このあたりは毎日のようにウォーキングしている木曾川堤沿いの散策路ですが、
河を挟む両岸は承久の乱の古戦場です。
1221年(承久3年)に、後鳥羽上皇と鎌倉幕府執権の北条義時の幕府軍と対峙、血が流れたであろう場所です。
上掲は2年前の景観です。例年冬になれば多くの渡り鳥(3000羽超)が羽を休めた場所です。
小生の知る限り(30年ほど)は川の景観に特段の変化はありませんでした。
ところが1~2年の間、上流部で大雨が降る度の増水の積み重ねでしょうか?
昨年あたりから湖水のようだった川の水位下がり始め、最近では下に掲載した写真のような夏場の景観です。
対岸などでは頭大の石の堆積が見えるまで水位が減りました。
最近ではサギ類のえさ場に変わりました。
原因は流れの中央部の底に出来た深く抉れた溝に起因するのではないかと思います。(下写真)
溝(幅10~20m? 深さ1~2m)となった見えない部分に激しい水流が渦巻いているという。
岸からは遠くてよく見えません。傍に入った川漁師の談です。
犬山城下流部2km程の間で鮎漁する和船は一隻も川に出てません。
知り合いになった漁師は船底が川底に閊えて全く動かせない!
網漁のできる落鮎漁までは如何ともし難いとお手上げです。
こんな浅瀬になると今冬の水鳥の渡りも期待できません。
こんな河面ですが過日の夕焼けちょっと変わった日没でした。