今朝は布団から出づらいくらい肌寒かった。
寝起きのBGMに選んだのは、ビー・ジーズ「STILL WATERS」
吉野の片田舎町、トタン屋根ふた間の小さな家の隣は、松月館という朝鮮人の方が経営する小さな旅館だった。 小学校の頃だったかな? その旅館のお兄さんが日曜日になるといつも大きな音で変なリズム、変な声の洋楽を聴いていた。
母親はよく「あれは朝鮮の人の歌や・・・おかしな歌やなあ」とか言ってたので、僕はそうなんや・・・と(苦笑) 窓から聴こえてくるその変なリズム・変な声の洋楽は、後にビー・ジーズの「サタデー・ナイト・フィーヴァー」だと判明するのだが、今から思うと、その隣から聴こえてた曲が僕を洋楽好きにさせたきっかけの一部なのかなとも思う。
だから今でもビー・ジーズーを聴くと、その頃の貧しかったけど、楽しかった時代を思い出す。
中学生になったころ、学校にはもちろん内緒でバイクを乗りながら朝刊配達をはじめた。
家が非常に貧しかったので、自分が欲しいと思ったものは自分で働いて買うしかないと素直に判断し、欲しくて欲しくてたまらなかったステレオ方式のラジカセを買った。
そこに、叔父からもらった大きなステレオセットのスピーカーをつなげて、狭い狭い部屋に置かれたホームこたつの両端を囲むようにして、隣に負けずと大音量で洋楽や邦楽を聴きまくっていた。 もちろん、親が外に出ていっていない時間に・・・。
そんな頃を思い出すと、なんと今の生活は贅沢なのだろうか・・・そして決して忘れてはいけない・・・半年以上前までも、朝刊配達をやっていたという事実を・・・そうしざる得なかった状況にもっていった愚かな、愚かな自分の失態を・・・。
寝起きのBGMに選んだのは、ビー・ジーズ「STILL WATERS」
吉野の片田舎町、トタン屋根ふた間の小さな家の隣は、松月館という朝鮮人の方が経営する小さな旅館だった。 小学校の頃だったかな? その旅館のお兄さんが日曜日になるといつも大きな音で変なリズム、変な声の洋楽を聴いていた。
母親はよく「あれは朝鮮の人の歌や・・・おかしな歌やなあ」とか言ってたので、僕はそうなんや・・・と(苦笑) 窓から聴こえてくるその変なリズム・変な声の洋楽は、後にビー・ジーズの「サタデー・ナイト・フィーヴァー」だと判明するのだが、今から思うと、その隣から聴こえてた曲が僕を洋楽好きにさせたきっかけの一部なのかなとも思う。
だから今でもビー・ジーズーを聴くと、その頃の貧しかったけど、楽しかった時代を思い出す。
中学生になったころ、学校にはもちろん内緒でバイクを乗りながら朝刊配達をはじめた。
家が非常に貧しかったので、自分が欲しいと思ったものは自分で働いて買うしかないと素直に判断し、欲しくて欲しくてたまらなかったステレオ方式のラジカセを買った。
そこに、叔父からもらった大きなステレオセットのスピーカーをつなげて、狭い狭い部屋に置かれたホームこたつの両端を囲むようにして、隣に負けずと大音量で洋楽や邦楽を聴きまくっていた。 もちろん、親が外に出ていっていない時間に・・・。
そんな頃を思い出すと、なんと今の生活は贅沢なのだろうか・・・そして決して忘れてはいけない・・・半年以上前までも、朝刊配達をやっていたという事実を・・・そうしざる得なかった状況にもっていった愚かな、愚かな自分の失態を・・・。
受験生の頃によく深夜ラジオで流れてましたね。故郷の松山では、地元の放送局の南海放送は深夜0時で終了。それからは広島のRCC中国放送にチューニングし直して、オールナイト・ニッポン・・・3時からの2部で糸井五郎氏があのミョウな癖のある口調でビー・ジーズの紹介・・・
わが青春の面影を見て、思わず泣きそうになりますね。