パンダ合唱団 http://www5.kcn.ne.jp/~ssinji/ の定期演奏会のリハーサルに行ってきた。 阪口夫妻からの依頼で、同じ合唱団の仲間である中沢君の隣でのギター伴奏で出ることになった。 もちろん、ふたつ返事で快く引き受けさせてもらったのだが、正直、いままでにない緊張感がつきまとっている。
それも、昭和56年から今年まで続いてきたコンサートが、今回の25回定演でいったんピリオドを打つというのだから、団員の気持ちは、例えようのない思いというか、情熱、緊張感でいっぱいのはず、その張り詰めたような空気が、今日のリハーサル会場で僕は感じとっていたからだ。
涙腺の弱い僕は、何度も目頭を熱くしながら、彼らの練習風景を見つめていた。
何かをつくりあげること・・・つくりあげたことによって生まれる感動。
つくりあげたものを披露して、それで与える感動。
僕は彼らのコンサートを2回しか聴いていない。 でも毎回、生きる喜びと元気をもらって帰れる、素晴らしいコンサート・・・それが僕にとっては「え?もう終わっちゃうの?」ってな感じで非常に残念である。 でも、きっと間違いなくこれは終わりではなく、休止なのだと信じている。 何かを始めるには、一旦、立ち止まって、周りの状況を把握しなければならない、何かを続けるには、一旦、休憩する場所や時間が必要である。 僕はそんなふうに思っている・・・そう、終わりは始まり。 だが、そんな大切な時間、場所にこんなちっぽけな(体は別として)僕を加えてもらえたことに喜びを感じているのも確かである。
だから、大切な中沢君の歌に、僕は精一杯の演奏をしなければいけない。
「歌いやすいだろうか?」「テンポ・・・早くないだろうか?」心では訊いているのだが、僕にはどうやって彼をリードすればいいのか・・・すごく難しい。
ふと、帰りの電車の中で思った。
「似ている・・・この感じ。」
いつもは、ソロでギターをかき鳴らしながら歌っていた自分。
これは、隣の人が歌いやすいように演奏する・・・「似ている」・・・そう、学生時代のブラスバンド部の練習だ。 他の楽器とのバランスに耳を傾け、気をつけながら演奏すること。 そして、相棒と組んでいたバンド時代も同じだった。
どうやら・・・活動休止を宣言しておきながら、ありがたいことに、また学ばせてもらっているようだ。
「すべての出会いや出来事には意味がある」・・・やっぱりね。
それも、昭和56年から今年まで続いてきたコンサートが、今回の25回定演でいったんピリオドを打つというのだから、団員の気持ちは、例えようのない思いというか、情熱、緊張感でいっぱいのはず、その張り詰めたような空気が、今日のリハーサル会場で僕は感じとっていたからだ。
涙腺の弱い僕は、何度も目頭を熱くしながら、彼らの練習風景を見つめていた。
何かをつくりあげること・・・つくりあげたことによって生まれる感動。
つくりあげたものを披露して、それで与える感動。
僕は彼らのコンサートを2回しか聴いていない。 でも毎回、生きる喜びと元気をもらって帰れる、素晴らしいコンサート・・・それが僕にとっては「え?もう終わっちゃうの?」ってな感じで非常に残念である。 でも、きっと間違いなくこれは終わりではなく、休止なのだと信じている。 何かを始めるには、一旦、立ち止まって、周りの状況を把握しなければならない、何かを続けるには、一旦、休憩する場所や時間が必要である。 僕はそんなふうに思っている・・・そう、終わりは始まり。 だが、そんな大切な時間、場所にこんなちっぽけな(体は別として)僕を加えてもらえたことに喜びを感じているのも確かである。
だから、大切な中沢君の歌に、僕は精一杯の演奏をしなければいけない。
「歌いやすいだろうか?」「テンポ・・・早くないだろうか?」心では訊いているのだが、僕にはどうやって彼をリードすればいいのか・・・すごく難しい。
ふと、帰りの電車の中で思った。
「似ている・・・この感じ。」
いつもは、ソロでギターをかき鳴らしながら歌っていた自分。
これは、隣の人が歌いやすいように演奏する・・・「似ている」・・・そう、学生時代のブラスバンド部の練習だ。 他の楽器とのバランスに耳を傾け、気をつけながら演奏すること。 そして、相棒と組んでいたバンド時代も同じだった。
どうやら・・・活動休止を宣言しておきながら、ありがたいことに、また学ばせてもらっているようだ。
「すべての出会いや出来事には意味がある」・・・やっぱりね。