まった宿は、
上高地温泉ホテルで。
 
 
今は大改造され、観光客を和ませてくれている。
 
 
 
 
 
 
 
 
1927年、この年は、芥川龍之介さんは、
沢山の小説・エッセイを発表している。
玄鶴山房。
河童。
誘惑。
文芸的に、余りに文芸的に。
歯車。
ある阿呆の一生。
西方の人。
続西方の人。
1927年7月24日、芥川龍之介、服毒自殺。
続西方の人は、7月23日に脱稿していた。
余りに壮絶な死。

書いたものに、敬意を抱くとも、生き方は好きになれなかった作家。
芥川龍之介さん・・上高地の河童橋で冥福を・・・。
資料は上高地温泉ホテルサンからでした。




河童には会えなかったけど、
樹に乗り移った河童?

 
 

1927年7月23日から24日までの芥川さんの足取りを・・。
数日後に発表されたものです。
資料は讀賣新聞ではなかったかと・・記憶がはっきりしせん。
 
 
コメント (6)
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