春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

瑞祥庵。石川雲蝶また逢う日まで・・。新潟県南魚沼郡湯沢町。

2023-11-07 21:58:04 | 関口文治郎/神社仏閣

時間があれば、彫り物師・石川雲蝶が30歳代から移り住んだ、
三条市に足を延ばしたかったのですが、
限られた3日間の休日だったので、
南魚沼市、魚沼市を拠点に、近在の社寺を撮り終え、
最後の訪問地は、
雪国の南魚沼郡湯沢町土樽の瑞祥庵です。


本堂での参拝を・撮影もご自由にと、
快く承知くださって、
どこでもいい、山に登りたいなァ~なんて、
山を眺めて、一旦、軽く腹ごしらえ。



👇1847年落成の桜門。
ここに数年たってからの彫った、

石川雲蝶さんの仁王がいる。









👇堂内外陣の欄間は、雲蝶の彫り物ではありませんのでと、
住職に念を押されましたが、
誰もいないのをいい事に、優しい鑿裁きを撮ります。

































👇本堂側から楼門を。



👆👇 冬になれば、雪囲いで見ることができない、
石川雲蝶の仁王・2体。
継承する宗教然を切り離しながらも、
オマージュを捧げた、雲蝶独特な感性のフォルムは、
心を見透かすように、より宗教然として。

彩色は昭和の初めに、古千谷の彩色家が幾分変えたとはいえ、
没後150年が経って、心揺さぶる鑿裁きでした。



1814年に生まれて、1884年までの70年、
絵描きにして、彫り物師、
飲んべぇ~にして、賭け事好きにして、女好き
江戸生まれ、越後では異邦人ながら、
雪国に、孤高の骨を埋めた鬼才・石川雲蝶さん。
いつかまた、逢える日まで・・・です。



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八海山尊神。新潟県南魚沼市。

2023-11-05 20:29:20 | 関口文治郎/神社仏閣


手を叩くと石段が鳴り響く龍鳴の前、88段の真ん中で、
3度の柏手に、龍が鳴かなかった。
耳が遠くなったと、納得して、
南魚沼市、最後の訪問地、八海山神社。



飲んべぇ~の頃、居酒屋の座敷に座って、いの一番の注文は、
八海山か高清水。
板前は、今日はどっちという位、飲む銘柄は変えませんでした。
私には、それほどうまい酒でした。

👇八海山2合目半に湧く清冷は、霊水の愛好家が、
浄財を出し合って神社まで引き、
登山者の喉を潤しているという。
















👇和楽殿
縁結びの神様、大国主尊が祀られ、
参拝者が歩を休め、暫しの歓談をする無料休憩所。 








👇霊風殿霊風殿(六角堂)
八海山頂上の大日ヶ嶽に鎮座する、
八海山大神像と同じ御姿を安置し、
神徳が麓の里宮に居ながらにして沢山の光がいきわたることを、
願って建てたと・・・。








滞在中、いつ雨が降ってもおかしくない南魚沼市の空
👇今年の米は透明感を失い、2等米になった情報。
米に疎かった道中、この黒い穂は・・病気?と・・。
投稿直前に、👆は黒米の穂ではと、勝手に思い込んで
ちょっと安心





魚沼市、南魚沼市は、ここでさよならです


帰路、拠り所は
岸恵子さんと池部良さん、八千草薫さんが演じた
♪ 雪国 ♪  
湯沢町の瑞祥庵さん

👇真ん中の唐傘を持つ池部亮さん
掻い巻き姿の岸恵子さん

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越後浦佐、普光寺・毘沙門堂、雪国の灯り。新潟県南魚沼市。

2023-11-03 21:06:27 | 関口文治郎/神社仏閣

昭和6年、瞬く間に燃え尽きたという、
室町時代前期の建築と云われた、浦佐毘沙門天堂、
地元民の喪失感を埋めるように、

再建の意欲高揚を垣間見る、写真1葉。



昭和12年、地元民は堂再建の寄付金集めに奔走し、
足りなくなれば亦、寄付金集めに駆け回り、
焼失後、6年の歳月で、
山形県米沢市に生まれた、
すでに帝国大学を定年になっていた、
建築史家の巨匠、伊東忠太(1867~1954)博士の設計、
毘沙門天の完成を見た。
参拝者は後を絶たなかったという。

