唐草文龍文図鐔 (鐔の歴史)
唐草文龍文図鐔 古平戸
南蛮渡来の文様は、西洋との貿易が活発になるまでもなく、新趣を好む武将によって盛んに取り入れられるようになる。江戸時代には肥前国長崎のみが公に海外と連続していたのだが、そこには、海外の文物意外にも文様は必然的に入り込んでいた。装剣小道具ではそのような南蛮渡来の装飾を南蛮金具、南蛮鐔などと呼んでいる。製作で最も影響を受けたと推測されるのは長崎の金工。江戸時代には平戸に繁栄した國重が知られているのだが、その先駆をなすと推測されるのがこの鐔。古風な魚子地を背景に、唐草と龍文を表裏に描き別けている。薄肉彫部分に金の色絵で、西洋の香りが漂う。因みに南蛮とは、中国大陸の南部を経て渡来したことからの呼称で、本来の中国大陸南部を指すものではなく、ポルトガルなどの貿易船がもたらした西洋のこと。桃山時代から江戸時代初期であろう。75.3ミリ。
唐草文龍文図鐔 古平戸
南蛮渡来の文様は、西洋との貿易が活発になるまでもなく、新趣を好む武将によって盛んに取り入れられるようになる。江戸時代には肥前国長崎のみが公に海外と連続していたのだが、そこには、海外の文物意外にも文様は必然的に入り込んでいた。装剣小道具ではそのような南蛮渡来の装飾を南蛮金具、南蛮鐔などと呼んでいる。製作で最も影響を受けたと推測されるのは長崎の金工。江戸時代には平戸に繁栄した國重が知られているのだが、その先駆をなすと推測されるのがこの鐔。古風な魚子地を背景に、唐草と龍文を表裏に描き別けている。薄肉彫部分に金の色絵で、西洋の香りが漂う。因みに南蛮とは、中国大陸の南部を経て渡来したことからの呼称で、本来の中国大陸南部を指すものではなく、ポルトガルなどの貿易船がもたらした西洋のこと。桃山時代から江戸時代初期であろう。75.3ミリ。