さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

古墳が好き

2012年04月29日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
始まりは上田書店での立ち読みからだった。 「UFOと宇宙人」みたいなタイトルの本を開くと、石舞台古墳(写真1)の写真が掲載されていた。「奈良県明日香村には、不可思議な古代の石造物が点在する。」などと書かれていて、石舞台古墳の写真の下のコメントが「あたかも、巨人が寝そべって空を見上げるかのような姿だ!一体誰がこの巨石を積み上げたのだろうか?」というふに書かれていたものだから、当時、小学校5年だった僕は友達といっしょに「UFOブーム」の最中、こんなものが奈良県にあるのなら行かなくちゃ!みたいなノリで明日香村を訪れたのがきっかけだった。(苦笑) 

(写真1)

古墳の存在なんか知らなかったし、当時は「古代人にこんな巨石を積み上げる技術があるわけないよなあ・・・これは絶対に宇宙人がUFOの力を持ってして積み上げられたに違いない!」なんて真剣に思っていたのだから笑ってしまう。

それからというもの、当時の古墳好きな友達二人SとHと俺は、明日香村散策に始まり、卑弥呼の墓と推測される箸墓古墳がある桜井市と天理市を結ぶ古道「山の辺の道」散策、奈良県各地の古墳を古代人の霊にとり付かれたかのように歩きまわり写真に収めた。
ちょうど中学生になったばかりの1978年、大阪の藤井寺市でこれまで想像されていただけの「修羅」が三ツ塚古墳から発掘された。「修羅」とは、古墳の石を運ぶソリのような形をした道具で、これで僕が考えていた「UFO巨石運搬説」は崩されることになるのだった。(笑)

なぜこれほどまでに古墳が好きなのだろうか?別にその古墳に纏わる時代背景や、天皇・豪族に詳しいわけでもなく、何となく言えるのは、「石の組み方」「古墳自体の姿・形」に興味があるのだろう・・・現に、宮内庁が管理されている仁徳天皇陵をはじめ多くの御陵なんかは、立ち入り禁止だから興味がない。(発掘すれば本当に葬られている人物が解明されるのに)また、○○○古墳と重要文化財の看板があっても、石室が見れない古墳であれば残念に思ってしまう。

写真2・3・4は、大阪府羽曳野市、上ノ太子駅北側のブドウ畑に存在する観音塚古墳である。

(写真2)
(写真3)
(写真4)

これは最近撮影したものだが、変わり者仲間3人は、中学生の頃、迷いに迷って見つけられなかったので、大人になった最近、僕がひとりで散策して発見に至った。
この付近は、聖徳太子の墓とされる古墳(叡福寺境内)や小野妹子の墓、推古天皇の墓などが点在する、「近つ飛鳥」と呼ばれる地域。 そう、「遠つ飛鳥」とは、奈良県明日香村の「飛鳥」を指すらしい。 見てのとおり、立派な石の切り方、組み方をしてる・・・もうここにたどり着いたときは、感激のあまり「やった~!!」とひとり叫んだものである。 古墳には3世紀から7世紀頃にわたり、前期・中期・後期と分けられ、それぞれ古墳の形や石室の造りに特徴があり、(円墳・方墳・前方後円墳・双方中円墳・・・竪穴式石室・横穴式石室・・・)この観音塚古墳は7世紀後半の横穴式石槨という造り。
まあ、こんなこと書いても、興味ない人は読んでてもおもしろくないだろうけど(苦笑)

そうそう、その変人3人にこんなエピソードがある。 これは前にもブログか何かで書いた記憶があるのだが、ある日、友人Sの家に遊びに行ったときの事である。 なんと、家の前にSは古墳を作りあげていたのだ!! その辺の小石を使って石室を造り、ちゃんと盛り土をして、直径20センチ前後のミニチュア古墳があった。しかも、ちっちゃな立看板まであって、○○塚古墳とか書いて、さらに石室内にはスズメか何かの死骸まで入れて・・・(><) それを見たHは、負けずと思ったのだろうか、遊びに行ったときに自慢げに見せてくれたのは、なんとなんと!!1メートル前後の前方後円墳が畑の横に作ってあったのだ!ヽ(*゜O゜)ノ だがその後、お母さんの運転する車がバックした際にすぐに破壊されるという始末。ヾ(^▽^*アハハ・・・。
で、俺? もちろん作ってましたよ、二人をバカにしながら陰でこっそり畑に。(^^;
いまでも仕事中に偶然、古墳を見つけることがあるが、わくわくしてしまう自分がおかしい・・・古墳散策歴35年、いつまで他人の墓参りをするつもりなのだろうか。