藤棚文図鐔 (鐔の歴史)
藤棚文図鐔 古金工
山銅地を薄手に仕立て、表面に藤蔓と花房を薄肉に表現した鐔で、室町時代から戦国時代の製作と鑑られる。各々の文様部分は腐らかしによる手法。腐らかしとは、酸などで表面を腐食させることによって文様を浮かび上がらせる技術。時代が降っては肥後金工平田彦三や西垣勘四郎などが採り入れている。派手なところはなく、素朴な風合いに包まれており、実用具の文様とはこのようなものとの認識が新たとなろう。とはいうものの、仔細に観察すると、藤棚のような文様構成であり、決して稚拙な技術や平凡な感性ではないことも感じとれる。唐草様式の文様表現に古典の美意識が残されており、時代の移り変わるなかで次第に装飾への意識と、それを現実のものとする技術の応用が、高まっていることも理解できる。
藤棚文図鐔 古金工
山銅地を薄手に仕立て、表面に藤蔓と花房を薄肉に表現した鐔で、室町時代から戦国時代の製作と鑑られる。各々の文様部分は腐らかしによる手法。腐らかしとは、酸などで表面を腐食させることによって文様を浮かび上がらせる技術。時代が降っては肥後金工平田彦三や西垣勘四郎などが採り入れている。派手なところはなく、素朴な風合いに包まれており、実用具の文様とはこのようなものとの認識が新たとなろう。とはいうものの、仔細に観察すると、藤棚のような文様構成であり、決して稚拙な技術や平凡な感性ではないことも感じとれる。唐草様式の文様表現に古典の美意識が残されており、時代の移り変わるなかで次第に装飾への意識と、それを現実のものとする技術の応用が、高まっていることも理解できる。