
1613年落雷で、社宝や、拝殿、社記が類焼したものの、
本殿だけが燃えなかった住吉神社
大阪で生まれて、
江戸で宮大工の修業をした棟梁が、
神社を後にしました。
石段を下り、煙管の刻み煙草に付けた青梅街道の砂利道。
見上げた住吉神社の本殿は見えないけど、
春日造りを少し変えたデザインに、少し胸を張ったに違いない、
貝塚作右衛門泰久さん。1716年の事。
本殿だけが燃えなかった住吉神社
大阪で生まれて、
江戸で宮大工の修業をした棟梁が、
神社を後にしました。
石段を下り、煙管の刻み煙草に付けた青梅街道の砂利道。
見上げた住吉神社の本殿は見えないけど、
春日造りを少し変えたデザインに、少し胸を張ったに違いない、
貝塚作右衛門泰久さん。1716年の事。





1835年には、誰が彫ったか、
青梅街道の宿場町だつた、住民は、
べらぼうに有名文人ではないけど、
知識人が町をにぎわしています。
その流れが、神社の彫物に伺えます。
向拝や軒下には、牡丹に獅子、獏の彫刻が、
添えられ、






圧巻なのは、海老紅陵の図柄、
曲がりには松の木と葉を中心に、
鶴の親子、夫婦鶴を配しています。
曲がりには松の木と葉を中心に、
鶴の親子、夫婦鶴を配しています。
海老紅陵には水の神、龍が巻き付いている、
神社が多いところに、松、鶴の夫婦、親子が、
デザインしているあたり、
当時の青梅の情景が浮かんでも来ます。
神社が多いところに、松、鶴の夫婦、親子が、
デザインしているあたり、
当時の青梅の情景が浮かんでも来ます。








山あいの青梅の5月は、3、4、5日、祭りの囃子が響き渡ります。