👇毘沙門天の回廊から・・
当時の地元民の、意気込みを心鎮め・・眺め・・・‼














👇宝仏殿
住職の代が変わった時だけ開く扉。

この中に、運慶作と伝わる、
大日如来像が祀られ、四隅には、
持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門) が、
祀られているという。



余談ですが、
日本の製鋼・鋼管技術の先駆者とされ、
群馬県みどり市花輪で生まれ、
旧花輪小学校の建設費を寄付した、
今泉嘉一郎工学博士。
彼の古希を記念した、胸像及び顕彰碑銘板の設置所の設計は、
伊東忠太博士、工科大学時代の同期で、
毘沙門天堂完成、前年に落成を終えている。






清閑にして気品の毘沙門天堂
山門から振り向けば、再建に気鋭のを上げる
地元の人たちの姿が、ありありと浮かんできます

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越後浦佐・普光寺。裸押合い祭り ① 新潟県南魚沼市。

2023-10-29 07:20:39 | 関口文治郎/神社仏閣

普光寺の別当に住んでた修行僧が、
毘沙門天堂に放火したしたのは、
1934年、昭和6年4月26日。

坂上田村麻呂が、東夷征討に出向いたときに、
国家鎮護のため建立した普光寺、インドの仏工が彫った、
「毘沙門天王」を奉祀した807年が草創と伝わってる。

そんな毘沙門堂を尋ねました。
生憎、誰もいなくて、本堂、宝仏殿(別行殿)の内部の、
拝見は叶わず、心残り。




1820年頃起工した門は、日光東照宮を真似た造りで、
1831年まで、12年をかけて、
地元浦佐の大工の関市四郎さんが築いた・・門と。
現在、子孫の方々は、浦佐に住んでいないという。
昭和の火災の煽りは受けなかったのは、幸いでした。



👇谷文晁の画が2枚、
2階には天女の画が23枚見られるのですが・・。
















👇雪国、積もる雪の参道は歩き易い配慮に・・・。



3月3日、30キロ、1メートル20センチのロウソクを担いで、
「サンヨ ‼、サンヨ ‼)の掛け声で、
毘沙門天様の一番参拝を競う、「裸押合い大祭」
春を待つ若い衆の江戸後期から続く、祭り。

旅はまだ、終わらせたくない。
来年元気なら、訪れ見学したい浦佐の「大ロウソク祭り」







偉大な建築家
伊東忠太氏が設計をした毘沙門天堂
次回に


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英雄の基礎はここで、雲洞庵。新潟市南魚沼。

2023-10-23 20:23:27 | 関口文治郎/神社仏閣

僧尼となって、庵を結んだ藤原娼子は蘇我家から、
藤原不比等の正妻になった方。
後年は、藤原先妣尼と名乗り、隠遁生活に・・。
正確な人物歴史的記録はないものの、
701年以前には亡くなってる・・。

今は立派な造りの禅寺になってるけど、飛鳥時代、
穏やかな草葺きの建物だったのではと・・心が濁る。

1707年からの広大な堂内は、
華奢な装飾を嫌って、簡素、禅寺形式に、
虫の羽音さえ聞こえそうな、
張り詰めた静けさ・・・。



👇この部屋は、
米沢藩主となる上杉景勝10歳、
生涯、上杉の家老となる直江兼続5才が、
英雄の礎を築いた場所。
柱が天井まで突き抜けない、
天井が浮き上がるような書院造り。
越後ではここしかなく、最高寺格を見せつけます。













👇欄間彫刻が2点、
黄河上流登竜門の急流を登れ、鯉。
登れば龍と化として、
修行僧は、悟りは座禅修行でと・・。


👇不老不死の老人が、鶴に乗って、
無限の世界で遊ぶ彫り物は、悟りを開いた妙境の構図?



👇雲の形を設えた窓の廊下は




👇600年ばかり廃れていた雲洞庵が、
禅寺となって再興されたのが、1420年から


👇 文殊菩薩の前で、
吊戸棚には荷物を置いて、一人一丈の生活。
木板で食事をし人と、お喋りなどしたら、
6尺棒で叩かれて、寺を追い出されたという・・。

余計なことだけど、禅修行、私ゃにゃ~無理・・むり ‼
私にできるのはせいぜい旅の記録を残すだけ
その、雲洞庵も 〆ます。




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