春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

大悲願寺 散歩 ❷ 東京都あきる野市

2025-03-04 18:40:39 | 社寺


大悲願寺、都下のあきる野市、
310メートルの天竺山の麓、
こんもりした森林に囲まれたお寺に、

昔、川遊びの好きな、
伊達松宗が、秋川で鮎魚を楽しんだ帰りに立寄り、
壮大な萩の花に感動して、どうしても萩を仙台に、
咲かせたいと、後日、徳川家康に許された、
松平陸奥守の名で、手紙を飛脚に持たせている。
伊達政宗56歳の、
1623年の8月21日の花押しの手紙が保存されている。
仙台の紫の萩しか見たことが無い、政宗には、
白い萩が、珍しかったのでしょう。

記録には無いのですが、弟子は当時の13代住職の弟子は、
15代住職になった政宗の俗弟だという。
手紙の宛名は、彼岸寺と書かれてた。



👆1794年に建てられた無畏閣は、
千手観世音菩薩を勧進したお堂として、
信仰を集め、秋川観音と親しまれている。
畏とは、観音様の慈悲で、
心の畏・・恐れ 不安 怒りなどを取り払うこと。

建立後、参拝者の為に、向拝を作ったのは、
33年後、1827年で、
羽目板や、唐破風の彫刻は更に5年後のことで、
👇地元の近郊の匠が手掛けたという、
地獄図、極楽図などの彫刻。












👇向拝には カメもいた。


👇堂の裏手には鶏が居た。



👇大師堂







👇鐘楼 
江戸時代のあきる野市を分断するように流れる、
秋川は、江戸城の台所に差し出す鮎の、
御用鮎制度で厳しく管理され、鮎業を許された村同士で、
争いもあったという。

そんな中、、時を知らせる鐘として、
八王子市の加藤五郎衛門尉宗次が、
1672年に鋳造したという鐘楼が・・・

鐘楼には、抜粋・・
それ梵鐘なるものは、紺園 寺院の別名 容器上観の霊枢なり。
これによりて朝には斎粥の期を告げ、
暮には禅定の席を開く。ここに住持信盛 大悲願寺の住職
ふたたび冶工をして、華鯨 釣鐘 鋳鎔せしむ・・・
・・・冶工武州横川住加藤五郎衛門尉宗次・・とある。


故・平岩弓枝さんの
白萩屋敷の月

彼岸の頃、手紙と香箱を届けて欲しいと
与力の兄の使いで出向いたのは
藤色の着物に白い被布を着た
萩の精のような女性
横顔に火傷の痕が残ってた
慕ってた兄に似た弟
宿屋・かわせみの居候
神林東吾
・・・その夜・・・

切り株に座れば、
そんな小説を喚起させた大悲願寺でした

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (だんだん)
2025-03-04 19:11:16
しみじみと心に響くいいお寺だと思います。木立もステキですね。初夏、回廊で日がな気ままに過ごしてみたくなりました。
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Unknown (1948of)
2025-03-04 20:23:58
歴史の深みを感じます。彩色の素晴らしさはパソコンからゆっくり拝見しますね。貴重な写真を有りがとうございます✨
お身体の痛みは大丈夫ですか?
寒いので温かくしてお過ごし下さいね。
返信する
Unknown (とよ)
2025-03-04 21:12:25
だんだんさん こんばんは
秋川の渓谷に涼をとり、寺域の中の木立、
白萩を観ながら、日暮れまで・・・一人訪れるのも風流です。
ご案内いたします‥よッ ‼
返信する
Unknown (とよ)
2025-03-04 21:20:13
1948ofさん こんばんは
幾分良くなり、今日は青梅市辺りまで出かけました。
コルセットがフィットしてよかったですね。
お互い腰痛には悩まされますね。
暖かい日が続けばいいなと、思います。
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