春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

ムーミン谷で、どっでん。❷-❷ 埼玉県飯能市。

2024-11-26 15:23:04 | 散歩

♬ ねぇ~ムーミン・・・囁くような岸田今日子さんの、
歌が、テレビから流れていた。
もう半世紀も前だった・・・
名前が出てこない時には、声かけに利用させてもらった。

埼玉県飯能市の宮沢湖の近くに、ムーミンバレーが作られ、
6キロばかり離れた所に、
トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園がある。
飯能市は、フィンランドの作家トーべ・ヤンソンの手紙で、
許可された、ムーミンの世界のこども公園を造ってました。

土曜日で夜間のライトアップがあるというので、
駐車場の混雑は想定外で、車を止めるまで、30分以上。
辛うじて空いて荷物を背負って扉を閉める時、
記憶に無いのですが、臀部からひっくり返ってしまって・・

目の前のムーミン谷、
何やら筋が伸びたようで、
帰ろうかかな、帰るのよそうかな~
一脚を杖代わりにして、撮ったのは、
この辺👇ムーミンの水遊び場と屋敷だけでした。

今度は人の少ない時にと、しょぼしょぼ・・・




土曜日の日が暮れ、ライトが着くと、
👇こんな風情に・・。






昨日、レントゲンには骨折は無く
安静にして10日ばかり
ストレッチはとんでもないと
叱られ、
椅子には尻の半分を掛けて

ムーミン谷のメタセコイヤ
ライトアップより、自然光が
いいですね

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トーべ・ヤンソンのムーミン谷 ❷-❶ 埼玉県飯能市。

2024-11-24 19:40:05 | 散歩

ムーミン谷には、東に ♬お寂し山 ♪がそびえ、
その麓から川が流れている。
その川にはムーミンパパの作った橋がかかっていて、
その橋の先にムーミン屋敷がある。
ムーミン屋敷の北側には、ライラックの茂みがある。
西は海に面しており、桟橋の先には水浴び小屋がある


1914年第一次世界大戦が勃発した年。
画家の母と彫刻画の父は、フィンランドに移住し、
トーベを生んだ。
トーベという名前は、北欧神話の神トールに由来し、
父はトーベの似顔絵を描いた。
似顔絵には、1歳半のトーベ・ヤンソンが、
紙に絵を描いている姿があった。



14歳で詩と絵を描いて作家としてデビューし、
晩年は、小説もエッセイも、画家としても・・・
30歳、幼いころから父から教えてもらった、
妖精トロールを、壁に、紙に想像して描き、
今のムーミントロールの姿を登場させ、シリーズにさせた。
ムーミン谷の11月を書いたのは、1970年。


1969年
岸田今日子さん の
🎶 ねぇ~ムーミン 🎶


 


👇ムーミンは、ムーミンのパパと
橋に座って、日暮れの景色を眺めてた。


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補陀落目指して・那古寺。千葉県館山市。

2024-11-23 10:00:34 | 坂東札所


補陀落山ふだらくせん那古寺、坂東33番札所の結願寺。
館山市と南房総市の境界辺り、
鏡ヶ浦町を望んだ、那古山の中腹に位置するお寺さん。
昔は👆那古寺から見える集落も海だったとか・・・

前日は館山市の海岸を散策して、ウン
一人ではめったに外食しないのですが・・・




👇トイレが洒落てた・・




👇朝早い、那古寺の境内は、バスの発着所になっていて、
お寺さんの配慮も、いい感じ・・‼



急な坂道、息切らして山門の瓦。
体力の回復には、カメラのファインダーは好都合。

補陀落山は実在しない山、
観音菩薩が降り立つという伝説上の山、霊場。







江戸中期、建立の多宝塔・・








1758年に再建された堂宇






仏法を守る八大竜王・・
今でも地元の漁師は、安全祈願訪れるという




足柄・箱根あたりから東方面を坂東と呼び
源平の合戦に
駆り出された坂東の兵は、九州にも行った
源頼朝の時代になって
戦の犠牲になった敵も味方の人たちにも
供養に平穏な時代を祈願して、源頼朝は
坂東33カ所の観音霊場を選ばれた

全行程、順番に回れば1300km
車の無い時代、
一日30キロ歩いて、44日の巡礼
偲べば、煙草の灰が、
フレンチトーストに・・ぽとり
難儀な観音菩薩巡りでもあります‥ね ‼



コメント (2)
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音羽山・清水寺の外陣。千葉県いすみ市。

2024-11-20 21:07:41 | 坂東札所

木鼻の迫力ある獅子を見ながら、


堂宇の外陣 げじん で、手を合わせた後は、
至る所に奉納された額を眺めます。
中には、一枚板に巡礼した地図を施したものもあり、
いすみ市の人たちの、密教に心の安らぎを托し、
清水寺への人気ぶりも伺えます。

昭和20年~数年の奉納金1千園は、
今の百万円と想定できるでしょうか。
戦後のいすみ市、親潮と黒潮が相まって、
さざえ、アワビが宝の山になって、
今、貝好きの人たちには、たまらない漁場に・・・













千社札には、なんとも言えない、安堵感があります。












〆は子安地蔵尊さんで






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黒子2つ、最澄さん道に迷って清水寺。 千葉県いすみ市。

2024-11-18 20:09:52 | 坂東札所

滋賀県琵琶湖の南西、
・・今の大津市辺り・・の湖岸で生まれた、
沙弥最澄には、頸の左、左肘を曲げた上に黒子があったという。
のに、この芥子粒ほどの黒子を記録されるのは、
彼が高貴な生まれの僧でなかったからと・・・
昨年97歳で亡くなった、古河市生まれの、
永井路子さんは 
♬ 雲と風と・仏教大師最澄の生涯 ♪で、
歴史に素肌をさらされた18歳の最澄を、
慈愛の眼で見ている。


それは兎も角、
千葉県いすみ市の清水寺・
きよみずてら
厳しい修行から狭き門得度試験に合格した最澄さん、
行脚途中、農夫に連れてこられたいすみ市、
なぜか、ここに草庵を造って、千手観音菩薩像を彫った。
800年ごろのこと。
後、弟子の慈覚大師・円仁が師の後を引き継ぎ、
この地で千手観世音菩薩を安置し開基した・・と・・・

草庵での修行、この時代何を食べていたろうか・・・

👇滑り止めを施した舗装を


👇登りきったところに



仁王門





吽形像               阿形像
            


 👇更に四天門には


👇増長天さん


👇持国天さん


👇風神さん


👇雷神さんが居て、



👇ちょっと歩いて、百体観音堂には



👇子どもたちの幸せを第一に思ってた、ばぁさん・・
閻魔大王の妹さんでっしょ?


👇閻魔さん、そんな赤い顔して、
怒っては血圧が上がるっつ~の・・


👇屋根を支える出組み?と蟇股が施された床下、
1817年に再建した本堂、
1813年に焼失したときもこんな建築様式だったか・・と







内部には、戦後の奉納額がいっぱい‼
次回に


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