滋賀県琵琶湖の南西、
・・今の大津市辺り・・の湖岸で生まれた、
沙弥最澄には、頸の左、左肘を曲げた上に黒子があったという。
・・今の大津市辺り・・の湖岸で生まれた、
沙弥最澄には、頸の左、左肘を曲げた上に黒子があったという。
のに、この芥子粒ほどの黒子を記録されるのは、
彼が高貴な生まれの僧でなかったからと・・・
昨年97歳で亡くなった、古河市生まれの、
永井路子さんは ♬ 雲と風と・仏教大師最澄の生涯 ♪で、
歴史に素肌をさらされた18歳の最澄を、
慈愛の眼で見ている。
彼が高貴な生まれの僧でなかったからと・・・
昨年97歳で亡くなった、古河市生まれの、
永井路子さんは ♬ 雲と風と・仏教大師最澄の生涯 ♪で、
歴史に素肌をさらされた18歳の最澄を、
慈愛の眼で見ている。
それは兎も角、
千葉県いすみ市の清水寺・きよみずてら
厳しい修行から狭き門得度試験に合格した最澄さん、
千葉県いすみ市の清水寺・きよみずてら
厳しい修行から狭き門得度試験に合格した最澄さん、
行脚途中、農夫に連れてこられたいすみ市、
なぜか、ここに草庵を造って、千手観音菩薩像を彫った。
800年ごろのこと。
後、弟子の慈覚大師・円仁が師の後を引き継ぎ、
この地で千手観世音菩薩を安置し開基した・・と・・・
800年ごろのこと。
後、弟子の慈覚大師・円仁が師の後を引き継ぎ、
この地で千手観世音菩薩を安置し開基した・・と・・・
草庵での修行、この時代何を食べていたろうか・・・
👇滑り止めを施した舗装を
👇登りきったところに
仁王門
吽形像 阿形像
👇更に四天門には
👇増長天さん
👇持国天さん
👇風神さん
👇雷神さんが居て、
👇ちょっと歩いて、百体観音堂には
👇子どもたちの幸せを第一に思ってた、ばぁさん・・
閻魔大王の妹さんでっしょ?
👇閻魔さん、そんな赤い顔して、
怒っては血圧が上がるっつ~の・・
怒っては血圧が上がるっつ~の・・
👇屋根を支える出組み?と蟇股が施された床下、
1817年に再建した本堂、
1817年に再建した本堂、
1813年に焼失したときもこんな建築様式だったか・・と
内部には、戦後の奉納額がいっぱい‼
次回に
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